常しえの四季
風成 粋雨
第1話
神の糸。運命とも呼ばれるそれは、この世に存在する全てに繋がっている。時に慈悲深く、時に冷酷に。神の糸は人形を操るように、神が望む道へと私達を導いている。
偶然も必然。神にとって無意味な事は起こらない。拒めども押し寄せてくる厄災、疫病、悪縁……それらによって、生物や土地は気枯れを起こす。
健全な状態である時は気が潤沢にあるが、それが枯れ、望ましくない事象が起きているのを気枯れという。
人は気枯れを嫌う。しかし気枯れもこの世界に存在する以上は意味があり、気枯れを払う存在にも意味がある。
私が存在理由を見失った今でも命が続いているのは、その力を持つが故なのだろう。
「こっこら、杜紀和! ボクさまを踏み潰すつもりか! 気をつけんか!」
「ん、ああ。すまない、考え事をしていた……けど、君も私に近寄りすぎだ」
慌てた声に視線を落とすと、タンポポの綿毛じみた白い毛玉……もとい、白い妖犬が頬を膨らませて私を睨み上げていた。
ただでさえ丸いのに、怒って毛が逆立っているせいで完全な球体になっている。
「……イエ。やっぱり君、犬っていうのは誤解で、本当は地上に迷い込んだ雲なんじゃないか?」
足首に触れるフワフワを堪能しながらそう言うと、イエはあんぐりと口を開いて、小さな体をわなわなと震わせた。
「なっ……なんじゃと……。だれが近年稀に見る豊かな毛並みが華やかな偉大で可憐な妖犬じゃって⁉︎」
「いや全然そうは言ってないけど。相変わらず自己肯定感が高いな、イエは」
イエは人の話を聞かずにはしゃいで、私の足元をぐるぐると走り回っている。ご機嫌なのは結構だが、これでは今度こそイエを蹴飛ばしてしまう。
仕方なくイエを抱え上げると、はらりと薄紅色の何かが頬の横をすり抜けていった。
雪のように軽やかに舞うそれは、風に乗って一つ、また一つと私達の元へ流れてくる。イエは短い前脚を精一杯伸ばして、それを迎えた。
「おお、ようやく着いたんじゃな。久しぶりに見ると壮観じゃのう、あの国の桜は」
「うん……そうだね」
サァ、と風が駆け抜ける音色に目を細め、遠くにひしめく満開の桜を見遣る。
若草の瑞々しい香りに日の芳しさが混ざり合い、錦の彩りを彷彿とさせる春の風。それがさらりと髪を梳き、蝶のように自由に去っていく。
そんな麗しいものにいかなる時も包まれる、胸が切なく軋む程に美しい国。
それが、私達の帰る場所だ。
「……ただいま。春花国」
溢れた声は、春の陽気に心地良く溶けていった。
✽
外部に派遣されていた気枯れ払いの術師――通称、色奏官――は、帰国したらまず春花大宮に向かう。
春花大宮は春花国の中心に聳える一等見事な山にある神社で、春花国の神、根火香利様を祀っている。
国中をまとめる神の座なだけあり、その境内はもちろん、山の端々に至るまで神気が行き渡っている。
その神気は山中のみに留まらず、神の糸へも伝い、春花大宮が必要とする存在を呼び寄せる。
色奏官とその同行者が国境を越え、桜に降られながら目前の道を進んでいくと、いつの間にか春花大宮の境内に着くのはその為だ。
踏みならされたむき出しの地面が敷石に覆われ始めたら、社殿までそう遠くない。
「なあなあ杜紀和、ボクさま、あそこに飛び込みたいんじゃ。いいじゃろ? 行かせてくれんか?」
私に抱えられたままのイエは、目を輝かせながら道の端にある薄紅色の小さな山を指差した。巫女達が敷石に舞い落ちた桜をせっせと掃いてまとめたものだ。
イエはあれに頭から突っ込むのが好きで、よく突撃しては体中花びらだらけにしている。
花びらを全部取り除くのは骨が折れるが、イエが楽しそうだからといつもは容認していた。が、今回は許可しかねる理由がある。
「ダメだよ。この前そうやって飛び込んで、中に隠れていた毛虫に鼻を刺されて大変な目に遭ったじゃないか」
「うっ……。で、でも、その時はたまたまそうだっただけで!」
「今回はそうじゃないって保証はないよ。後で虫がいない安全な小山を作ってあげるから、今は――」
ふと言葉を詰まらせる。くすくすと笑う気配を感じて振り返ると、いつからそこにいたのか、楚々とした佇まいの巫女がにこりと微笑みかけてきた。
「杜紀和様とイエ様がお帰りになられると、花の舞い方が活発になりますね」
「ああ、イエがよく暴れますからね」
わわわわとせわしなく脚と尻尾を振って降りようとするイエを抱え直してそう言うと、巫女はゆるりと首を振る。
「いえいえ、そうではなく。神桜達が喜んでいるのですよ。お二方のご帰還を」
「そうですか。春花に属する色奏官として嬉しい限りです。まあ……その桜の小山に潜んでた虫に前めっちゃ刺されましたけどね、イエが」
「ところで此度の任務はいかがでした?」
都合の悪い話は聞かない主義らしい。ここまで清々しいのは嫌いじゃない。
巫女が社殿へ向かって歩きだしたのにならって歩を進めながら、春花国を離れていた間に起こっていた事を伝える。これも色奏官の務めの内の一つだ。
春花大宮は都一つに匹敵する程広大な神社だが、その広さであるのには理由がある。ここは神社であり、かつ春花国の立法、行政、司法をも管理している最高機関でもあるのだ。
つまり春花大宮に仕える神職者ならびに巫女は、神と通じる力を有した公務員である。色奏官はそこに連なる存在であり、主に治安維持の為に日夜奔走している。
春花国に危害を及ぼす可能性がある気枯れを払うのが仕事である為、他国からの要請に応じる時もあれば、春花国と他国の間に存在するどこの領地でもない土地――跋扈地と呼ばれている――に向かう時もある。
今回は他国――夏鳥国、秋風国、冬月国の三国の内の一つ、夏鳥国――に近い跋扈地に向かっていた。
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