9 庇う

 大鶴は小堀と増岡を引き連れ、例の空き家を見に来ていた。

 第一印象は、イメージ上の幽霊屋敷とはかけはなれた、存外モダンできれいな家だなという感じだった。

 夕陽を浴びてうっすら熱を持つ、グレーに塗られた外壁。

 住む人がいなくなったにしては玄関前に設けられた小さな庭も雑草が伸び放題ということもなく、割れている窓もないし、通行人がゴミをポイ捨てしていってもいない。

 隣の敷地と隔てるブロック塀にはまだ比較的新しい自転車が日よけのカバーをかけられたまま置き去られており、今も誰かがここに住んでいるかのようだ。

「うーん、あまり心霊スポットには見えませんねえ……」

「ついこないだまでは住人がいましたから。夜逃げしてったみたいですけど」

「なぜかここに住む人みんなそういう末路になるんです」

 大鶴はしゃがんで庭の土の状態を観察した。

「……誰かが粒剤タイプの除草剤をまいた痕跡がありますね。手作業でも除草したようです」

「え、前の住人ですかね?」

「いえ、夜逃げしたというのが本当なら、庭の雑草を手入れしている時間的余裕なんかなかったはずですよ」

 それもそうか、と小堀たちが納得顔で手を打つ。

 大鶴は立ち上がって玄関ドアに近寄り、周辺に注目する。

 玄関ポーチに敷き詰められたベージュのタイルには、砂塵が堆積してもいなければ泥で汚れてもいない。こちらも庭の雑草のように掃除されているということだ。そういえば自転車のカバーの表面にも砂埃は溜まっていなかった。

 玄関ドアには「置き配お願いします」と書かれたステッカーが貼られていた。図案と品質のちゃちさを見るに、確かこれは百均で売られている安物だったはずだが、表面に劣化は見られず、まだ貼られて間もないようだ。

 ここまででじゅうぶん情報は出そろった。

「まぁ実際に幽霊が実在するかはともかく、奥田くんがここへ行くなとクラスメイトに要求したのは、まず間違いなく霊感に目覚めたわけではないと思いますよ。ではなぜ、彼はこの家から物見遊山の集団を遠ざけようとしたのか?」

 ふだんは腫れ物を触るように遠巻きにされることが多く、正斗のほうから小堀たち以外のクラスメイトに絡みにいくこともほぼないと聞いている。

 今回彼がバレー部員たちの肝試しを止めたのは相当なレアケースだ。ちゃんとした動機があってのことのはず。

「……えっと、理由は分かんないけど、奥田がこの家を掃除してたってことすか?」

 考え込みすぎて頭から湯気が出そうな小堀の問いに、大鶴はゆるりとかぶりを振った。

「奥田くんではない人がこんなことをしているからこそ、奥田くんはこの家を肝試しご一行から守ろうとしているんだと僕は踏んでいます」

「ここの前の住民と奥田が、実は仲良かったとか? その縁でこの家が荒らされないようにしてやりたかったとか……」

 ほんの少し好奇心の光を黒い目に宿し、律儀に挙手して増岡が訊いた。

 増岡の素朴な意見に大鶴は首をひねり、

「そんな素振りがあったんですか? まぁ、そりゃあ僕よりはきみたちのほうが奥田くんの交友関係には詳しいでしょうけど……。というか、きみたちなら直接奥田くんに訊ねてみればあっさり答えを教えてもらえるでしょうに」

「いや、そうでもないです。誤魔化せそうなら話さないと思います」

「この空き家については俺ら関係ないですしねー。奥田は俺らの前で自分の能力を発揮するの怖がるとこあるんで……いい加減信用しろって言ってるんすけどね」

「怖がる、ですか」

 確かに、将棋部のモニターの異音にしても、大鶴のかくれんぼの真意を見抜いたときにしても、長沼のスマホをスってきたときにしても、正斗はどこか居心地悪そうに自分の推理を話した。


