第3話 恐怖は再びやってくる
翌朝、支度を済ませた私はいつものように登校する。
普通に過ごすつもりが、一限目は臨時の全校集会となった。
言わずもがな、矢田の死に関する話だ。
ニュースにも出ていたので、当然ながら学校も把握していたのである。
壇上に立つ校長が沈痛な面持ちで長々と語っている。
興味がなかったので私は聞き流した。
矢田がどんな人物で、どんな死に方をしたのかはよく知っている。
決して綺麗事で誤魔化せる奴ではなかった。
全校集会の後、騒然としながらも授業が始まった。
ただし今日は午前中だけらしい。
すぐに帰宅できると思ったが、授業ペースの都合だという。
矢田の死よりも大多数の勉強の方が大事なのだ。
体調の悪そうな生徒が何名か欠席していたが、大半が教室にいた。
表面上はいつものように授業が進んでいく。
ただし、教師はどこか落ち着きがない。
クラスメートも同様だった。
同じ学年の人間が何者かに殺されたのだ。
勉強に没頭するのは難しいと思う。
一部の視線は私に向けられていた。
私をいじめていた人間が死んだことで、どんな反応をするか気になったのだろう。
私は無表情だった。
事件とも深く関わっているが、それを悟らせないようにする。
私が何かやったとは誰も思っていないはずだ。
根暗で無口な私が矢田を殺せるわけがない。
きっとそう考えている。
実際、矢田の死は他人任せなのだから当たっている。
三途川がいなければ、今日も私は飛び降り自殺を試みていただろう。
黒板に書かれた英文を機械的にノートに写していく。
たまに蛍光色のペンでラインを引いてみた。
教師は誰にも質問を振らなかった。
微妙に気まずい空気のまま強引に解説を行っている。
窓際の後ろの列に座る私は、ぼんやりと外を眺めた。
聞こえてくる解説は耳を素通りしている。
面倒になったのでシャーペンも置いて堂々と休んだ。
いつもなら教師に注意されそうだが、今日ばかりは指摘されることもない。
私以外も上の空な者が多かった。
真面目に話を聞いている者の方が少ない。
教師も取り繕っているだけで冷静ではなかった。
立場的に授業をやっているが、本当はもう帰りたいのではないか。
ふと視線を感じた。
振り返ると、二人の男女が私を睨んでいる。
男子が佐野で、女子が橋本だ。
どちらもいじめグループに所属している。
主犯格ではないものの、同じクラスなので嫌がらせを受けることは多かった。
二人とも明らかに怒っている。
それはいつものことなのだが、少し様子が異なる部分もある。
具体的には焦りや困惑が混ざっていた――それと恐怖も。
矢田が殺されたことで、次は自分達の番だとでも考えているのか。
普通なら考えすぎだと思うが、今回は的中している。
きっと今夜も三途川は動く。
私は傍観者として目撃することになるだろう。
その次の授業でも、私はシャーペンを回しながら校庭を眺めていた。
ところが、途中であることに気が付いてぎょっとする。
テニスコートの方面から人影が歩いてくる。
三途川だった。
血の付いた白衣姿は昨日のままである。
包丁で刺された傷はどうしたのか。ここからでは分からない。
それよりも三途川が現れた。
まさか白昼堂々とやって来るとは思わなかった。
第三者を巻き込むのは良くないと言っておきながら学校を訪れたのだ。
やはり深いこだわりはないらしい。
待ち合わせについて細かく決めなかった理由も分かった。
あの時点で学校に乗り込むつもりだったのだろう。
だから私と場所や時間を決める必要は無かったわけだ。
無茶苦茶すぎる。
三途川に常識やルールは通用しない。
私はここから新たな大事件が勃発するのを察知した。
だけど止めることはできない。
何が起こるかを見守るしかなかった。
校庭では体育の授業が行われていた。
すぐに担当教師が気付いて、警戒しながら三途川に話しかけるも無視される。
大声を上げた教師が引き止めようとするが、今度は突き飛ばされてしまった。
少しよろめく程度ながらも、これは立派な暴力行為である。
途端に校庭が騒がしくなり始めた。
教室内の生徒達も校庭の異変に気付いてざわつく。
もう授業どころではなかった。
チョークを握った教師も諦めて校庭の成り行きを気にしている。
体育教師と揉めていた三途川が、唐突に校舎を見た。
