1-08『異世界式魔術』

 俺は背後から山鬼オウガを盾に少しずつ距離を詰める。

 魔力MPは使わない。

 隠れた俺を見失ったことから、索敵には基本的に視覚を用いていると思うが、それ以外の感知手段――たとえば魔術の発動なんかを感知してくるタイプのモンスターもこの手のゲームには多い。それでは不意打ちが不可能だ。

 これまで《左手装備》枠だった武器――《森小鬼の儀式剣ゴブリンアゾート》を利き腕の右に持ち替え、背後から機を窺う。


 すぐ真後ろにいても山鬼オウガは反応しない。

 まあ、こいつには悪いが、俺のための肉壁になってもらおう。

 山鬼オウガでもレベル56だし、レベル80のスプリゲイトにはまるで及ばない。


 というか、たとえ同レベル帯だったとしても、ボスモンスターであろうスプリゲイトと、おそらくただの一般モンスターに過ぎない山鬼オウガでは、根本的な能力の差があると思われる。

 割り切りは大事だ。


「グ、ウァアァウゥ……!」


 山鬼オウガを視認したスプリゲイトが、ひと声、唸る。

 鬼を見る彼の目には――目があるのかどうかも判然としないが――何か憎しみらしき感情が籠もっているように思えた。

 それでも唸りを漏らすだけで、さきほどのように狂気に満ちた様子で突進するようなことはなかった。


「さっきみたいに、まっすぐ向かっていくもんかと思ったが……」


 見失った俺という《敵》の存在を考慮に入れて、警戒を怠っていない、のか?

 だとすれば、スプリゲイトには理性的な判断能力がある……?


 ……そういえば、こいつはいったいどんな種類のモンスターなんだ?


 根本的な疑問に俺は首を傾げた。

 見た目的には甲冑の騎士といったところなのだが、それを纏っているのは、ヒトガタではあるが影のようなあやふやな《何か》だ。

 深夜にブラウン管のテレビにでも映し出されていれば立派なホラーになるだろう。まあブラウン管テレビなんて映画でしか見たことないけれど。


「幽霊とかそういうタイプなのか……?」


 まあボスクラスのモンスターならオリジナルの何かでもあり得なくはないが、にしたってモチーフが謎だ。

 ゲームにおいて、この手の《動く鎧》系のモンスターは、鎧自体が本体ではないというのがデフォだと思うが、中にいる砂嵐っぽい影の正体がわからない。


 まあ鎧にしろ、その内側の影にしろ、物理攻撃の効き目が薄そうではある。

 となると、やはり攻撃としては魔力攻撃が肝要だ。

 使うのは攻撃力が最も高い――といいなと思われる――森小鬼ゴブリン由来の《闇の魔弾》がいいだろう。奴もこれだけには反応したし、もしかしたら何か特攻ダメージでも乗るかもしれない。