「……それは、彼が自分のそういった能力を疎んでいるからでしょうか。父親を彷彿とさせるから?」


「「ノーコメントで」」

 さすがに今のは本人不在の場で踏み込みすぎだったようだ。

 即座に顔の前でバッテンを作って黙秘するふたりから、大鶴は潔く引き下がる。

「今のは僕が不躾でしたね、失礼しました。……ともかく、奥田くんにはおそらくこの家や住民ではなく、この住所が見かけ上ことが重要なのではないでしょうか?」

 大鶴の推理に、とっさに意味が取れない小堀と増岡がきょとんとする。

「大鶴さん、ぜんぜん分かんねっす」

「奥田の理解力を高校生の平均値だと思ってコミュニケーションされると困ります、大鶴さん」

「ははは! そうですねえ、ついやってしまいました」

 大鶴は繊細な顔の造りに反した豪快な笑いを収め、

「僕はね、本当に奥田くんのことが好きなんですよ」

「「え?」」

「ん?」

「「えっ?」」

「はい?」

 目を丸くしている小堀と増岡の顔を見て、あれ、と大鶴の優秀な頭脳がデジャブを検知する。先日も同じような疑問符のラリーが起こり、会話が急に滞ったことがあった。あれは正斗を病院に送っていく車内での出来事だったか。

 あのときもラリーが発生した根本原因は不明瞭なままだったが、今度はなぜこうなったのだろう。正斗、小堀、増岡は男子高校生で友人どうしという共通点があるが、大鶴の言動のどこかが彼らに共通の感性を逆なでするとでもいうのだろうか。

 嫌われたくない正斗に比べれば小堀たちには無遠慮な問いかけが許されるので、大鶴は「どうかしましたか」と訊ねようとした。

 が、その先手を取って増岡が、

「……すみません大鶴さん、今のは……」

「ちょちょちょ、待て増岡!」となぜか小堀が青ざめて隣の友人を制しようとする。しかし増岡は眉間に皺を寄せてそれを押しとどめ、大鶴の顔を見た。

「ただの軽口ならいいんですけど、まぁ一応確認を。気を悪くさせてしまったらすみません。……大鶴さんって、助手にしたいだけじゃなくて、奥田と付き合いたいんですか?」


 ――時が止まった。


 小堀があわわと口元を押さえて増岡と大鶴を交互に見ている。

 増岡は調書を作成する警察官みたいな顔で大鶴と対峙したままだ。

 大鶴は――常の澄ました笑みのまま、硬直していた。

(………………つきあい、たい??)

 全力稼働中のドラム式洗濯機のように形のいい頭蓋の中を同じ文章がすごい勢いでぐるぐる渦巻く。

 それでもえらいもので、大鶴の頭の中のそろばんは轟音を奏でる洗濯機の隣で計算を弾き出している。

 要するに増岡たちは、大鶴が発した「好き」という言葉から、大鶴が正斗を恋愛的な意味でも好ましく思っているのではないかと考えたようだ。

 いやいや。

 探偵と助手の出会いを運命の恋にたとえたのは芦原で、大鶴はそんな突拍子もない思想に同調したことは一度もない。

 助手は助手、恋人は恋人、常識的に考えて二者は別物だ。

 それに、大鶴がこれまで交際した恋人たちはみな女性だし、どんなに可愛かろうが美しかろうが逞しかろうが、同性に食指が動いたことはない。

 自由恋愛の解釈がさらなる広がりを見せつつある現代、そのさなかを生きる少年たちに妙な気を遣わせて悪かったなぁと自らの軽率な発言を反省しつつ、「まさか、違いますよ!」とにっこり微笑めば、誤解は解けるだろう。

 ……誤解。誤解か? 本当に?


