人を描く-2

 始業式の翌日からもうフルで授業がある。なのでお弁当は自分の分しか作っていかない。真田くんも平日は自分でお弁当を持ってくるし、教室でいつも1人食べていた。そういえば彼は私たち以外の友人がいるのだろうか。体育などでは困っていないようだが。


 授業が始まる前に光莉と一緒に窓際の真田くんの席に行く。そして私と光莉は目でコンタクトし、ジャンケンを始める。真田くんはもちろんきょとんとする。負けたのは光莉。


「じゃ、光莉ちゃんから」


「勝者に従おう。真田くん。今度の日曜日、また出かけない?」


 真田くんはまだきょとんとしたままだ。


「……忙しいんだけどな」


「クロッキーで?」


 私が聞くと真田くんは頷いた。


「スケッチブックを持って来てよ。外でクロッキーやらない? あの噴水広場で」


 私がそう言うと真田くんは少し驚いたような顔をした。


「……そんな。悪いよ」


「沢渡さんと南さんの都合はつかなかったけど、あたしたちは行けるから。原因がわかってスランプになっているなら、その場所、そのシチュエーションに立ち返ったらどうかなって考えたんだ」


 光莉がグイグイいく。ジャンケンに負けたからというわけではなさそうな雰囲気。


「それこそ申し訳ない」


「今更。それにこれは私たちが君の完成した絵を見たいからに他ならないよ」


 私もグイグイいくことにする。光莉も更に行く。


「そうそう。そうだよ。お弁当作るからさ」


 真田くんは勘弁したような顔をして頷いて小さな声で言った。


「助かるよ」


 私と光莉は顔を見合わせ、2人してサムアップした。


 2学期は始まったばかりだが、私の方はさっそくエンジンがかかった。しっかり週末まで勉強に集中できた。ノートを今のうちに作っておく。あと、暗記部分も整理しておいた。私が真田くんに、ついでに南さんにできることはこれくらいだから。


 土曜日は光莉の用事があるということで避けて日曜日にした。土曜日まるまる1日ある。なにかをしないともったいない気がした。


 膝、どうだろう。もう痛みはない。スポーツ進学をするには危ない膝だが、普通に運動するには問題ないと医者には言われている。


 未練がましく飾っているバスケットボールを久しぶりに手にしてみる。今まで見ないようにしていたが、いざ手に取ると心に来る。重いもんだな、とボールの感覚を忘れていることに気付く。遊び程度ならいいのかも、と思えるようになっている自分に驚いた。


 私は日差しを避けながら高架下のバスケットゴールがある公園に向かう。バスケットボールをやっていた頃は部活が終わったあと、毎日のように通っていた公園だ。今の今まで存在すら忘れていた。ううん。忘れていたんじゃない。今まで意識的に遠ざけていたのだと分かる。


 今、自分が何を目指せばいいのかなんて、真田くんのようには考えられない。けれど少なくともあんなに打ち込んでいたバスケットボールから完全に離れることもないのでは、と思えるようになった。これは単なる未練ではないと思える。


 バスケットボールを持って公園に行くまでに既に汗ばんでしまったが、高架下は完全に日陰だ。中学生男子たちが何人かで3on3をやっていた。私の姿を見てか、プレイが中断した。


「うおお。お姉さんだ!」


「ちょおお久しぶり!」


「おお。君たちか。大きくなったな!」


 声をかけられて思い出したが、見知った顔だった。以前通っている間に知り合いになった(当時)小学生たちだ。1年ぶり……いや、それ以上経つと小学生が中学生になっているわけだ。まだ私より背が低いが、追い抜くのも時間の問題だろう。


「お姉さん、受験でやめたんかって話してた」


「まあそんなもんよ。混ぜてくれる?」


「いいけど、昔のオレたちとは違うぜ」


「はは。お手柔らかにね。久しぶりだから」


 私は少年達に混ぜて貰ってしばし3on3に興じた。久しぶりすぎてボールの感覚を思い出すのに時間がかかったが、思い出した後は中1相手ではあるが無双できた。


 大汗をかいて一休みしたいところだったが、一休みではなくもうやめておく。また膝を壊してはかなわない。


「お姉さん、久しぶりとは思えない!」


「やっぱつえーわ!」


「君たちも強くなったよ。信じられない。1年間の成長ってすごい」


 私は腹の底から笑った。


 今までバスケットボールから離れていたのがバカみたいだと思う。


 今まで勉強に逃げてきた。しかしもうその必要もないと、思える。 


 また遊びに来ると少年達に宣言をして公園をあとにし、帰宅後は急激な運動の反動で爆睡した。


 翌朝は早起きをした。今回は私が3人分のお弁当を作ることになったからだ。でも、光莉のように凝ったお弁当を作る気はない。お弁当に揚げ物と温野菜だ。揚げ物はササミのフライ、チーズ入り。初挑戦だが、上手にできたと思う。


 おにぎりとおかずをそれぞれタッパーに入れて、私はターミナル駅に向かう。


 ターミナル駅の改札階で光莉と真田くんと合流。やっぱり2人が先に来ていた。真田くんは大荷物だ。イーゼルスタンドまで持ってきている。


「すまないね」


 真田くんはなぜか謝る。


「いいってことよ」


「今日はモデルだからね。気合い入れて来た」


 光莉は前回の黒一色から一転しての白のワンピースだ。彼女のような華奢な美少女しか似合わないと思う。私は上下デニムのパンツルックだ。前回は白だが今回は青。違うと言えば違うが、私と比べると彼女は気合いの入れ方が違う。


