第7話 確かにある
志人と会うのは、公園にしようと決めた。
この場所なら、誰かに邪魔されずに話せる気がしたから。
約束の時間より少し早く着いたけれど、すでに志人の姿があった。
わたしの姿を見つけると、軽く片手を上げて微笑む。
──その笑顔を見ただけで、今まで張りつめていたものがふっと緩んだ。
「久しぶり」
そう言うと、志人はベンチをポンポンと叩き、隣に座るよう促した。
腰を下ろした瞬間、下を向いたまま指先が動かない。
何から話せばいいんだろう。でも、迷っている場合じゃない。
『……彼と、別れた』
それだけ言うと、志人は黙ってわたしを見た。
追及しようともしない。ただ、聴く準備をしてくれている。
それがわかるからこそ、わたしは少しずつ、少しずつ言葉を紡いだ。
彼がくれた優しさ、彼と過ごした時間。
でも、最後には「普通の人と付き合いたい」と言われたこと。
そして、それがわたしにとってどれほどの痛みだったのか──。
『悔しいんだ……! 別れたことじゃなくて、“見えない壁”が確かにあるってことが……!』
気づけば涙が頬を伝っていた。感情が一気に吹き出したため、きっと何を言っているのかわからなかったのではないだろうか。
志人は静かにわたしの頭に手を置き、ポンポンと軽く叩いた。
少し何か考えてから、わたしの顎をクイッとあげた。
出逢った日、あんなに嫌だった顎クイに促されるままに顔を上げると、彼は優しく微笑んでいた。
「さっきの……壁があるって言いたかったのかな?」
「まあ、確かに、見えない壁はあるよ」
その言葉に、心臓がぎゅっと締めつけられる。『どうせ、わたしなんか…』そう言わんとするわたしの指先を彼はそっと押さえて続けた。
「でもな、それって必ずしも悪意で作られたものばかりじゃない。たとえば、人種や文化の違いだって、壁になることがある。でも、それは全てが相手を否定してるわけでもないんだ」
志人は言葉を選ぶように考えながら、時折、わたしのスケッチブックに文字を書きながら、口元を指差しながら続けた。
「だから、壁を壊すのか、乗り越えるのか、それとも別の道を探すのか……それは、みちが決めていいと思う」
一言、一言が包み込んでくれているように感じた。
わたしが決めていい──。
その言葉を噛みしめたとき、不意に頭の中に結葵の顔がよぎった。
──もう、面倒くさい。
あの日、結葵にそう言われたときの胸の痛みが蘇る。
あのときのわたしは、彼女に頼りすぎていた。
それが負担になっていたことにも気づかず、ただ「耳になってくれる人がいなくなる」ことばかりを怖がっていた。
『……わたし、ずっと誰かに頼るばかりだったのかも』
志人は「ん?」と小さく首をかしげる。
『結葵っていう、幼馴染がいたの。小さい頃からずっとわたしの”耳”になってくれてた。でも、中学のとき、『もう面倒くさい』って言われて……それ以来、連絡も取ってない』
自嘲するように笑うとまた涙が溢れ出す。志人は「そっか」とだけ言って、わたしの頭をくしゃっと撫でた。
「今もしかして『わたしなんか…』なんて考えてたべ?そんな言葉は口に、いやこの指で言うんじゃなくて、そのまま涙で全部流しちゃえ。」
そしてしばらくして
「俺だったら……壁のこっちとあっち、行き来できるようにドア作るかなあ」
(……ドア?)
思わずキョトンとしてしまう。涙も止まってしまうくらい、予想外の言葉だった。
「だってさ、どっち側にいたって、同じ世界なんだし」
そう言って、彼は笑った。
──ああ、なんでだろう。
こんなに単純なことなのに、今まで考えもしなかった。
『……なんか、志人さんの言葉聞いてたら、少し楽になった』
「そりゃよかった」
彼はそう言うと、不意に「そうだ」と手を叩いた。
「今度、映画見に行こうよ」
『え?』
いきなりの提案に戸惑うわたしを見て、志人は肩をすくめる。
「俺はカッコよく『君の耳になる』なんて言えないけどさ……まぁ、一緒に何かを楽しむくらいならできるだろ?」
からかうような笑顔。でも、その言葉の奥にある彼の優しさを、わたしは見逃さなかった。
小さく息を吐いて、わたしは頷いた。
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