2‐2.人参と卵の危機
「でもまぁ、つられたかはさておきよ。貴族と繋がり持てたのは、悪いことじゃねぇよな。そりゃあ、失礼のないよう立ち回らなきゃなんねぇけどさ。その分上手くいけば、いいご縁が結べるわけだし。なんなら、うちの商会をご利用頂ける可能性だってあるわけだろ?」
「いやぁ、それはどうだろう。向こうだって、御用達の店くらいあるでしょう」
「けど、絵画関連なら、うちが入り込む隙間はあるんじゃねぇか?」
「どうかな。リザさん――子爵令嬢のお父様は、美術アカデミーの会員だからさ。そっちはそっちで、何かしらのルートは既に確保しているんじゃない?」
「あー、そうかぁ。貴族でアカデミー会員じゃあ、ちょっと厳しいかぁ」
元々絵画は、王侯貴族や教会のものだった。美術商は勿論、画家も上流階級の人間へ絵を売り込み、場合によってはお抱えとして、求められるがままに作品を生み出していた。
ところがここ数年の間で、金持ちの平民にも客層が広がっていった。
身分が変われば求められるものも変わる。以前は格式高く、大きな作品が好まれていた。しかし平民の家に大きいカンヴァスは飾れないので、手ごろなサイズの絵が徐々に主流となっていく。
また、宗教画や神話画よりも、もっと身近な肖像画であったり、風景画が好まれる傾向にあった。それも、ごく自然な、日常の延長のような作品が人気を博する。
艶絵に関しても、方向性が変わってきた。
以前は女神や妖精など、人間以外をモチーフにしている、と言い訳をしつつ女性のヌードが描かれていた。けれど平民は、女神よりも人間の女性の裸を好んだ。描写もエロスを仄めかすのではなく、もっと直接的なものが求められるようになる。
そんな風潮は、エドゥアール叔父さんの画風と、大変上手く噛み合った。
ひと昔前は、美術アカデミーのコンクールでもボロクソに言われていたのに、今は掌を返して評価されている。叔父さんへの依頼も増え、注文窓口を構えている実家のフラゴナール商会も、仲介料がガッポガッポで非常に嬉しい。反面、なんだかなぁ、という思いもある。
しかし、そんな眉を顰める僕に、叔父さんは
「まぁ、芸術ってそんなもんだから」
と、ペットの兎を愛でながら、のんびりと笑っていた。
「ま、なんにせよ、貴族と親しくなるのは悪くないさ。いっそ、将来自分のパトロンにするくらいの勢いで気に入られてこい。うちの商会の宣伝もよろしく。あ、家に伺う時は、事前に日にち教えとけよ。商会でイチオシの菓子折り持たせてやるから」
「ありがとう。それは助かる。ついでに、貴族のお宅を訪問する際の注意点みたいなものも、教えて貰えると嬉しいんだけど」
「そんなもん、俺が知ってるとでも思ってんのか? こちとら平民だぞ? 貴族なんかと触れ合う機会なんかねぇよ」
「でもほら、兄さん外面いいから」
「それとこれとは話が別だろ。どう考えたって、お前の方がお貴族様と触れ合ってるからな? それで問題ないなら、普段通りでいけばいいんじゃねぇの?」
頼りにならないな。冷めた目で兄さんを一瞥し、エドゥアール叔父さんへ視線を向ける。
「叔父さんはどう? ミケランジェロ侯爵のお家に行く時、何か気を付けていることってある?」
「んー、そうだなぁ。まぁ、正直これと言って何かしているわけでもないんだけど……強いて言うなら、誠実にというか、相手への尊敬を持って行動するようには、気を付けているかなぁ」
鉛筆を握る手を止め、つと宙を見上げる。
「そもそも、向こうはこちらが平民だって分かっているわけだから、完璧なマナーなんて求めていないよ。出来なくて当然だし、多少の無礼は目を瞑ってくれる。
ただし、だからと言って何をしてもいいというわけではない。マナーを知らないなら知らないなりに、相手へきちんと礼儀を尽くす。そうすれば、例え貴族的には失礼に値する行為だったとしても、ちゃんと伝わるし、理解を示してくれるものだよ。まぁ、これは平民同士でも言えることだけどね」
成程。とても納得のいく答えに、思わず頷いてしまう。
「そんなに難しく考えなくて大丈夫だよ。パウル子爵は人格者だからね。よっぽどイレちゃんが何かしでかさなければ、まず問題ないさ」
だといいんだけど、という気持ちを込めて、小さく笑い返しておく。
「あ」
不意に、兄さんの視線が下を向く。
「……イレール。大変だ」
「なに、兄さん。屁が出そうとか言うつもり?」
「屁よりももっと一大事だ」
兄さんは、珍しく真剣な顔で、布が巻かれた自分の腰を見つめた。つられて僕も目を向ける。
「……サンドリヨンが、俺の股間の人参を狙っている……」
灰色の兎が、兄さんの股座を覗き込んでいた。
「いけ、サンドリヨン。そのまま人参の両脇にある二つの卵も齧ってしまえ」
「おい止めろ馬鹿。率先して悲劇を起こそうとするんじゃねぇ。俺が本格的にギュスターヴ君からジェネヴィーヴちゃんになっちまったらどうするんだ」
「そうしたら、今度からモデルをする時は、僕が男役をやるね。姉さんは遠慮なくドレスを着てくれて構わないよ」
「おいおい、そんなこと言っていいのか? 万が一俺の人参と卵が食べられた場合、実家のフラゴナール商会は、もれなくお前が継ぐ羽目になるが」
「おーい、エドゥアール叔父さーん。笑ってないで、サンドリヨンを回収してー」
「ちょっと待って。その構図面白いから、もうちょっとそのままで」
「頼む叔父貴、早くしてくれ。サンドリヨンが、俺の人参を食べられるかどうか、匂いを嗅いで判別中なんだ。もう時間は残されてないぞ」
「大丈夫だよ、ギュスちゃん。ほら、正義の味方は遅れてやってくるって言うじゃない」
「もうその時だと思うんだがな。あ、こらこらサンドリヨン。顔を突っ込むんじゃない。積極的なレディは嫌いじゃないが、俺の人参はデリケートだからな? 歯を立てようものなら、一発で使い物にならなくなるんだぞ? おい、聞いてるかサンドリヨン。そのデカイ耳は飾りなのか? うん?」
完全に股座へ入り込んでしまったサンドリヨンに、兄さんの顔が若干青褪める。それでも指定されたポーズは崩さない辺り、モデルの鑑だと思う。その功績を称え、本当に危なくなったら助けてやろうではないか。
ただし、余力がある内は、手出しをするつもりなどない。
その慌てっぷりを、じっくり堪能させて貰うとしようじゃないか。
く、とほんのり持ち上がった口角は、乙女らしい恍惚とした表情ですぐさま覆い隠した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます