第20話 永遠になりたい

 枝並青志えだなみあおしはコーヒーカップを手に持って部屋の片隅を見つめていた。

 そこには青年が座っていて、一心不乱にパソコンに向かっている。

 烏丸残路からすまのこるだ。


 彼はラボの問題児だった。

 協調性は皆無、口は悪い、気に入らないことがあると平然と先輩にでも上司にでもたて突く。

 しかし、彼の才能は誰もが認めるところであり、ラボにとっても欠かせない存在だった。


「枝並さん」


 不意に名を呼ばれ、彼は我に返った。

 烏丸はパソコンの画面を見つめたまま、背中で枝並に語りかけた。


「俺、ガンなんだ」


 枝並は思わずカップを持つ手を強く握った。


「ステージ3。もう長くねえ。一年持つかどうかってとこらしい」


 カップが震える。烏丸は普段から皮肉屋だが、変な冗談を言う様なタイプではない。だとすると、これは本当のことだろう。


「でさ、考えたんだ。俺はこのまま死んで終わるのかって。そんなの、クソつまらないと思わないか?」


 烏丸は笑っていた。そして、勝ち誇ったように言った。


「だから、俺は永遠になることにした」

「……?」


 枝並は彼の言葉の意味を理解できなかった。


「脳の全データをコピーして、俺の思考をそのままAIに移植する。デジタルツインだ。それをクラウド上で稼働させるんだ。そうすれば、俺は死んでも死なない。存在し続ける」


 黙ったまま、枝並は烏丸の言葉を聞いていた。彼ならそれをやってのけることは不可能ではないだろう。


「すごいだろ? 俺の知識も経験も全部そのまま残る。感情だってシミュレートできるようにする。俺はこのラボのどこにでもいて、どこからでもお前らに口を出せる」


 その声には異様な熱がこもっていた。


「……もう少しなんだ。もう少しで、完璧なコピーができる」


 枝並は、烏丸に向かって二、三歩近づいた。

 瞬間、烏丸がくるりと枝並の方を向いた。

 彼の目は異常なほど鋭く、何かに取り憑かれたような狂気を帯びていた。


「人間は、いつか死ぬ。でも、それは間違いなんだ。死ぬ必要なんてない。俺は、この手で"永遠"を作り出す」


 枝並は目を閉じ、深く息をついた。


「……そんなことをして、何に……」

「おたくら、俺がいなくなったら困るだろ?」


 言葉を飲み込んで、枝並が目を開ける。

 確かに、烏丸がいなくなればラボは大きな損失を被るだろう。だが、彼がラボだけにそこまで執着する訳がない。他に目的があるはずだ。枝並は、思わず烏丸に聞いた。

 

「……神にでもなるつもりか?」

「神?」


 烏丸は嘲笑するように鼻で笑った。


「違うな。神は愚かだ。なぜなら"有限"というシステムを作ったからだ。人間の命を短くし、終わらせる。そんなものは欠陥だ。ならば、俺が修正してやる」


 枝並の背筋がぞくりと寒くなった。


「烏丸……」

「見てくれ」


 烏丸はモニターに映る自身のデジタルツインを指さした。


「こいつは俺だ。俺と寸分違わぬ意識を持ち、思考し、変化し続ける。"死なない俺"だ」


 画面の中の烏丸を見る。その人工的な瞳が、一瞬こちらを見返したような錯覚を覚え、枝並は思わず後ずさった。


「こいつこそが"本物の俺"なんだよ。こいつは俺の知識を持ち、記憶を持ち、そして"死なない"。それに比べて、この肉体の俺は……ただの器に過ぎない」


 枝並はぎゅっとコーヒーカップを握りしめた。


「それは違う。君の"生"は、時間と共に変化し、積み重なっていくものだ。そのAIは、過去の君のコピーでしかない。ただのデータの塊だ」

「違う!」


 烏丸が叫んだ。その声には焦りすら滲んでいた。


「俺は、俺を超える! "死"という欠陥から逃れ、"変わらない存在"になり、永遠に進化し続ける!」


 枝並は言葉を失った。烏丸の目には、"理想"ではなく"執着"が渦巻いていた。

 烏丸は自信たっぷりに言う。


「枝並さん、おたくも手伝ってよ。枝並さんのバイオ技術があれば、もっと完璧なものができる」


 枝並はカップを口に運んだ。コーヒーはすっかり冷めていた。

 冷たくなったコーヒーを啜る。


 いつか、この男が誰かを大切に思える日が来るならば、きっと"永遠"の呪縛から解放されるのではないか。

 もしも、彼のそばに"変化することを恐れない"誰かがいたならば。

 烏丸は、"今を生きる"ことを選べるのではないか。

 

 だがその日は来ない。もちろん枝並は、彼の大切な人にはなり得ないし、他のラボの研究員もそうだ。

 枝並は、急に烏丸が小さくなったように感じた。

 細い背中が繰り返す息は細く、震えている。


「君は……"今"を生きていないみたいだな」


 烏丸が怪訝そうな顔をして、枝並を見上げる。


「……どういう意味だ?」

「君は"永遠"を求めることに必死で、"今"を生きることを忘れてるんじゃないかってことさ」


 烏丸は枝並をじっと見つめた。彼の瞳は、冷たい光を湛えながらも、どこか虚ろだった。


「君がこんなことを考え始めたのは、ずっと一人だったからじゃないのか?」

「……」

「もし、君が"変わらない存在"じゃなくて、"変わることのできる存在"を大切にできたなら。誰かと一緒に、有限の時間を過ごすことができたなら……」


 枝並は言葉を選びながら、ゆっくりと続けた。


「もしかしたら、君は"永遠"なんて求めなくてもよく……」

「誰かと一緒にいれば、死が怖くなくなるとでも言うのか?!」


 烏丸が叫ぶ。しまった。彼を刺激してしまった。枝並は、慌てて言い直す。


「……いや、死は怖いさ、私が言いたいのは……つまり……」


 沈黙が、落ちる。ぽつりと、枝並がささやいた。


「……孤独に死ぬのは、もっと怖いだろう?」


 部屋の中には、モニターの低い電子音だけが響いていた。

 烏丸は再びキーボードに指を乗せたが、その動きはさっきよりもずっと鈍かった。


「……"誰か"なんて、俺には必要ない」


 ようやく口を開いた彼の声は、どこか震えていた。

 彼は孤独だった。

 永遠に囚われた、哀れむべき1人の孤独な男だった。

 永遠になる。それが孤独に震えている男の、最後の望みなら、上司として叶えてやるべきだろう。


「では、僕は何をすれば良い?」


 枝並は、烏丸に問いかける。彼が、モニターに向かいながら言った。


「俺を永遠の桜にしてくれ」




 〇




『君は……烏丸……』


 電話の向こうにいる枝並の震える声が、言葉を紡ぐ。


『見つけたのか』

「何を……?」


 残路は一瞬怪訝そうな顔をしたが、すぐ合点がいったと言う顔をすると、微笑んだ。



「ああ……」


 うなずいて、残路はちらりと小鳩を見た。小鳩が、首をかしげる。


「見つけたさ」


 そう言うと、残路は電話を切った。

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