私と、目が合った。
気のせいではなかった。
この距離で顔を認識したのか。三途川は遠目にも分かる笑みを浮かべた。
まずい、と思った。
別に私が殺されるわけじゃないのに。
たぶん本能的に恐怖したのだろう。
心臓がきゅっと縮まる感覚だった。
三途川が突如として走り出した。
彼は校舎方面にまっすぐ接近してくる。
怒鳴る体育教師が止めようとするがとても追い付けるスピードではない。
校舎に到達した三途川の姿は窓から見えなくなった。
直後に校内放送が流れ始める。
不審者の侵入を報せる内容だった。
私達はなるべく離れた経路で避難することになった。
教室内には不穏な空気が漂っていた。
血だらけの男が敷地内にいるのだから、平常心を保てないのは当然である。
事態を知っている私でさえ、決して冷静ではなかった。
昨夜の惨劇がまた始まるのだ。
いや、もう始まっている。
教師の先導で廊下に出ようとした瞬間、遠くから悲鳴が聞こえた。
嫌な予感を覚えると同時に、教室の扉が乱暴に開け放たれる。
顔を出したのは三途川だった。
校庭からここまで三十秒もかからずにやってきた。
全力疾走だったろうに、本人はまったく息を切らしていない。
ただ形ばかりの微笑を張り付けていた。
教室内がパニックに陥った。
誰もが逃げるように窓際へ押し寄せて、少しでも三途川から離れようとしていた。
教師は腰を抜かして叫ぶばかりだ。
残念ながら生徒を守る余裕はなさそうだった。
怒涛の勢いで登場した三途川は、右手に陸上用の砲丸を握っている。
左手には金属バットを持っていた。
どちらも部室から盗んできたに違いない。
昨夜の一件で知っている。
三途川は手頃な物を凶器にして人間を殺すのだ。
今回も侵入の途中で調達してきたのだろう。
つまりこれから使うつもりなのだ。
教室内のパニックをよそに、三途川は愛想よく発言した。
「橋本さんと佐野君はどなたでしょう。このクラスにいると思うのですが」
場が一瞬だけ静まり、クラスの視線が当の二人に集まった。
注目が集まる中、佐野は不機嫌そうな顔になった。
強気な態度で進み出て三途川を睨み付ける。
「な、なんだよ」
「君達を殺しに来ました。恐怖を見せてください」
三途川が砲丸を振りかぶり、そこから下手くそな動きで投擲した。
重いはずの砲丸は剛速球となって突き進み、棒立ちだった佐野の顔面に炸裂する。
避ける暇などなかった。
金属と顔の肉が衝突する生々しい音が響いた後、佐野が両膝を床につく。
顔面に砲丸がめり込んで変形していた。
接しているのではなく、鼻や額を押し退けた位置に砲丸がある。
どういう原理なのか、耳から血が噴き出していた。
「ぅぼ、ぇ……」
佐野が何かを言いかけて、そのまま前に倒れ込んだ。
手足がぴくぴくと痙攣している。
助かりそうにないのは明白だった。
あそこまで砲丸がめり込むなどありえない。
ごとり、と音を立てて砲丸が転がる。
表面に赤い粘液がへばり付いていた。
床を転がった砲丸は近くの机の脚にぶつかって止まる。
三途川は肩を回して嬉しそうに自慢した。
「良いフォームでしょう。昔はプロ野球選手になりたかったんです」
誰も一言も答えない。教室内が静寂に包まれていた。
見事なまでに場が凍り付く中、三途川は満足そうに述べる。
「混沌とした恐怖ですねぇ。嫌いじゃないですよ、ええ。心が躍ってしまいます」
その瞬間、クラス全体が恐慌状態に陥った。
我先にと三途川のいない側の出入り口に殺到して、詰まりながらも脱出し始める。
誰も佐野と同じ目に遭いたくなかったのだ。
三途川に攻撃を試みる人間はいない。
砲丸をゴムボールみたいな気軽さで投げ付けてくる相手に挑むなど無謀すぎる。
もう一方の手に握られた金属バットで殴られれば、ただでは済まないのが分かり切っていた。
正義感で殺人犯を懲らしめようとする者など出てくるはずがない。
教室内はものの数秒で閑散とする。
三途川を除いて残っているのは、腰が抜けた数人の生徒と教師、それに瀕死の佐野くらいだ。
落ち着いてこの場にいるのは私くらいだと思う。
三途川は人の少なくなった教室を見回すと、佐野を一瞥して苦笑する。
「置き去りにされてしまいましたか。薄情な方々ですね」
三途川は佐野の前に向かった。
履き潰したスニーカーでその後頭部を踏み付ける。
