第25話 姉の想いと涙
家を飛び出した遥香の足は、自然と妹の家へと向かっていた。
怒り、不安、戸惑い――頭の中はぐちゃぐちゃで、自分の感情すらも掴みきれない。
(なんで……志人くんが、あんなことを……)
強引すぎる。けれど、真っ直ぐだった。
みちを本気で想っていることは、あの目を見ればわかった。嘘は、ついていない。
――それでも、私は姉だ。
みちの未来を想えばこそ、簡単に首を縦には振れなかった。
(みちが…本当に大学を辞めてもいいなんて…)
確かめずにはいられなかった。
妹の家の鍵を開けると、リビングの扉を勢いよく開けて――
***
今まで喧嘩なんてしたことはなかった。
だって、歳は15も離れているのだ。
今でも、あの夏の日を思い出す。
中学3年生の夏。学校から帰ると、身重の母の姿がなく、テーブルの上には「生まれる」とだけ書かれたメモが置かれていた。
急いで病院に駆けつけると、ちょうど赤ちゃんの産声が響いたところだった。
か細い、小さな命――妹、みちの誕生。
母と一緒に発語の練習をした。
少しずつ、言葉を覚えていくその様子を見守りながら、私も自然と一緒に練習した。
ある日、高校から帰ると、玄関まで走ってきて――
「おねえちゃん!」
そう言ってくれたあの瞬間。嬉しさと感動で、涙が止まらなかった。
その私の頭を撫でながら、まだたどたどしく「いいこ」と言ってくれた。
あの時からずっと、守りたかったんだ。
みちの家を飛び出したあと、コンビニの前のベンチに座り、缶コーヒーを一口含んで、そんなことを思い出していた。
……志人くんは、私にとっても大切な「家族」になるのかもしれない
なのに、どうしてもあの時は許せなかった。
「みちの人生を奪おうとしてる」と、勝手に決めつけて、怒鳴りつけて……感情に任せて、みちにもひどいことを言ってしまった。
あんなに怒鳴ったのは初めてだった。
みちの目に浮かんだ涙が、今も焼きついて離れない。
足取り重く、私はふらりと家に戻った。玄関を開けると、忠司が静かに言った。
「志人くん、ちゃんと話してったよ。自分の覚悟も、みちの気持ちも――全部」
私は黙ったまま、上着を脱いでソファに腰を下ろした。
「志人くんね、言ってたよ。『自分も、本当は卒業してからでもいいと思ってる』って。みちには、やり切ってほしいってさ」
「……」
「みちちゃんと遥香、お互いがちゃんと想いを伝え合えるように――それを一番に願ってるってさ」
私は、知らないうちに涙があふれていた。
(なんでよ……なんで、あんな大事なことを……)
彼は、自分だけの想いを押しつけたんじゃなかった。ちゃんと、みちの想いを支えようとしてくれてた。
そして、その気持ちを、私にも伝えに来てくれた。
私の怒りは、彼にじゃなく――
怖くて仕方なかった自分自身に向けていたのかもしれない。
私は、スマホを手に取る。
震える指で、みちにLINEを打ち始めた。
***
スマホの通知が鳴った。
リビングの片隅で、ようやく少しだけ落ち着きを取り戻していたわたしは、その名前を見て胸がきゅっと締めつけられる。
「遥香」――お姉ちゃんだ…
震える指で画面を開く。
⸻
遥香:
さっきはごめん
本気で怒ってたし、何より…怖かったの
みちがどこかに行っちゃうみたいで
でもね
志人くん、ちゃんと話してくれたよ
みちのこと、ちゃんと考えてるって
自分も、卒業してからの方がいいって思ってるって
今のみちの努力を、大事にしてほしいって
あの子、ほんとにみちのこと…愛してるんだね
だから、わたしももう少し冷静になるね
でも
お姉ちゃんとしては、やっぱり
みちには、今やってることを“ちゃんとやりきってほしい”
その上で選んだ道なら、どこにでも胸張って送り出せるから
焦らなくていいよ
ちゃんと、伝え合っていけばいいよ
みちの人生は、みちのものだから
⸻
読み終えたときには、涙で画面が滲んでいた。
ぐしゃぐしゃになった顔を手で覆いながら、わたしは思う。
(お姉ちゃん……ありがとう)
わたしの「夢」も、「未来」も
どこかで、ずっとお姉ちゃんの想いに支えられていたんだ。
心の奥で、やっと何かがほどけていく音がした。
静かな夜の中、スマホを胸に抱きながら
わたしは、深く深く息を吐いた。
***
長いLINEを打ち終え、しばらくすると既読がついた。……みち、ごめんね…ありがとう。
また涙が溢れ出す。
騒ぎに起きてきた娘が私の隣に座った。
そして目を擦りながら私の頭を撫でた。
「ママ…泣かないで」
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