第九章 第五話
奏太は寮の自室でスマホを耳に当て、心躍らせるような面持ちで通話をしていた。画面には姉の葉山千鶴の名前が表示されている。
「そうなんだ。大学祭で新しい曲を演奏することになってさ、家族で来てくれるの?」
どうやら、千鶴が両親を誘って見に来ると言うらしい。奏太は思わず居住まいを正す。少しの緊張感と、それ以上の嬉しさが声ににじみ出ている。
「もちろん行くわよ。お父さんもお母さんも、奏太の音楽をちゃんと聴きたいって言ってるの。だって、あんたが家業を継ぐかどうかの話も最近出てたから、いろいろ話すきっかけになるかもしれないし」
千鶴の明るい声がスマホから聞こえてくる。奏太の胸はドキリとするが、同時に家族に認めてもらいたい思いが強くなる。
「そうだね……。大学祭のあと、ちゃんと話をするつもりだよ。音楽の道に進みたいっていう気持ちとか、俺の……セクシュアリティのことも……」
奏太は最後の部分で少しためらう。まだ両親にははっきりと言えていない話題だからだ。
千鶴の声が一瞬だけ穏やかさを増す。
「うん、ゆっくり話せばいいんじゃない? お父さんたちも、きっと最初は驚くかもしれないけど、奏太の幸せを願ってることには変わりないと思うわ」
「ありがとう。姉ちゃんがそう言ってくれると心強いよ」
奏太は目を伏せて微笑む。家族の理解が得られるかどうか、不安がないわけではない。しかし、ここまで来たのだから、もう逃げずに向き合おうという覚悟が芽生え始めている。
「それにしても、水上くんとも仲良くやってるんでしょう? 電話の声だけでも、なんとなくわかるわよ」
千鶴のからかうような口調に、奏太は思わず赤面する。
「そ、そうか……?」
「そうよ。あの子には本当にお世話になったし、私も彼のことを応援してあげたいわ。手首はもう大丈夫なの?」
「だいぶ良くなってきてるみたい。今度は三人で演奏するんだ。佐伯先輩っていうトランペットの人も加わってね。すごく楽しみなんだ」
「いいわね。私たちも楽しみにしてるわ。しっかり練習して、最高のステージを見せてちょうだい」
そう言って通話を終えた。奏太は小さく深呼吸し、窓の外を見やる。夜の闇が広がる校舎の向こうに、わずかに街灯りが瞬いている。両親や姉が見守る中で、自分の音楽を披露する――これは奏太にとって大きな挑戦であり、同時に夢でもある。
家業を継ぐかどうか、セクシュアリティのこと、自分が本当に歩みたい人生――すべてを含めて、今は音楽に想いを込めるしかない。結局のところ、自分らしさを一番表現できるのは音であり、それこそが両親に認めてもらう一番の近道なのだ。
そう思いながら、奏太はサックスケースを開け、深い呼吸とともに楽器を構える。明日もまた水上と合わせる予定がある。少しでも完成度を上げたい。その心に突き動かされるように、彼は管に息を吹き込み、夜の静かな空気の中へしっとりとした音色を奏で始めた。
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