第19話 さよならの電話


「え……?」


 小鳩の瞳が揺れて、大きく見開かれる。


「肺がんで、ステージ4だ。末期ってやつだな」


 両の瞳がぎゅっとすぼめられ、小鳩の目から大粒の涙がぽろぽろと流れ落ちた。


「うそ、だろ……」

「本当だ」


 残路は、自分のシャツをめくり上げると、小鳩の手を取った。その手を胸にそっとあてがう。


「ここに……」


 残路の心臓の鼓動する音が、てのひらを伝わった。生きている。その生命の脈動が確かに感じられて、小鳩は涙を呑んだ。


「悪性腫瘍があって、俺の命を削っている。余命は、あと2ヵ月ってとこか」

「2か月!?」


 2か月なんてひどい。すぐそこじゃないか。今、残路は生きているのに、2か月後には影も形も居なくなってしまうのだろうか。実感がわかない。でも、よく考えれば、兆候はあった。

 小鳩は残路に出会った時から今までを思い返していた。

 黄色味を帯びた、土気色の顔色、弱々しいハイタッチ、すぐ座り込む癖。ゼエゼエ言う、息切れ。


 全てが符合して、実感として小鳩に迫って来る。


(死ぬんだ)


 パッと、頭の中に閃きのように死と言う言葉が浮かび上がる。思えば母もガンで死んだのだった。母の時と同じように、残路もいなくなってしまう。

 そう、遠からずいなくなってしまうのだ。


「やだ……」

「嫌か」

「やだよ!」


 バシンと、小鳩が残路の手を振り払って、その体に抱き着いた。


「いやだ……!」

「小鳩……」

「俺、いやだよ、残路と、もっと一緒にいたいよ。ずっといたいよ」

「……小鳩」

「ずっと一緒にいてよ!」


 小鳩は残路の胸に顔を埋めた。縋り付いて、ぎゅっと背中でシャツを握りしめる。


「俺を置いて行かないでよ……!」

「小鳩……」


 母が逝ってしまった時は苦しかった。辛かった。また経験しなくてはならないのか。

 子供っぽい感傷が頭をもたげる。もう一度、大切なものを奪い去られなければならないのか。

 小鳩はその時、はっと気が付いた。


(残路は、俺にとって大切な人だ)


 最初は、何なんだこいつと思った。でも喋って一緒に過ごしていくうちに、小鳩にとって残路は、無二の変え難い存在になっていた。

 残路が小鳩の肩に手を置いて、自分の体からそっと離した。その手で小鳩の頬を包んで、上向かせる。


「ありがとう……」


 額と額が、こつんと突き合わされる。残路の瞳が、すぐ側にあった。小鳩と残路の視線が交差する。

 出逢った時と同じだ。でも、あの時みたいに驚きはない。残路の瞳から発せられているのは、敵意ではなく、もっと優しい色合いだった。


「小鳩、ありがとう……」


 小鳩の両目から、再びの涙が溢れた。残路が、愛おしげに微笑む。


「お前と出逢えて、良かった」



 ブーンと、スマートフォンの振動する音がして、二人は顔を上げた。

 残路のポケットが振動している。彼は、小鳩から手を離すと、ポケットを探ってスマートフォンを取り出し、画面を見た。一瞬驚いた顔をして、くすりと笑う。


「良いタイミングだな」

「誰?」

「上司だ」


 答えると、残路は画面をスワイプして電話に出た。


「もしもし、烏丸です」

『ああ、烏丸くん』

「電話してくる頃だと思ってましたよ」

『はは、何もかもお見通しってポーズ。君らしいよ』

「要件はわかってますよ」

『じゃあ、話がはやい』


 電話の声が小鳩にもはっきりと聞こえた。声は、こう続けた。


『本日只今より君は解雇される』

「ああ、そして、プロジェクトも俺自身もアーク社からは放免される。そうだろ?」

『そうだ。我々は全てから手を引く。君が退職金変わりに欲しがった最後のプロジェクトは、ただのはなむけだった』

「いいぜ」

『……文句を垂れないんだな』


 烏丸は片えくぼを作って笑った。


「おたくらは俺に人間的な最後を迎えさせたいんだろ?最後まで仕事をさせるつもりだったが、あまりにも非人道的だ。それが俺の望みでもな。会社はそれでいいと言ったが、おたくらは……自分達のしていたことに耐えられなくなって、とうとう解雇という手段に出た」

『……』

「おっと、責めようって話じゃない。すまない。いつもの癖でつい、な」

『どうした……?』

「何がだ?」

『お前らしくないと思ってな』

「らしさが変わったのさ今はそう……むしろ……」


 残路が言いよどんで、沈黙が降りる。電話の向こうの人物は、残路の言葉にいささか動揺しているようだった。


「むしろ……おたくらに感謝してる。ありがとう。この電話は、人生最後にしては、いいプレゼントになった」

『らしくないぞ』


 電話の向こうの声が涙声になるのを小鳩は


『ほんとうに……らしくない』

「泣くなよ、枝並さん」

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