「実を言うと、お腹を狙ったつもりでした。長く苦しめないと恐怖を感じられませんから。僕のコントロールが悪かったせいで殺してしまいましたね」
謎の反省をしながら、三途川は佐野の頭を踏み潰す。
スニーカーの形に後頭部が陥没して、床に接した顔面が破裂した。
顔からどろどろの液体が広がって痙攣が止まる。
三途川が足を引き抜くと、脳の破片みたいな物が付着していた。
その光景を目にした何人かが嘔吐する。
血と酸っぱい臭いが教室内に立ち込めていた。
私はほとんど無反応で佐野の死を眺める。
三途川の言う通りだ。
佐野は恐怖を感じる間もなく即死した。
これは失敗である。
自分でもよく分からない分析をしていると、三途川が教室内に残る面々を見渡した。
「おや。橋本さんがいませんね。どさくさで逃げてしまいましたか」
三途川が私の前までやってくる。
彼は優雅にも思える動作で手招きしてきた。
「行きますよ。ついてきてください」
「…………」
私は逆らわずに頷いた。
一瞬、教室内のクラスメートや教師の顔を見る。
全員が安堵した様子だった。
選ばれなかったのが自分で良かったと思っているらしい。
事情を知らない彼らからすると、三途川に呼ばれた私は人質みたいに見えたのかもしれない。
(共犯者に見えなかったんだ)
私は三途川に促されて教室を出る。
がらんとした廊下には誰もいなかった。
さっきのパニックで隣のクラスも一気に避難したようだ。
窓越しに下の階を覗くと、全力疾走で逃げ惑う生徒達がいる。
三途川は穏やかな眼差しで呟く。
「いやはや、大騒ぎですね。若さを思い知らされます。これが青春ですか」
「あんたがいなかったら、もっと静かだった思うよ。それよりどうして学校に来たの。殺すにしても放課後の方が目立たないのに」
「学校なら一網打尽にできますからね。より多くの恐怖を見聞きすることもできます。津村さんの参考になるかと思いまして」
「なるほどね……?」
相槌を打ってみたものの、あまり納得できなかった。
三途川の主張と理論は独自路線を突っ走っている。
私には理解が及ばない時も少なくなかった。
表面上の会話はできているように思えても、根本的に違うのだと分からされる。
この時点で私は確信していた。
三途川は人間じゃない。
刺された傷を痛がらなかったり、とんでもない怪力を持つ殺人鬼だ。
それこそホラー映画に登場するような存在である。
常識とはかけ離れた思考回路も、そう思わせる一因だった。
もっとも、私の行動は変わらない。
三途川と共に恐怖を知っていくしかなかった。
同じ人間でさえ、くだらないいじめが起きるのだ。
たとえ殺人鬼でも仲良くなれるならそれでいい。
狂った行動を取るものの、三途川は真摯に向き合ってくれる。
それだけで私は十分だった。
誰よりも信頼を置くことができる。
私と三途川は階段を下りる。
逃げた橋本を追うためだ。
行く先に見当がついているのか、三途川の動きに迷いはない。
「放課後の方が目立たないとのことですが、そもそも津村さんは自殺するのですから学校の心配なんて不要では?」
「確かにそうかも」
「心配より学びですよ。悔いなく死ぬために恐怖を知りましょうね」
こんな会話をするのにも慣れてしまった。
最後に誰かと気兼ねなく喋ったのはいつだったか。
いじめられる私は、他の生徒からも距離を取られている。
だから普段から仲の良い友達がいないのだ。
学校でも基本的に一人で過ごしている時間が多い。
二階の廊下を歩く途中、三途川は唐突に話題を振ってきた。
「ところで津村さん。悪魔とは何だと思いますか」
「えっ、漫画とか映画に出てくるモンスターって印象だけど。あとは神話とか聖書の悪役とか?」
「それも間違いではありませんが、僕は一つの真理を知っています」
ここで三途川が間を置く。
意味深な雰囲気を作ってから彼は答えを述べた。
「悪魔とは、恐怖を知らない人間のことです。恐怖を失えばどこまでも残酷になれる。もっとも、人類は常に恐怖を克服しようとしてきましたがね」
「へぇ、そうなんだ」
「恐怖とは起源なのです。誰しも恐怖から逃れたい。そのために愚かな行動を取ってしまいます。ほら、あそこに分かりやすい例がありますよ」
三途川が前方を指差す。
そこでは数人のクラスメートが誰かに殴る蹴るの暴力を振るっていた。
