2‐2.綺麗だなぁ



「じゃあ、そうですね。ペーターさんはお元気ですか?」

「え、えぇ。とても、元気ですわ。最近では、兎を飼いたいと言って、迎え入れる為に必要な事柄を、精力的に調べております」

「もしかして、先日兎愛好倶楽部にご招待したからですか?」

「そうですわね。切っ掛けはそうだったかもしれません。ですが、元々エドゥアール先生が飼っていらっしゃるサンドリヨンちゃんに、心を奪われていましたから。そのように言い出すのは、目に見えておりましたわ」



 ふふ、とリザさんの頬が、少しだけ緩む。



「父も、ペーターと共に集会所へお邪魔してから、兎に関心が出てきたようです。愛好倶楽部への入会も、どうやら検討しているみたいですよ? 昨日など、難しいお顔で一体なんの本を読んでいるのかと思っていましたら、『兎の生態とその習性』と表紙に書いてありましたの。その前は『正しい兎の飼い方』で、更にその前は『子供の名前辞典』でございました。もしかすれば、近々我が家に新しい家族が増えるかもしれませんわ」

「もしそうなったら、ペーターさんも喜びますね」

「えぇ。母も、喜ぶかと思います。父とペーターが、兎愛好倶楽部で触れ合った兎の素晴らしさを力説したところ、『それほど可愛いのならば、次はわたくしも行きます』と宣言されていましたので。わたくしも、実を申しますと、少々気になっていたのです。なので、もし本決まりとなりましたら、ミケランジェロ侯爵にお話してみようかと」

「それはいいですね。ミケランジェロ侯爵は、自宅で兎の繁殖も行われていますから。他の倶楽部会員でも、子兎が生まれたとおっしゃっていた方がいましたし、相性のいい子と巡り合える可能性は高いと思いますよ」

