第2話
手つかずの自然の中には、人と異なる価値観を持つ妖怪が多く生息している。
力の弱い妖怪は目に見える姿形を作る事すら出来ないが、各地にはびこる淀んだ念を食い続けると形を成し、生物や土地から気を吸って災厄を招くようになる。
餓鬼。それが今回の任務で払うべき対象だった。巫女は私からの報告を聞き終えると、正面に立って恭しく腰を折った。
「ご報告ありがとうございます。近頃は春花でも餓鬼による被害が発生しています。恐らくですが、次回の任務はそれに関するものかと」
色奏官が請け負う任務の内容は、神の糸に組み込まれている。それ故に神から内容を明示される事はなく、各色奏官は自身で次の任務が何なのかを探らなければならない。
しかし手がかりが何もないと手間がかかる。だから巫女は、こうして次の任務について大方の予想を立ててくれるのだ。私は巫女に対して頷いた。
「わかりました。どのような任務でも、色奏官としての仕事を果たします」
「頼りにしていますよ。それでは、私はこれで」
「バイバーイなのじゃ〜」
桜の雨の先へ去っていく巫女をイエと共に見送って、側に建つ本殿へと向き直る。巫女に報告している間に目的地に着いていたのだが、到着するより前から、淡い痺れの波が全身に巡っていた。
本殿の周辺は、境内の中で最も神気の濃度が高い。両の目で社殿を見つめると一層強く神気を感じて、肌を撫でる痺れの強さが増す。
「……お久しゅうございます、根火香利様。杜紀和とイエは任務を遂行し、帰って参りました」
イエを降ろし、拝殿前で頭を下げる。根火香利様の実体を目にした事はないが、こうしていると、春花国の神はすぐそこにいるのだとわかる。
この場を占める風が、光が、匂いが、陽気が、そう訴えかけているからだ。
風は私の挨拶に応じるように、瑞々しい自然の香りを携えて、桜を舞わせながらふわりと私達を包み込む。
さざめく木々の音は穏やかで、耳を傾けていると、次第に体から余計な力が抜けていく。すると感じるのだ。神の気配を。
天衣を翻して裸足で宙を駆け回り、陽光に煌めく金の扇を掲げ、快晴の空へ薄紅色の花を吹き上げて遊んでいる神の姿が目に浮かぶのだ。
春を冠する国が仰ぐ、鮮烈な姿が。
「……根火香利様。私の願いは春花国の気枯れを出来るだけ多く払い、春花国が内側からしかと輝くのを助ける事。私はその為に引き続き奔走します故、どうかお見守りください」
更に深く頭を下げ、ゆっくりと顔を上げる。桜は静心なく降りしきり、堂々たる出立ちの社殿に華を添えている。神の姿などもちろんない。それでも、やはりいるのだ。見えないだけで、そこにいる。
八百万の色彩を感じさせる美しい風が、桜と遊んでいるのだから。
✽
遠方から春花国に帰り、春花大宮での参拝を済ませた後、いつも決まってやる事がある。これをしないと次の任務に集中できない。
いわば禊のようなもので、絶対に外せない重要な事なのだ。それは一体何かというと。
「久しぶりの! 春花のご飯は! うんんんんんまいのじゃ〜ッ!」
色奏官御用達の食事処で、イエは千切れんばかりに尻尾を振りながらいつも通り吠えた。そう、まずは食事だ。これに尽きる。
口にするのは金をたくさん積まなければ食べられないような、豪勢なものじゃなくていい。
湯気の立つほかほかのご飯と、舌に馴染んだ旨い料理があれば、素朴でも何でもいい。贅沢を言うならお茶も欲しい。それだけでいい。これ以上に疲れた体を喜ばせるものはない。
廊下を歩いている色奏官達が、わかる、わかるぞその気持ち、と言いたげな顔でイエを眺め、うんうんと頷いているのもそれが理由だ。
帰国後に食事をした色奏官は、感極まってイエのように叫んだり、嗚咽を漏らしながら突然歌い始めたり、食事代以上の金を詰めた袋を厨房に置いて帰ったりと、一言で言えば奇行に走る人が多い。
ここの女将さんはそれを面白がって気に入り、一般客用の部屋の他に、色奏官専用の部屋を設けてくれたのだ。
おかげで色奏官は安心して奇行に走れるというわけだ。良し悪しはともかく気は楽な場所だから、色奏官はここを重宝しているのだ。
しかもどの料理も味が良い。最高だ。ここの料理を口にすると、生を激しく実感する。
「ああ……てんこ盛りの強飯、万歳……!」
嵩高く盛りつけられたご飯に感動して震えていると、豪快な笑い声が飛んできた。
「あっはっは! 二人とも相変わらず良い食いっぷりだねぇ! そんな風に食べてもらえて、おばちゃん嬉しいよぉ!」
声の主である女将さんは私達の隣に腰を下ろすと、持ってきたお盆に乗せられていた桃を差し出した。
「はい、これはおまけ。給仕した子に聞いたよ、あんたらは帰ってきたばかりなんだってね。旨いものをたんと食べて、よく寝て、あんたらに溜まった気枯れを回復させないと」
「ぅわっはー! 果汁が滴ってて美味しそうなのじゃ〜! いっただっきまーすなのじゃー!」
イエは切り分けられた桃にガツガツと食らいついて、間髪入れずに仰け反りながら遠吠えした。仰け反りすぎて前脚が浮いている。よっぽど美味しかったのだろう。
それもそのはずだ。イエは美味にありついて正気を失っているから気付いていないようだが、その桃は蜜が詰まっていて、熟れた甘い芳香が漂う上等なものだ。
果肉の色艶の具合といい、市場に出回らない一級品だと一目でわかる。お礼をするだけで済ませてはいけないだろう。
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