よく見るとボコボコにされているのは橋本だった。
クラスメート達は必死の形相で口々に叫ぶ。
「あいつはお前のことを追っているんだろ!」
「不良のトラブルに俺達を巻き込むなッ」
「早くどっかに行けって!」
彼らは容赦ない力で橋本を痛め付けていた。
普段ならありえない光景である。
カースト上位の橋本は誰かも恐れられていた。
私は言葉を失って立ち尽くす。
「あれは……」
「リンチですね。僕の名指しで橋本さんの関与が明らかとなりましたから、一緒に逃げたくないのは当然の心理です。ああやって痛めつけておけば、自分に被害が及ぶ危険が減ります。極限状態で本性が出たようですね」
「あんなのひどすぎる」
「そうですかね。津村さんが受けた被害を考えれば、まだお釣りの方が多いくらいでしょう。まだまだ序の口ですよ。笑ってもいいんですからね」
三途川は冷淡な口調で言う。
私は返す言葉が見つからなかった。
笑うこともできない。
自分でも上手く表現できない感情が胸の内で渦巻いている。
その間に三途川は小走りになると、リンチの現場へと向かいながら声をかける。
「こんにちは。皆さん、手伝ってくださりありがとうございます。おかげで追いかける手間が省けましたよ」
さすがにリンチどころではない。
三途川の接近に気付いたクラスメート達は、血相を変えて逃げ出した。
必然的に満身創痍の橋本だけが逃げ遅れることになる。
「ま、待って……」
橋本は立ち上がろうとして転倒する。
右脚が変な方向に曲がって青黒くなっていた。
どうやらリンチの中で骨折したらしい。
おそらく日頃の恨みも兼ねて暴力を振るわれたのではないか。
そう疑ってしまうほどの有様である。
橋本の背中を三途川が踏み付けて、恭しく金属バットを振りかざした。
優雅だけど恐ろしい。
張り詰めた狂気が三途川の中で弾けそうになっていた。
「駄目ですよ、橋本さん。あなたには死んでもらわないといけません。いじめの罪と思ってください」
「い、や……」
「加害行為にはそれだけのリスクがあるということです。しっかりと反省してくださいね」
金属バットの殴打が始まった。
目を背けたくなるような暴力が連続して橋本に叩き込まれていく。
リンチの数倍のペースで肉体が壊されていた。
いじめっ子の橋本が徐々に原形を失う。
自信も尊厳も命も何もかもが無残に踏み躙られていった。
もはや叫ぶ力も残っていないようで、ただ静かに涙を流している。
私が夢中で見入る中、三途川が唐突に金属バットを差し出してきた。
あちこちが変形したバットは血で彩られていた。
どれほどの力が握っていたのか、柄がくっきりと指の形に窪んでいた。
「津村さんもやってみますか」
「いいよ、別に」
「そうですか。では遠慮なく続けますね」
向き直った三途川は殴打を再開する。
金属バットが振り下ろされるたびに橋本の身体が揺れる。
肉が潰れて骨が割れる音がした。
流れ出した血が廊下を染める。
微かな呻き声すらも打撃音にかき消される。
橋本が完全に動かなくなっても、三途川の暴力はしばらく続いた。
気が付くと私の前には橋本の死体があった。
もう誰だか分からない。
金属バットの滅多打ちでぐずぐずに腫れ上がって不気味な肉塊となっている。
辛うじて人型だが、作り物かと思うほどグロテスクな状態だった。
ひん曲がった金属バットを持つ三途川は、気持ちよさそうに伸びをする。
白衣は返り血でぐっしょりと濡れていた。
「さて、あと三人ですね」
私をいじめたグループのうち、生きているのは三人だ。
偶然にも全員が主犯格だった。
いや、三途川のことだからわざと残したのかもしれない。
彼ならコース料理を楽しむ感覚で順番を決めても不思議ではなかった。
恐怖を知るという意味でも、大事な部分を後回しにするのは妥当な気がする……たぶん。
私は橋本の死体を見ないように発言する。
「三人はもう避難したと思うよ」
「構いませんよ。追い詰めて殺すだけですから。少し手間が増えただけです。大した差はありません」
そんな話をしていると、廊下の向こうに教師陣が現れた。
生徒の避難を済ませて、校舎内に乗り込んできたらしい。
彼らの中の一人が三途川に怒鳴る。
「止まれ! 生徒に危害を加えるなっ!」
教師全員が変な武器を持っていた。
