3.勝負



「やぁ、イレール君」



 とある放課後。

 スケッチブック片手に校舎の外へ出たら、聞きたくない声に呼び止められてしまった。思わず眉間に力が入ったけれど、すぐさま皺を伸ばし、振り返る。



 案の定、フェルディナンさんがテオドールさんを引き連れて、昇降口の前に立っていた。



 周りにいる学生の目も、案の定、僕らへと集まる。




「……こんにちは、フェルディナンさん。お久しぶりです」

「あぁ、久しぶり。元気だったかい?」

「えぇ。これといった怪我もなく、健やかに過ごしています」

「そうかい。それはなによりだね」



 では、僕はこの辺で、ときびすを返そうとしたが、その前に、フェルディナンさんが口を開く。




「ところで、イレール君。君、今度の美術アカデミー主催の学生コンクールで、リザ嬢をモデルにした作品を提出する予定らしいね?」

「……そのような話、どちらで聞かれたんですか?」

「リザ嬢から直接教えて貰ったのさ。コンクール用の絵のモデルになって欲しい、と頼みに行った際、既にイレール君のモデルを務めると約束しているから無理だ、とね」



 はは、と笑うフェルディナンさんの後ろで、テオドールさんが威圧的に僕を見ている。



「まぁ、その件は別に構わないんだ。モデルは早い者勝ちなところがあるからね。リザ嬢が承諾しているのならば、私がとやかく言う権利はないさ」

「はぁ、そうですか。それは、ありがとうございます」

「だが、残念なことには変わりない。私は今回、リザ嬢をモデルにする前提で準備を進めていたからね。それらを考え直さなければならぬと思うと、正直落胆せざるを得ないよ。彼女以上のモデルもいないと思っている。あぁ、一体どうしたら良いのだろうか? 悩ましい限りだよ」