 逆に鬼の攻撃は無効化してくる的な特殊能力があるかもしれないが、この手のことは言い出したらキリがない。一発勝負なのだから、ある程度は賭けが必要だ。


 問題は発動速度。

 正確な動きで陣を刻んで撃ち出すまで待ってもらうなんて――そんな猶予はとてもじゃないが期待できない。

 目の前の山鬼オウガがどれほど時間を稼いでくれるかにもよるが、正直ここがいちばんの賭けになる。


 俺がの手段で魔術を発動できることが最低条件。

 システム的にできなければ負け。

 できても失敗すれば負け。

 仮に成功しても通じなければ――やっぱり負けだ。


「――へへっ」


 あまりにも分の悪い賭けに、思わず笑みが零れてしまった。

 まあ命が懸かっているわけでもなし。

 格上狩りは、やり込みプレイヤーの基礎スキルだ。


 ゆっくりと――葉の擦れる音すら立てないようスプリゲイトの背中側へ回る。

 スプリゲイトと相対する山鬼オウガと組んで、挟み撃ちにするような形だ。


 無論、実際には組んでいるわけじゃないが――


「――!」


 山鬼オウガが動いた。

 巨大な金棒を振りかぶると、鋭い動きでスプリゲイトの鎧へ縦に一閃する。


 それを、スプリゲイトは回避すらしなかった。


 頭の甲冑で受け止める。いや違う、――受け流す。

 鎧の表面を滑らせるように振りの勢いを殺して最接近。

 曲芸じみた動き。

 モンスターとは思えない、それは完全に《武芸》としての動きだった。

 山鬼オウガの一撃は、スプリゲイトに一切の傷をつけることなく、ただ地面の土だけを巻き上げた。


 とてもゲームのモンスターとは思えない、流麗とすら思える動き。

 それはすなわち、――スプリゲイトの反撃を受ける手段が山鬼オウガにはもう何もないことを意味している。


「あぁ、やっぱダメかぁ……!」


 小さく口の中で零し、見惚れそうな意識を強く保って行動に移る。

 その視界の先で、スプリゲイトの大鎌が円を描くような軌跡で振るわれた。


 撃破演出が暗い森を散り、首を飛ばされた山鬼オウガが霧散する。


 思った以上に役に立たなかった山鬼オウガくん。

 だがともあれ、俺がこの距離まで接近する囮にはなってくれた。


 ――あとは任せておくがいい。


 などと勝手極まりないことを一方的に考えながら、儀式剣を握って飛び出す。

 使うのは当然《闇の魔弾》。

 だが立ち止まったまま悠長に紋様を描いている余裕なんてない。


 ――


 儀式剣に魔力を込め、さきほど学んだ陣を描く。


 通常、魔術を放つ紋様は当然、立ち止まっていなければ描けない。

 空間そのものを目に見えない平面的なスクリーンと見立て、同じ位置にしっかりと陣を刻まなければカタチが成立しないからだ。

 だが!


「一!」


 最初の斜めを描きながら前に走る。

 空間に、黒紫の光の軌跡が淡く線として残される。


「二!」


 横へ一閃。三角形の底辺を空間に刻む。

 もちろん最初の線より前に俺が移動しているため、これでは図形として成立していない。

 だが前に走っていようと、前傾姿勢で高さを変えないようにすれば、軌跡はあとで必ず繋がる。


 スプリゲイトは背後を取った俺に気づき、すでに振り返っている。

 重さなどないかのように軽々と振るわれる大鎌。その攻撃範囲に自ら飛び込んでいくバカなエモノの姿を、果たして彼はどのように捉えたか。

 ――関係ない。


「三!」


 三角形最後の辺を斜め上へ一閃。

 コツは無理に刃を返そうとしないことだ。

 刃物ではなく筆として振るっているのだから、手首を返すより、そのまま刀身の背の方向へ振り上げるほうが軌跡がブレない。


 直後、凄まじい勢いで振るわれる大鎌を、俺はスライディングで潜り抜けるように躱してスプリゲイトの裏へ回る。

 最後の一画が重要だ。

 この位置からでは自分で描いた軌跡がスプリゲイトの体で見えないし、何より一度体勢を崩したせいで正確な高さは感覚での判断になる。


 それは、異世界にいた頃に何度もやった。


 ――


「――四」


 上から下へ、儀式剣をまっすぐ振り下ろす。

 魔術のための紋様は――そして確かに成立した。


 四本の線。それが横から見た俺の視点を基準にして一枚の紋様として重なる。

 三次元空間上に投影された二次元平面のレイヤー同士が重なり、それらを一枚の図形として成立させたのだ。


 異世界におけるアーベル式の奥義。

 というか曲芸。


 累積紋様。


 立ち止まったまま魔術使うとか危なくてやってらんねーよ、という必要に駆られて死に物狂いで習得した過去も、前世だと思えば実に懐かしい思い出だ。

 それがまさか、こうして第二の人生でも役に立つとは思わなかったが――。

 かくして俺の右手に《闇の魔弾》が成立する。


 俺の動きを追って、こちらを振り向くスプリゲイトの巨体。

 だがいくらなんでも振るわれる大鎌の動きよりは、俺が軽く線を引く動作が速い。


「――喰らいな!」


 魔弾が射出され、攻撃が確かにスプリゲイトの顔面を捉えた――。



     ※



 このとき。

 誰も見ているはずがないその光景を、たったひとりだけ見ていた者がいるということに、スプリゲイトも、そして《フギン》も気づいていなかった。


「マジ、すか……!?」


 自分の目で見た光景が信じられず、少女は口を開けて冷や汗を流す。

 旅術師トラベラー《モノシロ》。

 ギルド《FLM》のメンバーのひとりである彼女は、逃走したモンスターの行方に当たりをつけて、この森までやって来ていた。

 理由はわからないが、まるで惹かれるように《森小鬼ゴブリン》たちが同じ場所へ集まっているのがわかったから、それをヒントに居場所を掴んだのだ。


 結果として当たりを引き、彼女は《呪天結界》の領域に入った。


 先に別のプレイヤーがそれを見つけていたのは、驚きではあったが予想外というほどではない。

 何もない低レベルゾーンのこのエリアに、普通のプレイヤーは基本的には訪れないが、別に絶対じゃない。モンスターがエリアを跨いで大移動している以上、誰かが見つける可能性は普通にあっただろう。


