2‐1.只今モデル中につき



「――ふーん。そんでお前、そのお嬢さんのおっぱいにつられて、子爵様の家へ行くことになったと」



 エドゥアール叔父さんのアトリエで、ギュスターヴ兄さんは指定されたポーズを取ったままそう言った。腰に布を巻いただけの格好で、片肘を付いてマットの上へ横たわっている。



 そんな兄さんの胸に、長髪のカツラを被ってしな垂れ掛かる僕。中途半端に脱げた女性もののドレスが落ちないよう、兄さんに腰ごと手で押さえて貰いつつ、眉を顰める。




「別に、つられたわけじゃないけど」

「つられたようなもんじゃねぇか。美人の巨乳に心乱されるなんざ、まだまだだなぁイレール」

「いや、だから、そういうんじゃないってば」



 目の前の大胸筋を、ペチリと叩く。


「おー、痛ぇ痛ぇ」


 と兄さんは喉を鳴らした。ついでに胸筋もピクピク動かしてみせる。その顔と態度がなんかイラっときたので、乳首を思いっきり捻り上げてやった。

 そうしたら本格的な


「痛ってっ」


 が聞こえてきた。

 非常に爽快な気分です。




「おいおいイレール君よぉ。てめぇ、お兄様の乳首になにしてくれてんだこら。ちょっとオイタがすぎるんじゃねぇのかぁ、おい」

「ごめんごめん。丁度いいところにあったからつい」

「ついで乳首捻られちゃ、こっちは堪ったもんじゃねぇんだよ。俺の乳首は、綺麗なお姉さん方に愛でられる為にあるのであって、実の弟に遊び半分で弄られる為にあるんじゃねぇんだ」

「だったら僕の尻も、実の兄に暇潰しがてら揉まれる為にあるんじゃないんだけどなぁ」

「これは揉んでるんじゃねぇよ。ドレスが脱げないよう、しっかりと押さえてんだよ」

「見え透いた嘘を吐かないでくれる? ドレスを押さえるなら、掌を何度も開閉する必要、全くないじゃない。さっきから尻肉に兄さんの指が食い込んで、気持ち悪いんですけど」

「しょうがねぇだろ、近場に揉み甲斐のある乳がねぇんだから。お前の尻で妥協するしかねぇんだよ」

「いや。例え近場に揉み甲斐のある乳があろうと、兄さんが揉んでいいわけじゃないからね」

「いや、そんなことはねぇ。俺の手腕と外面に掛かれば、どんな女もあっという間に己の乳を差し出すに決まってる」

「自意識過剰って言葉、知らないの? いくら兄さんの外面がよかろうと、『乳を揉ませて下さい』って言われて『はい、どうぞ』なんて答える人、いるわけがないでしょう」

「いや、分かんねぇぞ?」

「いや、分かるから。娼婦のお姉さん方以外、絶対やってくれないから」

「娼婦のお姉さん方がやってくれるなら、他のお姉さん方もやってくれる可能性はゼロではない。俺はそう信じてる」

「馬鹿じゃないの」

「なんだとこら。実のお兄様を罵倒するなんざ、生意気な弟だなぁおいー」

「だから、尻を揉まないでって言っているでしょうが」

「痛ってぇっ。ちょ、お前こそ、乳首捻るなって言ってるだろうがっ」

「煩い、この変態胸フェチ」

「お前に言われたかねぇよ。美人のおっぱいにつられて、のこのこ貴族の家に行く癖に」

「だから、つられていないってば」

「素直になれよ。俺が変態の胸フェチなら、お前にも同じ血が流れてるんだぞ? いや、そもそも男は皆変態だ。皆何かしらのフェチなんだ。その中で俺はおっぱいに特化してて、またお前もおっぱいに特化してると、ただそれだけの話なんだ」

「なに訳知り顔で語っているのさ。僕は別に、胸フェチじゃないし。尻とかも好きだし」

「ならお前は、女体全般の変態だな。俺より上級者じゃねぇか」

「弟の尻を揉んで喜んでいる兄さんには負けるよ」

「だぁかぁらぁ。これは仕方なくやってるだけだっつーの」

「どこの世界に、仕方なく弟の尻を揉む兄がいるのさ。そっちこそ素直になりなよ。今ならエドゥアール叔父さんの口利きで、男色専門の秘密倶楽部への入会も夢じゃないんじゃない?」

「お前なぁ、俺がもし男もいける人間なら、尻揉むくらいで満足すると思ってんのか? 尻どころか、前も後ろも遠慮なく弄り倒してるに決まってんだろうが。こんな風に」

「うひぃっ! ちょ、いきなりなにするのさっ! 馬鹿っ、この変態っ! ちょ、本当止めてそこはうわぁぁぁっ!」

「はっはっはー。どうだイレール。これがお兄様の本気だぞー」

「ひぎあぁぁぁぁぁーっ!」



「おーい、ギュスちゃーん、イレちゃーん。ポーズが崩れているよー」



 瞬間。僕は悶え転げていた体を素早く兄さんの胸へ引っ付かせ、まるで恋をしている乙女のように、うっとりとした表情を作った。

 兄さんも、不埒な手をマットと僕の腰へ戻し、色気と包容力たっぷりの笑みを浮かべる。



「はい、オッケー。いいよー、ありがとうー」



 少し離れた場所で、エドゥアール叔父さんは指で丸を作ってみせる。それから、目の前のカンヴァスへ鉛筆を走らせた。下描きの進む音が、アトリエに小さく響く。



 そこへ、ダン、ダン、と床を踏みしめる音が、混ざり始めた。




「おぉ、悪ぃ悪ぃサンドリヨン。煩かったか。そうかそうか」



 エドゥアール叔父さんの足元で、灰色の毛並みの兎が、後ろ足で何度も床を叩いている。ブゥブゥという鳴き声も上げた。



「いやぁ、怒られちまったなぁ」

「誰のせいだと思っているのさ」

「俺とお前のせいだろ?」

「兄さんのせいだよ。兄さんが変なことをしてこなければ、僕だってポーズを崩さなかったし、サンドリヨンに怒られもしなかったんだから」

「変なことじゃねぇだろう。愛を確かめ合う大事な技術だぞ?」

「少なくとも、弟に対して見せ付ける技術じゃないよ」



 からからと喉を鳴らして笑うギュスターヴ兄さんを、僕は恍惚とした乙女の表情をキープしつつ、睨み付けた。




「で、なんだっけ? 俺達、なに喋ってたんだっけ?」

「兄さんが胸フェチって話」

「いや、その前よ」

「乳首捻るな」

「もっと前だって。なんで俺は乳首捻られたよ?」

「あぁ、あれだ。僕が貴族の家に招待されて、それを兄さんが、おっぱいにつられたからだとか難癖を付けてきた奴」

「あぁ、そうそう。それだそれだ」



 ポン、と手を叩く代わりに、僕の腰が叩かれる。



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