 遠回しに文句たらたらじゃねぇか。と、心の中で拳を握っておく。

 現実では、謙虚な態度で小さく頭を下げるに留めた。




「時に、イレール君。君は、いつ頃リザ嬢に、モデルをして欲しいと申し込んだのかな?」

「一か月ほど前です」

「一か月。はぁ、成程。それは勝てないわけだ。私が出遅れたどころか、君が先を行きすぎていたのだね。それだけ彼女を愛しているということか」

「たまたまです」

「謙遜する必要はないさ。それとも、照れ隠しかな?」



 いや。本当にたまたまなんですけど。




「そんな君に、一つ提案をしたい」



 フェルディナンさんは、僕の様子も気にせず、指を一本立ててみせる。



「どうだい? このアカデミー主催の絵画コンクールで、私と勝負をするというのは」

「勝負、ですか?」

「そうだ。より上位に入賞した方の勝ち。至ってシンプルだろう? 勿論、勝負をするからには、それ相応の賞品もある」



 フェルディナンさんの笑みが、深まった。



「賞品は、リザ嬢だ」



 僕が目を見開くと同時に、周りからもどよめきが上がる。



「勝った方が、リザ嬢を手に入れる。そして負けた方は、潔く彼女を諦める。どうだい? 今の私達にとって、これ以上ない褒賞だろう?」



 喧騒が、昇降口前に広がっていく。



 フェルディナンさんは、驚く僕へ笑い掛けた。




「さぁ、イレール君。絵のライバルとして、そして恋のライバルとして、この勝負、受けてくれるかい?」



 まるで舞台上で主役を演じているかのように、朗々と語る。両腕も広げて、僕の答えを待った。

 周りにいる学生達も、固唾を飲んでこちらを見つめる。



 僕は、ゆっくりと瞬きをした。次いで唾を飲み込み、静まる昇降口へ、息を吸う音を響かせる。




「お断りします」




 どよめきが、また上がった。



 フェルディナンさんは、意外そうに眉を持ち上げる。



「おや、断るのかい?」

「えぇ」

「何故かな? 私はてっきり、受けてくれるものだとばかり思っていたが」

「受ける理由がありません」

「理由はあるさ。リザ嬢という女神を巡る、男と男の戦いだ」

「いいえ、違います」



 僕は顎を引き、フェルディナンさんを見つめた。



「フェルディナンさん。あなたの申し出は、そもそも前提が間違っています」

「ほう? それは一体?」

「その前に、一つ確認させて下さい」



 目線で、続きを促される。




「この勝負の賞品になってもいいと、リザさんは了承してくれているんですか?」




 はっと息を飲む音が、どこからともなく聞こえた。だが僕は、フェルディナンさんから目を反らさない。



 返事は、ない。

 ただ、視線を彷徨わせるだけ。




「……僕が思うに、ですが。恐らくリザさんは、了承なんてしていませんよね? 自分を賞品などと物のように扱われて、あの方が抗議をしないとは思えませんから」



 僕の嫌味に、フェルディナンさんは身じろぐ。その背後で、テオドールさんの目付きが若干険しくなるが、僕は口を止めない。



「なので、もしあなたと僕で勝負をするとしたら、それはただ入賞順位が高いか低いか、それだけを競う争いとなるでしょう。そして、例え順位を競うだけだったとしても、僕はお断りします。何故なら、芸術とは、人の数だけあるからです。

 確かに、絵画コンクールでの入賞は、誉れ高いものだと思います。しかし、高位受賞経験と、将来画家として生きていけるかは、全くの別物です。

 例えアカデミーで評価されずとも、後世に名を遺した画家は沢山います。

 例え万人に受けなくとも、その作品を好きだと言ってくれる方はいます。

 今は論外とされている作品も、十年後には傑作と評価される場合が多々あります。逆もまた然りです」



 少し汗ばんだ掌を、静かに握り込む。



「芸術とは、そのように計り知れない存在だと、僕は思っています。なので、入選順位を競い合う行為に、なんの興味も持てません。コンクールという順位付けられるものに参加している分際でなにを言うかと思われるかもしれませんが、申し訳ありません。勝負のお誘いは、お断りさせて頂きます」



 眉へ力を籠め、語尾まではっきりと言い切った。




 この場に沈黙が落ちる。



 野次馬の視線が、僕から、フェルディナンさんへと移った。




「フェルディナン様……」



 テオドールさんが、気遣わしげに主人を見やる。しかしフェルディナンさんは何も言わず、揺らいでいた目を、音もなく伏せた。



 一瞬、唇が苦しげに噛み締められた、ような、気がした。



「そうか……」



 そう呟くと、フェルディナンさんの目線が上がる。




「確かに、君の言う通りだね」



 いつものように、微笑んでいた。




「リザ嬢を物のように扱うなど、私もまだまだだな。指摘してくれて感謝する。また、芸術における勝敗の付け方や、勝負自体の是非も、非常に考えさせられた。だが同時に、コンクールの必要性も、ひしひしと感じているよ。

 君の主張はもっともだが、しかし、私にも私の言い分がある。今は、全ては共感出来ないな。まぁ、それもまた、芸術というものの本質を表しているように思うが」



 首を横へ振り、フェルディナンさんはまた笑う。



「分かった。では、先程の提案は、どうか忘れて欲しい。だが、私が個人的に、君に勝負を挑むことは、許して貰えないだろうか? 結果がどうあれ、君も私も、何かが変わるわけではない。これはただの自己満足だ。私が勝手にやっているだけ。決して受け入れてくれなくていい。ただ、許して欲しい。それだけは、どうか頼む」

「……分かりました」

「ありがとう」



 そう言って胸元へ手を当てると、おもむろに踵を返した。




「では、私はこれで。呼び止めてすまなかったね」

「いえ」

「コンクールへ向けて、お互い頑張ろう」



 フェルディナンさんは、テオドールさんを引き連れ、去っていった。



 はぁ、と息が零れる。周りの喧騒から逃げるように、僕もこの場を離れた。いつもの校舎裏へと向かう。




 ……しかし、良かった。



 フェルディナンさんを、どうにか煙に巻けて。




 本当さ、いきなり何を言い出すんだよ、あの人。勝負もなにも、そもそも僕とリザさんはなんでもないからな? 前提が間違っているっていうのは、リザさんに許可を取っていない件だけじゃないんだからな?

 お前からしたら面白くないかもしれないけど、こっちは気付いたら三角関係の一角を担う羽目になっていて大変なんだぞ。なのにちょいちょい僕に絡んでくるもんだから、妙な噂は収まらないしさ。



 全く、本当に面倒臭い。

 頼むから心安らかに描かせてくれよ。



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