長い棒にU字の角みたいな金具が付いている。
確かサスマタという名前だったか。
防犯教室で見たことがある。
あれで三途川の凶行を止める気らしい。
あまりにも無謀だと思ったけど、私は口を出さずに見守る。
どうせ言ったって聞きやしないんだから。
じりじりと近付いてくる教師達は、橋本の死体を見ると顔を青くした。
数人が堪らず嘔吐している。
悲惨すぎる姿がショックだったのだろう。
学年主任の教師が信じられないとでも言いたげに呟く。
「まさか、殺したのか……」
「とどめを刺したのは僕ですが、生徒さんも協力してくれましたよ。実に保身的で助かりました」
三途川は朗らかに事情を説明した。
彼は嘘を言っていない。
橋本の死には一部の生徒が関わっている。
彼らのリンチが橋本の寿命を縮めたのだ。
どちらにしても死ぬ運命だったろうが、それでも間違いなく切り捨てたのである。
なんとか持ち直した教師達はサスマタを構えて三途川に要求する。
「その生徒を解放しろ」
「お断りします。まだ恐怖の追求が終わっていませんので」
「ふざけたことを言うな! 既に警察を呼んでいるんだ! 無駄な抵抗をせずに大人しくしろっ!」
「どうぞご自由に。僕はやるべきことを進めるだけです。まだ三人も残っているんですよ」
余裕綽々な三途川は、気負うことなく歩み始める。
そこに教師達が押し寄せるも、軽々と弾き飛ばされてしまった。
勢いの付いたサスマタが衝突しても怯まず、三途川は悠々と進んでいく。
私はその背中を追って歩いた。
三途川に一蹴された教師達は倒れたまま動かない。
怪我をしているようだが、死者はいなさそうだった。
いじめに関与していないから三途川も手加減をしたのか。
無理に起き上がろうとした教師は、三途川と目が合うと気絶してしまった。
大人でも恐怖に抗うのはとても難しいのだ。
(誰も止められない。三途川は人間じゃないんだから)
私は優越感に近いものを覚える。
別に自分の力じゃないというのに。
こうやって他人を見下した結果、いじめグループは崩壊したのだ。
あいつらの二の舞いにはなりたくない。
私には恐怖を知る義務がある。
三途川の殺人から学ばなければいけないのだ。
変なことを考えている場合ではなかった。
教師達の様子をじっくり確かめようとした時、背後から怒鳴り声が聞こえた。
「おい、待てやコラァッ!」
そこには金髪の男子生徒がいた。
私は反射的に立ち止まって震える。
「あっ……」
その男子生徒はいじめグループの主犯であった。
名前は未戸で、学校でも有名な不良だ。
未戸は折り畳み式のナイフとサスマタを所持していた。
前者はおそらく私物で、後者は教師から奪ったのだろう。
怒り狂う未戸は大股で迫ってくる。
「ふざけんなよてめぇ……よくも俺の仲間を殺しやがったな!」
未戸が襲いかかってきた。
三途川はだらりと両腕を垂らして待ち構える。
「一分だけ待ちましょう。君には復讐の権利があります」
未戸は容赦なく攻撃を開始した。
サスマタで三途川を壁に押し付けると、ナイフで何度も切り付けている。
三途川は手足や白衣を切り裂かれて血が滲んでいた。
それでも表情を変えない。
彼は平気で未戸に話しかける。
「どうされました? 敵討ちを続けないのですか」
「くっ……」
未戸がナイフを三途川の太腿に刺した。
さらに膝蹴りで押し込む。
常人なら激痛で泣き叫ぶところだろうが、やはり三途川の反応は薄い。
太腿に埋まったナイフを眺めるばかりだ。
ますます怒りを燃やす未戸が、今度はナイフで滅多刺しにする。
途中で引っかかりながらも必死に三途川を殺そうとしていた。
しかし、結局その執念が実ることはなかった。
依然として平気そうな三途川が告げる。
「はい、時間切れです」
直後に金属バットが振り下ろされた。
先端が未戸の手の甲に直撃する。
ナイフを落とした未戸が、膝をついて声を上げた。
「うぎっ」
手の甲が大きく陥没している。あれでは物を握ることなんてできない。負傷した未戸が絶叫しながら蹴りを繰り出した。
「ああああぁぁぁぁっ!」
爪先が三途川の腹に当たる。
昨日、包丁で刺された箇所だった。
出血に気付いた未戸は狙って蹴ったのだろう。
ところが三途川は顔色一つ変えない。
ただ少しだけで笑みを深めてみせた。