「…………」


(確かに『とても好き』になるのに、あの子が男だという点はまったく気にしなかったなぁ)

 小堀と増岡がその反応を固唾を呑んで見守る中、大鶴は難題を考えるように宙に視線を投げ、ゆったりと腕を組んで、大真面目に首を傾げる。

「……そうか、そうですね、考慮すべき盲点でした。そういう『好き』の可能性も、この世にはあるんでしたね。なるほど、なるほど……これは改めて自分の感情を精査しなくてはいけないかもしれませんね」

「増岡ァッ!! バカ!! 藪蛇じゃんかよ!!!!」

「す、すまん……」



 夜八時すぎ、あの空き家の前へ行くと、めちゃめちゃ目立つ探偵がいた。


「……は~~~~っ……」


 見なかったふりもできないし、この家に用があるのは正斗も同じだし、そもそもすでにこっちに気づかれているし、髪をかきむしりながら歯ぎしりするしかない。

 いま最も様々な意味で気まずい相手のところに、嫌々歩いて行く。向こうはこっちと真逆でやたら上機嫌ににこにこしているもんだから腹立たしい。

「……そんな予感はしてましたけどねぇ、もはやっ! まさか探偵さん、俺に盗聴器とか仕掛けてないでしょうね? ここまで来ると疑わしいんですよ!」

 今週の頭にこの空き家のピンチに気づいてから、ほぼ毎晩様子を見に来ていたのは事実だが、正斗は誰にもそのことを話していない。それなのに当たり前のように待ち伏せされているのは怖い、怖すぎる。

 じっとりと半目で睨むと、黙っていれば月の神みたいな見た目の大鶴はくすくすと笑い、

「やりませんやりません、きみに嫌われたくないですし」

「どうだかー……まぁもう見つかっちまったし、天下の探偵さんを相手に情報源を聞き出そうなんて思い上がったことは試しませんけど……」

 すでに漏れてしまった情報の出所なんて気にしてもしょうがない。そもそも相手が相手なので、自分に関するたいていの情報は筒抜けになっているのを前提に接しようとかなり前に決めている。

 大鶴は追及されなかったことに少しほっとした様子だ。何だ、ずいぶんと分かりやすいな?

「奥田くんがだんだん僕に慣れてきてくれて嬉しいです。あ、今日は眼鏡かけてないんですね。新鮮で結構ですが、夜に裸眼で外出するのは危ないです」

(……う、忘れてた)

 つい何の重みもかかっていないこめかみ辺りに指をやってしまい、少し髪を切っただけの変化を目ざとく気づかれた女子じみた落ち着かない気分になった。

 それを隠すようにふんと鼻を鳴らす。

「平気です、アレが伊達だって探偵さんも気づいてたでしょ? 肝試しご一行と鉢合わせしたときに俺だってバレると困るから、変装ですよ」

 ふうん、と大鶴の目が眇められる。

「眼鏡に顔の印象を集中させる。奥田くんは普段から変装しているようなものなんですね。当然のように周囲の目を警戒している人の行動、というか、ノウハウですか」

「……」

 図星だからこそ正斗は視線を外して黙秘した。大鶴は忘れたころにこうして踏み込んでくる。タイミングが読みづらい。

「それで、きみはどうしてこの空き家をこうも気に掛けているんです?」

「探偵さん、帰ってくれる気ないですか?」

「ないですね!」

 ダメだった。

 会話をぶった切って直球をぶつけても、大鶴はにこやかにノーを突きつけてくる。

「あぁそうだ、今のうちに189に連絡しておいたほうがいいですか?」

「……もう全部分かってるんじゃないですかっ。今日答え合わせできるかは当事者次第ですから、いったんそういうのは待ってください」

 さらっと核心に迫ってくるから、探偵って生き物は本当に厄介だ。189番に電話をかければ、夜間だろうが近くの児童相談所に繋がる。どういう理由で早々とそこまでたどり着いたのか知らないが、その手段はまだ早い。

