第2話 校庭の黒衣の男

 それから、小鳩は祖父と祖母と父親と暮らした。

 当然、死んでしまった母親はいなかった。父親も、再婚する気にならないようだった。

 小鳩はそれでよかった。以前のように偽物の母親がやってくるなんて、たとえそれが人間だってまっぴらごめんだったからだ。

 祖父母と父親に見守られて、小鳩はすくすくと成長した。

 園芸の好きだった母さん。自宅の庭には、いつも花が咲いていて、小鳩の目を楽しませてくれたものだ。

 母が亡くなってから、小鳩は庭の手入れを引きついだ。春は肥料をやり、夏は草をむしり、秋は実を収穫し、冬は花々に菰をかけてやった。

 学校に行き、帰っては庭をいじる日々。庭は、小鳩の心を少しずつ癒していった。


 小鳩は高校二年生になっていた。


 午後の授業中。けだるい雰囲気の流れる教室の窓際に、小鳩は座っていた。

 先生の間延びした声が響く中、小鳩は窓の外の校庭を見た。校庭には、桜の大樹が立っていた。名前は<友之助桜>だ。

 友之助桜は、葉も枯れて落ち、寒そうにその枝を空に伸ばしている。

 一月の寒さの中、つぼみもつけていない。毎年そうだった。友之助桜は咲かない桜だ。

 今日は風が強い。友之助桜の作るざわめきが、窓を隔ててこちら側に聞こえて来るようだった。


 気が付くと、黒衣の男が桜の根本に立っていた。


(あれ……)


 あんな人、さっきまでいなかったのに。まるで忽然と湧いて出た様だ。

 男は、幹を触りながら、友之助桜を見上げている。

 そこにスーツ姿の校長先生がやって来た。校長先生は、男に声をかけた。

 男が校長先生と一緒に去っていく。

 校庭を横切り、二人は小鳩の視界から姿を消した。


 放課後。

 園芸部の部室は、スコップや肥料やジョウロであふれていた。

 小鳩はその部屋の中で一人、植木鉢に向かっていた。


「いっぱい食えよ~」


 植木鉢には、色鮮やかな赤や黄色、紫のプリムラが植わっており、元気に花を咲かせている。小鳩は根本に向けてそろそろと水をやると、傾けたジョウロを元に戻した。

 小鳩はジョウロを持って、二、三歩下がると、プリムラの小さい花々を愛おしそうに眺めた。

 現在、小鳩は学校の園芸部に所属していた。もっとも、去年の三年生が卒業してしまって、今は小鳩一人の部室だったが、明るく元気なメンタル強めの園芸野郎である小鳩にとっては、それは些細な問題だった。

 草花とつきあう内、彼は草花のように強い心と体を手に入れつつあった。

 小鳩は園芸が好きだった。樹木学には、特に興味がある。


 トントン、と部室のドアを叩く音がして小鳩を振り向いた。


「こんにちは」


 ドアがガラガラと開き、向こう側から校長先生がひょっこりと顔を出す。


「ちょっといいかなさかいくん?」

「はい」


 校長先生が、部室に入ってくる。

 その後ろから、長身の黒衣の男が、ぬっとあらわれた。


(うえっ)


 小鳩はびっくりして心の中で声を上げた。男は、少し屈みこむと、窮屈そうにドアをくぐって部室の中に入った。黒いロングコートが、ドアをひらりと掠めて行った。

 男は、部室の真ん中までやって来ると、前髪をかきあげてじろりとあたりを見渡した。


さかいくん、こちら東京のアーク社からいらっしゃった、烏丸からすまさん」

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