「無駄ですよ。僕には効きません」
そう言って三途川が金属バットで未戸の胸を突く。
未戸が尻餅をついて倒れて、いきなり吐血した。
軽くやったように見えたけど、実際は強烈な突きだったらしい。
骨どころか内臓が傷付いたのかもしれない。
横殴りのバットが未戸の顎を砕いた。
三途川は未戸の四肢を丹念に殴打して骨を粉々に砕いていく。
ものの数十秒で未戸は自力で動けなくなった。
私は屋上で見たサラリーマンを思い出す。
(あの時と同じだ)
抵抗できない相手に恐怖を刻み込み、命を奪う。
三途川が得意とする戦法だった。
いじめ主犯の不良生徒だろうと逃れられないのだ。
三途川は金属バットを捨てて、柔和な笑みと共に指を鳴らす。
「さて、仕上げといきましょうか」
三途川は折り畳みナイフを拾おうとして、寸前で手を止める。
視線の先には、廊下に設置された消火器があった。
火なんてどこにもないけど、使い方はなんとなく予想がついた。
これからおぞましい行為が始まる。
私はそう確信し、予感はすぐに的中した。
三途川は消火器を引っ張ってくると、ホースの先端を未戸の口内に突っ込んだ。
彼はしっかりとホースを固定しながら語る。
「日頃の行いをしっかりと反省しなさい。誰かに危害を加えるということは、自分の身に倍返しで降りかかることも覚悟しなければいけません。君には恐怖が足りませんでした。だから僕が教えてあげましょう」
三途川は消火剤を噴射した。
未戸の口から白い煙が噴き出してくる。
粉砕された四肢が激しく震えて、言葉にならない壮絶な悲鳴が響き渡った。
三途川は禍々しい笑みで消火剤を噴射し続ける。
このまま未戸が死ぬまで続ける気だろう。
私は食い入るように見つめる。
未戸の抵抗がだんだんと弱まっていく。
もうすぐ死ぬのだ。
頂点に達した恐怖が消える。
大事な瞬間を見逃さないように――。
その時、鋭い声が私の思考を遮った。
「やめろ! お前は包囲されている!」
十人くらいの警察が階段を上がってくるところだった。
彼らは銃を構えている。
きっと本物だ。
狙いは三途川に定められていた。
(すごい。刑事ドラマみたい)
私は勝手に感心する。
撃たれるかもしれないという考えは無かった。
傍観するあまり、当事者である自覚が薄れていたのだろう。
何をするということもなく警察を眺めていると、三途川が私を曲がり角に追いやった。
「危ないですよ。離れてください」
直後に銃声が聞こえた。
三途川の脇腹に小さな穴が開いて、血がとろとろと流れ出る。
そんな、いきなり撃つなんて。
こういう状況では警告とか威嚇射撃があるんじゃなかったのか。
焦った警官が先走ったのかもしれない。
そもそも未戸がいるのに撃ってよかったのか。
私が驚くのをよそに、三途川は変わらず堂々と立っていた。
弾を受けたのにまるで気にしていない。
彼は涼しい微笑を湛えて警察官達を見つめている。
「ふっ、ふふふ……」
三途川がこっちを向いた。
彼は優しさすら感じる口調で話しかけてくる。
「津村さん」
「な、何」
「少しだけお別れです。また会いに来ます」
そう言って三途川が駆け出した。
銃声が連続で鳴り、三途川の身体に新たな穴が開く。
それでも止まらず、彼は血を飛ばしながら窓を突き破った。
私は大急ぎで窓に駆け寄る。
校庭に出た三途川は、逃げ惑う生徒達の間を抜けて走り去ろうとしていた。
血だらけの殺人犯を目にした人々はパニックだった。
その間を縫うように三途川が走り抜ける。
「撃つな! 生徒に当たる!」
警察は悔しそうに銃を下ろす。
彼らは無線でどこかに連絡を取りながら動き出した。
「追跡するぞ。絶対に逃がすな」
「了解!」
警察官が走り出した頃には、三途川はとっくに姿を消していた。
きっと捜索が行われるのだろうが、果たして見つかるのか。
見つかったとしても、どうやって捕まえるのか。
おそらく無理な気がする。
私はその場に座り込む。
嵐のような出来事が過ぎ去った。
少なくとも私は渦中の人間ではなくなったと思う。
やがて女性警官がやってきて保護された。
色々と話しかけられたけど、内容はあまり憶えていない。
私はずっと恐怖について考えていた。
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