 大鶴は「了解です」と案外あっさり引き下がった。

 正斗ははあ、と溜め息をつき、

「しばらく隠れて様子を見たいんでこっち、犬走りのほう来てください」

 手招くと、大鶴は素直についてきた。

 隣との境界線になっているブロック塀と家の間、文字通り犬が走れるくらいの細い空間がある。

 エアコンの室外機の手前には掃き出し窓があり、その下には――。

「!」

 そのとき、いきなり大鶴が額を押さえてよろめいた。

 正斗は反射的にその肩を下から押すようにして支える。慌てて、

「ちょっと! 急にどうしたんです、大丈夫ですか?」

「ははは……やぁすみません、こんなところに血痕があったものですから、不覚にも驚いてしまいました」

 一瞬後には大鶴は元の食えない笑みに戻り、しっかりとした立ち姿ですぐそこのコンクリートに広がった暗く赤い染みを指さした。

(いや、探偵が血の跡見て立ちくらみとか……)

 そんなことがあるかと正斗は困惑しつつ、さっと大鶴の正面に立って彼の視界から血痕を隠した。今さら血痕くらい気にする職の人じゃないと思っていたから、何も言わずに隠れ場所としてこっちへ引っ張ってきたのに。

「前の住人が心中未遂したときのヤツですね……あの、血が苦手なんですか? それでよく探偵になれましたね」

「いえ、元々はぜんぜん平気だったんですよ。血でも内臓でもどんとこいでした」

 正斗は無言で先を促した。

 自分の情報ばかり知悉されているのは気分が悪い。苦手なものくらい明かしておけと視線で圧をかける。

 大鶴は苦笑して、

「……三年前に著名な探偵の助手たちが逆恨みで狙われる事件がありまして、僕の大学時代からのスタッフたちも犠牲になりました。そのときに現場で見た大量の血の影響で、身体と脳が勝手に反応してこの有様です。実は今も医者に重大事件に関わることを止められてるんですよ、とにかく血を見るな、とね」

「……」

 正斗はなんと言えばいいものか分からず、唖然としてしまった。三年前といったらちょうど父親が殺された時期だったから、そのころ世間を騒がせていたニュースを正斗はほとんど知らない。まして大鶴がそんな目に遭っていたなんて知っているはずがなかった。

「それもあって、白羽高校での講演を担当することになったんですよ。キレの鈍った探偵は、せめて宣伝でくらい役に立たなくては。……まぁ、そこできみに出会えたわけですから、結果はオーライ、史上最高の黒字ですよ」

「……そ、……ですか」

 強がっている感じでもなく、冗談めかして余裕綽々に言われた言葉を、いつもならそっけなくあしらっている。しかし今は、息苦しい途切れ途切れの返事でお茶を濁すくらいしかできなかった。

 縮こまってしまった正斗に大鶴のほうが焦って、「奥田くん、僕は大丈夫ですよ」と口を開きかけたとき。

 湿度の高い夜気の向こうから接近してくるバイク音が聞こえてきて、ふたりははっと通りのほうを振り返った。

 しばらくして、宅配便の兄ちゃんがやってきて、玄関前に小包を置いていった。

「置き配OKのステッカー、貼ってありますもんね」

 大鶴が呟いた。

 バイク音が遠ざかっていく。

 それからまたしばらくして、今度はフードをかぶった小さな人影がこそこそと歩いてきた。

 玄関前の小包を大切そうに抱え、きびすを返そうとした彼を、正斗と大鶴は「ちょっと」と呼び止める。

 びくっと飛び上がるくらいに驚いて、小学生くらいの少年は恐怖に染まった顔でふたりを見上げた。




 少し前、正斗はちょっとした夜の散歩中にこの少年を見かけた。

 こんな子どもが夜中にどうしたんだと訝しみ、気づかれないように注意しながら後をつけた。

 すると彼はこそこそとこの空き家へ向かい、そこでさっきのように玄関前に置いてあった荷物を持ち去った。

 最初は置き引きかとも思ったが、その家の住人は先日夜逃げしたばかりだ。この住所に荷物の配達を頼む人間はいないはずだ。では後ろ暗いブツの受け渡しか? 大人が裏で糸を引いていて、少年は何かの受け子として使われているというセンはないか?