「やはり、相性は大事ですか」

「えぇ。でないと、お互い大変ですから」



 まぁ、相性は悪いが、それなりに上手くやっているという例もある。スノウホワイトとミケランジェロ侯爵とか。

 いや、あれはある意味いいのか? 女王様と下僕、という構図でいいと人間側が思うのならば。




「リザさん。次は、立って貰えますか? 向きはそのままで、場所も同じでお願いします」

「はい」



 窓の外を見つめながら、リザさんは腰を上げた。まっすぐ伸びた背筋と指先に、先程までの力みは見られない。



 僕は少し移動して、リザさんの斜め後ろに座った。肩越しに覗く横顔と、リボンで纏められた長い金色の髪を眺め、鉛筆を走らせる。



 ついでに、胸に負けず劣らず美しい尻も、視界の端でさり気なく堪能させて頂いた。




「リザさんの髪、凄く綺麗ですね」

「ありがとうございます。そう言って頂けると、毎日手入れをしている甲斐がありますわ」

「毎日ですか。なんだか大変そうですね」

「そうですわね。わたくしは髪も長いので、それなりに」



 尻のすぐ真上まで迫る金髪に、そうだよなぁ、と内心頷く。



「ですが、わたくし、自分の体の中で一番髪の毛が好きなのです。母譲りの金色は、わたくしの自慢でもありますの。なので、多少の手間も苦ではありませんわ」



 リザさんは口角を持ち上げ、自分の髪を撫でる。



「あ、申し訳ございませんっ。動いてはいけませんわよね」

「いえ、大丈夫ですよ。それくらいなら全然平気です。いっそ歩き回ってみましょうか」

「え、よ、よろしいのですか?」

「えぇ。今日は、色々なポーズを試してみたいので」



 はぁ、と頷くと、リザさんは歩き出した。またぎこちなくなってきたけれど、指摘はしない。

 窓沿いを往復するリザさんを、時に離れて、時に追い掛けながら、スケッチしていく。



 ついでに、動きに合わせて震える巨乳も、視界の端でさり気なく堪能させて頂いた。




「……はい、ありがとうございます。いい感じです。では次は、また窓の方を向いて立って下さい。今度は、そのまま少し後ろを振り返って」



 上半身を軽く捻り、リザさんは斜め後ろを見る。くびれが強調され、女性らしさが増した。



「もう少し、体全体を右へ回して下さい。ゆっくりと。そう、いいです。止まって。次は顔をお願いします。ゆっくりと、こちらを向いて。はい、ストップ」



 ぴたりと止まったリザさんを、一歩下がって眺める。



 横から受けた日の光を、金色の髪が反射して煌めく。

 その輝きに縁取られた顔や体は、一気に華やかさを増した。

 また、背後を振り返った体勢は、胸や尻のラインを綺麗に描き、リザさんの魅力を最大限に引き出している。



「辛くありませんか?」

「いえ、大丈夫ですわ」



 そう言って、微笑んだ。




 瞬間、僕の腕の毛が、逆立った。




 同時に、視界が僅かにブレる。

 いや、これはブレたと言うより、僕の目が、勢い良くリザさんへ焦点を合わせた、と表現した方が近いかもしれない。

 先程よりも、一層リザさんが際立って見える。

 反対に、周りの景色は、どこかぼやけていた。僕の意識に入ってこない。



 頭の奥が、すっと軽くなったような気がする。

 自分の目で見ている筈なのに、どこか別人の視点から眺めているような、不思議な感覚。

 油断すると、このまま意識が遠のいてしまいそうだ。



 もしかしたら、僕が記憶を飛ばしながら絵を描いている時って、こんな状態なのかもしれないなぁ、なんて他人事のように考えつつ、改めてリザさんに集中する。




 普段よりもよく見える特殊な視界の中で、彼女は、神々しいまでに光輝いていた。



 その姿、正に春の女神が如く。




「……綺麗だなぁ……」



 やはり、この題材にして正解だった。己の判断に、内心大きく頷く。それから、構え直した鉛筆を、素早くスケッチブックの上に走らせた。

 堂々と胸や尻を見つめては描き、不自然にならない程度に見直しては描く。これ以上は不味いという一歩手前まで凝視してやったわ。



 よし、体は完璧に描き取れた。後は顔だけだ。

 先程の女神もかくやな微笑みをしたためようと、僕は、視線を胸から持ち上げる。




「あれ?」



 つと、瞬きをした。その拍子に、視界が元へと戻る。



 それでも、僕の疑問は止まらない。




「どうしましたか、リザさん?」

「っ、は、はいっ? な、何がでしょうかっ?」

「いえ。妙に顔が赤いから、どうしたのかと思いまして」

「こ、これは、これは、その……そうっ。しょ、少々、暑くなってしまいましてっ。窓際にずっといたものですからっ、た、太陽の熱がですねっ。わたくしに降り注ぎましてっ」

「あぁ、すいません。気が付きませんで」



 言われてみれば、確かに日の光がリザさんにガンガン当たっている。これでは顔も赤くなる筈だ。



「じゃあ、えっと、十秒。十秒だけ待って下さい」



 鉛筆で、大体の表情を描き取る。細かい部分は、他のスケッチと見比べながら補おう。




「はい、いいですよ。ありがとうございました」



 顔を上げれば、リザさんは目を伏せながら小さく会釈をした。そそくさと窓から離れていく。その頬は、未だ赤い。



「少し休憩しましょうか。お疲れ様でした」

「あ、は、はい。お疲れ様でございました」


 

 互いに頭を下げると、何故かリザさんは、視線を彷徨わせていた。

 いっそ意図的に僕を避けているとしか思えないほど、全く目が合わない。




 ……ん? 僕、あれ? 何かやってしまったか?



 心当たりは、沢山ある。



 スケッチを免罪符に、胸や尻を遠慮なく見てやったこととか。

 それ以外でもリザさんの体を舐め回すように見てやったこととか。

 実は気付かれないよう、こっそり官能的なポーズに誘導しちゃおうかなって思っていたこととか。



 不味い。

 一気に冷や汗が吹き出した。けれど、必死で平然とした顔を取り繕う。




「……僕、ちょっと飲み物を買ってきますね。リザさんも、何か飲まれますか?」

「あ、で、では、冷たい紅茶を、お願い致します」

「分かりました」



 素早く、しかし不審に思われない速度で、多目的室を出る。

 そして、お詫びの気持ちと、反省の気持ちと、どうかご内密にという気持ちを込めて、紅茶と適当な菓子を買うべく、全力で廊下を走った。



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