 ――異常だったのはそのプレイヤー自身だ。


《フギン》というプレイヤー名が表示されたその男は、どこからどう見たって始めたばかりのニュービーだった。

 にもかかわらず、彼は現在のプレイヤーレベル上限と同じ80レベルのモンスターを相手に臆することなく戦っている。

 それはいい。

 仮想の体を実際に動かす、という過去のゲームにはなかった要素を含む現代のVRゲームは、ほとんどのタイトルでノウハウが共通するからだ。

 ひとつのゲームに慣れ、単純に動きがいい奴は、別のゲームへ移ったときも最初からそれなりに上手い。なにせ《自分の体を動かす》という要素は、全てのVRゲーにおいて基礎にして根幹なのだから。


 問題は。

 それでもなお難しいとされるこのゲームの魔術の発動を、カンストプレイヤーであるモノシロですら知らない方法で行ったコト。


 紋様投影法――このゲームで言うところの《アーベル式》であり、いわゆる《魔法陣を描く》という手法の最大の弱点は、発動する術者がその場から動けないことである。

 動いてしまっては紋様が崩れる。

 紋様が崩れたら、それだけで魔術は発動できなくなる。


 目に見えないキャンパスに、フリーハンドで正確な図形を描く技術がいるのだ。

 立ち止まって描くことですら慣れがいるのに、それを一直線に走りながら成立させるなど聞いたことがないし、そもそもそれが可能だとすら知らなかった。


 たとえるなら、一直線に並べられた四枚の紙に、走りながら一筆ずつ線を書き入れるような行為を彼はやっていた。

 その上で、あとからその四枚の重ね合わせたとき、正確に図形として成立させているということだ。

 真似をしろと言われても、同じことができる奴がゲーム内に何人いるだろう。

 いくらVRなら現実リアルより正確に体を動かせるといっても、限度というモノがあると思う。


「な、な……、何者……!?」


 このゲームはひとりにつき、ひとつのアカウントしか所持できない規約だ。

 ならば紛れもなく彼は初心者である。

 そんな奴が、トップ層のプレイヤーであるモノシロですら知らない技術を当たり前のように使っている。


 モンスター以上に、その《フギン》というプレイヤーに彼女は興味を持った。


 そして状況は、彼女の目の前でさらなる展開へと進んでいく――。



     ※



 果たして俺の放った魔弾は、スプリゲイトにいかほどのダメージを与えたのか。

 それはわからない。

 だが確かにこの一撃は奴を怯ませたようで、


「グゥ、ア、オァアアアァァァァァ……ッ!」


 スプリゲイトは、猛烈に痛がるように頭を抱えて唸りを上げた。


 ……そこまで威力があったのだろうか?


 俺は首を捻る。

 被ダメージの怯みリアクションにしてはちょっと妙だ。


「な、なんだ……?」


 一瞬だけ困惑するが、ともあれ隙ができたなら考えるより先に追撃だ。

 再び攻撃を行おうと儀式剣を握り締めた俺の目の前で――。


「――

「え……?」


 甲冑姿のモンスターから、予想だにしない――声が聞こえた。


「しゃ、喋るのか、こいつ……!?」


 狼狽える俺の目の前で、けれどスプリゲイトは俺を見てもいない。


「憎い。憎い、憎い憎い憎い――憎い」


 言霊に呪詛が乗る。身を裂くような悲痛な声には、確かに憎悪が乗っていた。

 AIが再現したただの音声のはず。だが、とてもそうは思えない。


「鬼は殺す。鬼は殺す。全て例外なく鬼は殺す。鬼と戦い続けることが俺の使命だ。でなければ誰も報われない。俺だけでなく何も報われない」

「な、何を――」


 困惑する俺の目の前で、次第にスプリゲイトの姿が露わになっていく。

 電磁波のように脈打つ陰影でしかなかった姿が、次第に――まるで生きた人間のように変化していく。


 そして彼は謳った。


「《鬼に祟りを。悪に応報を。我は即ち鬼を狩る三日月。いざ別れを。同族の血に濡れ、同胞の涙に光る、我が牙をここに突き立て誓う》――」


「何を、言って……!?」


 直後だった。

 なぜか俺の背後から、まったく知らない誰かの声が響いてきた。


「――何ぼさっとしてんすか!」

「え……!?」

「早く動いて! ――それは《詠唱》っす!!」


 その声で一瞬、背後に気を取られた。

 黒い森の少し先に、誰か背の低い少女の姿を見たと思った刹那――。


「――《鬼界開門》」

「ほら逃げるんすよッ!!」


 次の瞬間、ふたつのことが生じた。

 ひとつは後ろから思い切り突き飛ばされたことだ。

 いや、正確にはまっすぐ走ってきた誰かが、俺を押し倒すようにして庇ったのだと思う。


 そして、もうひとつが同時に起こる。

 なぜなら回避は、すでに間に合わなかったからだ。


 俺と、そして俺を庇った誰かの体が――スプリゲイトの甲冑から零れた、モノクロめいた影に包まれてしまう。


 世界との接続が、そこで断たれた。

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