 いくつかの可能性を考えたが、空き家の様子を観察してみると、真新しい「置き配OK」のステッカーがどうしても気になった。

 ひとまず、荷物は置き配されたものだと仮定する。

 すると、住人が去ってまだ日が浅いこの空き家を、自分の荷物の受け取り用住所として使っている誰かがいるということになる。

 その誰かは何らかの理由で自分の家を配達先にすることができないのだろう。

 だが、それだけなら荷物の受け取りスポットなんかを利用すれば解決するはずだ。この辺でもコンビニやドラッグストアが対応している。

 それもできないなら、その誰かはそういった店でたびたび荷物を受け取ると店員に怪しまれる人物ということだ。大人に怪しまれる、それっぽっちのことが致命傷になると考えている人物。

 あの少年は条件を満たし得るだろう。……彼がいま、正斗の想像通りの苦境にいるのならば。


「袖、めくって」

 空き家の前で捕まえた未来に、正斗は静かに言った。

 彼はびくびくしながら、諦めたような、罪悪感に押しつぶされているような、同時にかすかな希望に縋り付くような表情で長袖をたくしあげる。

 予想通り、そこにはおびただしい痣があった。明らかな虐待の証拠だ。背が低く痩せぎすな身体を見るに、食事も満足に与えられていないのだろう。

「どうやって買い物してたんだ」

「……い、家のパソコンで……」


 少年がか細い声でようよう説明したところによると、彼は夜職の親のPCを隠れて使い、親のアカウントでバレない額の生活用品や食糧を都度購入していたらしい。

 金遣いの荒い両親はクレジットカードの履歴では気づかない。

 気づかれるとしたら、家に覚えのない宅配が来て怪しまれた場合だ。親が仕事の時間帯に配達を指定すればいいと思ったが、セール時期で配る荷物が多かったり天候不順などで時間通りに来てくれるとも限らないし、あまり頻繁だと近所の人に怪しまれ、そこから親に伝わるかもしれない。

 しかし小汚い子どもが宅配受け取りスポットをたびたび利用すると、それはそれで店の人間に怪しまれる。

 考えて考えて、少年は住人が夜逃げしたばかりの空き家を置き配先に使うしかないと思いついた。

 見るからに空き家だと宅配の人にやはり怪しまれるから、夜中にできる限り雑草や汚れの掃除をした。ネット通販で買った除草剤をまき、玄関ドアに百均で調達した置き配OKのステッカーを貼り付けた。

 そうやって親の留守中に家を抜け出しては、注文した小包を置き配先のこの空き家から回収していたのだ。


「……先に言っとくけど、このことが露見したからっておまえが親相手の盗みで有罪になるとかはないから。それを踏まえて、俺らにどうしてほしいとか言える?」

「……、……」

 やはり、少年は緊張に固まったまま答えなかった。顔色は相変わらず紙のように白い。

 ふむと大鶴が眼を眇め、

「なるほど。奥田くんはこの子が虐待されている可能性に思い至っていたから、この空き家へ肝試しに行こうとしていたクラスメイトを止め、毎晩警邏よろしくここへ通っていたんですねえ」

 わざとらしく驚いているように聞こえ、正斗はむっとする。全部分かっていたくせに。じゃなけりゃ189番のことなんて口にしないだろう。

「えぇ、全部探偵さんの推理通りですよ。……俺が虐待の可能性に確信を持ったのなんて、今日の夕方こいつとすれ違ったとき、腕を掴んだときの痛がりようを見てやっとです。でもすっごい死に物狂いで逃げられたんで、荷物を回収する現場を押さえないと白状しないと思いました」

「酷い扱いを受けていても、親を庇いたがる子どもが多いですからね。でも、どうしてすぐに僕を頼ってくれなかったんです?」

「寺崎のときみたいに、スピード解決重視でソッコー通報するかもしれないと思ったので」

 即答した正斗に、珍しく大鶴がきょとんと目を瞬いた。

「あのときはあれが正しい対応だったってことは分かってます、でも今回は……こいつ、俺たちに見つかってから一度でもほっとした顔しましたか? 通報するか通報しないか、大ごとにするかしないか、親の命運がいきなり自分の反応に懸かってきたんじゃ、恐怖が勝って当たり前でしょう。そんな状態で返事を急かしたって、本人の気持ちは置いてけぼりですよ。……誘導された答えだとしても、最後にはこいつが自分でイエスと言わなきゃ納得したことにはならないし、感情の整理もつきません。それには多少なりと時間がかかるんです……ちょっとは待ってやってもいいでしょ」

 ぼそぼそと、淡々と説明する正斗の顔を、背の低い少年が呆然と見上げていた。

 凝視されて気分がいいわけがない。いま正斗が口にしているのは、自分がそうしてもらえなかった記憶と、父親に叩き込まれた思考を元にした言葉だからだ。

 ごめんなさいこうさせていただきます、よりも、こうさせていただきたいのですがよろしいでしょうか? と訊いて返事をさせたほうが相手の感情は収まりやすいのだとか。実質的には誘導されて出した答えでも、イエスかノーかを答えた選択のほうが、人間は後悔しづらい――逆に言えば、後戻りできなくなりやすいのだとか。そういうろくでもない教えだ。

 そんなものを、過去の自分と似たような境遇にいる子どもにあてはめて応用しようとしている。それが後ろめたい。

 黙って聞いていた大鶴が少し困ったように笑った。こっちの据わりが悪くなるような、いやに柔らかいまなざしを向けてくる。

「そういうことなら納得しました。寺崎先生もおっしゃっていましたね。きみは『感受性と共感能力が高すぎてすり減ってしまう』と」

「……? 何ですかそれ、的外れな……。いつそんなこと聞いたんです?」

 思いも寄らない名前を出され、今度は正斗が戸惑った。大鶴は「いえ、何でもありません」としれっとかわすし、目がずっと柔らかいし、なんか……なんかウザ……。

 大鶴と少年の二方向から見つめられて、居心地の悪さが限界を突破した正斗は顔を背けて言いたいことは終わりだとオーラでアピールした。

 大鶴が仕方ないなぁと言わんばかりに泰然と肩をすくめ、少年に視線を移す。目の高さを合わせてあげようとか自分の長身から来る圧をかがめて軽減してあげようとかする素振りは微塵もない。結局根っこの部分が傲慢なのだろうと正斗が目している探偵は、子どもに相対しても堂々としている。

「僕は大鶴京紫郎といいます。探偵です。こちらの素晴らしく優秀な高校生は奥田正斗くん。きみのお名前は?」

 少年は少し芯が戻った声で答える。

「……折口未来おりぐちみらいです」

「ごきょうだいは?」

「……一人っ子です」

「では未来くん、立ち話も何ですから僕のマンションにでも移動しましょうか。ご両親は明け方にご帰宅の予定なんですよね? 大丈夫、何の説明も了承もなくどこかに連絡したり、住処を決めたりはしません。どうですか?」

 未来は数秒考え込んでから、おずおずと、

「……それはこのお兄さんも一緒ですか?」

「えっ?」

「一緒のほうがいいですか?」

「……できたら」

「分かりました」

「ちょっ、おい!」

 正斗は慌てて大鶴の安請け合いを制止しようとしたが、ぎりぎり間に合わなかった。

 はははと小揺るぎもせず笑っている大鶴が「まぁ落ち着いて、未来くんの前ですよ」とか言ってくる。

(冗談じゃない、助手になってくれとか好きだとかのたまう危険な宇宙人の巣なんて行きたかねーよ!!)

 誰のせいで夜な夜な散歩しなきゃならないほど頭を悩ませてると思ってんだ!!

 よっぽど怒鳴り散らしたかったが、この場には未来がいる。男の大きい声は怖いかもしれない。結局ちっぽけな子どもの顔色をうかがって、正斗は耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶことになった。

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