 総武線から京葉線に乗り換えて、空いた電車になるので、私たちは真田くんを真ん中にして座る。


「女子に挟まれていい経験でしょう?」


 私は真田くんをからかう。


「2度とないかもしれない」


「そんなことないよ、きっとね」


 光莉はくすりと笑う。白ワンピの光莉はホント美少女だ。


 千葉みなと駅で降りて、熱い日差しを受けながら歩く。月は変わって9月になったがまだまだ盛夏だ。ただ蝉の声は小さくなった気がする。


 千葉県立美術館を横目に歩き、ポートパークに到着する。


「せっかくだからさ、今度は海岸に出ない?」


 光莉が提案した。ここはポートパーク港の公園というだけあって東京湾に面しており、人工海浜がある。


「もちろん。むしろお願いしたい」


 真田くんが大きく頷いた。全般的にいって彼は女子の提案に素直なのだ。


 噴水広場に行く前に人工海浜に降りる。小さな浜辺だが、背後はポートパークに植えられた木々が生い茂って緑眩しく、正面の人工海浜の砂浜は白く、海は波打ち、陽に輝いていた。


「いいロケーションだな。スケッチしていい?」


 私は真田くんに即答する。


「君はおかしなことを聞くね。そのために来たんだよ」


 先をいっていた光莉が振り返る。


「どうしたの?」


「真田くんがここでスケッチしたいんだって」


 私が光莉にいうと彼女はかわいらしく頷いて裸足になり、白いワンピースの裾を持って歩き出した。そして波打ち際をゆっくりと歩く。


「……どうしたんだろう、蓮見さん」


「わかってあげてよ。君のためにやっているんだよ」


 真田君は、気が付いた、という顔をして急いでスケッチブックを開き、鉛筆を手にする。描画が素早くなっている。ここ数日の成果だろうか。


 東京湾の向かい側の工業地帯は描いていないが、輪郭が現れてくる。空と白い雲、輝く波、砂浜を歩く少女の姿が私にも分かるようになる。形を捉える力を真田くんは着実に付けつつあるのだ。陰で立体感を出していく。


 光莉は「どう?」という目で私を見る。


「そろそろ」


 真田くんは焦りの顔を見せる。


「いいんだよ。君のペースで」


 真田くんは応えない。しっかり描き続ける。光莉を描いた部分を先に仕上げたようで、私は光莉に戻ってきてと伝える。光莉は靴を両手に私たちのところに戻ってくる。


「どう? あ、これ、あたし?」


「うん。風景部分はもう少し描きたいけど」


 光莉は描画全体から見るととても小さい。けれど遠景の中に確かに存在感を持って描かれている。何かを手に波打ち際を歩いているのが判別できる。


「顔も何も細かいところは描かれてないのにあたしだってわかる……」


 光莉は驚いている。言われてみればそうだ。分かったこととして気にしていなかったが、スケッチブックに描かれた少女が光莉だと私にも見える。


「よかった」


 真田くんはホッとした顔をして笑った。


 私はどきっとして目をそらし、光莉の方に目を向けると光莉の方も言葉を失っていた。真田くんを相手に思ってもみなかったが、男子と距離を詰めるとこういうイベントが発生するのだと改めて思い知ることになった。


「もう1枚ここで描きたいんだけどいい?」


「何枚だって、真田くんの気力が続く限り描いていいんだよ」


 光莉がはにかみつつ応える。


「日陰で休みたいときは言ってね」


 もちろん、と私たちは頷いた。光莉が私に言う。


「次は薫ちゃんの番だよ」


「あああ……そうか。そうだよね」


 その点については当然受け入れるべき事項だ。


 私はこの場で靴と靴下を脱いで波打ち際へ歩いて行く。砂が熱い。熱すぎる。ぴょんぴょんと跳びながら波打ち際へ。波打ち際の濡れた部分は熱くはない。かといって冷たくもない。9月の海。中途半端な季節。


 輝くさざ波を目にしたあと、私は振り返る。スケッチブックを手にした真田くんと光莉が並んでこっちを見ている。光莉は嬉しそうだ。真田くんは集中しているのがわかる。真剣な表情だ。


 あとで日焼け止めを塗り直さないとならないなと思いつつ、どんなポーズがいいのか考える。少し、海に入る。そして打ち寄せてくる波に指を差し込んでみる。


 冷たい。


 ちょっと温かいかもしれないが、やっぱり冷たい。新鮮な感覚。東京湾なのに海の匂いがする。波が足下まできて、私は1歩、前に進んでみる。波が足の甲まで濡らす。足下の砂が引く波で崩れ、沈んでいく、海水浴でおなじみの感覚を味わう。


「すごいよ、海だ!」


 私はふりかえって当たり前のことを言い、光莉に即座に突っ込まれる。


「そりゃそうだよ!」


 確か噴水広場に脚が洗える水道があったはずだ。気にせず海で遊ぶことができる。確かに、海の向こう側には神奈川県側の工業地帯が見える。でも、それを考えなければなるほど、レジャー気分だ。


 どうしてこんなことになったのだろう。


 私は不思議に思う。


 これも柚乃が髪飾りをくれたから。そして落ちた珠を真田くんが見つけて直してくれたから。バスケットボールを失った私にやってきた、なにか違う運命が、私をこの海に連れてきてくれた。


 友だちも増えた。光莉が、南さんが、真田くんみたいな男子の友達までいる。


 私の周り、そんなに不運ばかりじゃない。


 私はそう気付き、海水を手のひらで掬って飛沫を作る。


 ふふ。


 面白い。


 飛沫が太陽の光に反射して、眩しい。


 童心に戻るというのはこういうことを言うのだろう。私が振り返ると光莉が遠くで手を振った。気持ちが高揚する。こんな休日があったのかと私は微笑んだ。


 10分ほど波打ち際をぶらぶらしていると真田くんのOKが出た。私は裸足で真田くんと光莉がいるところに戻る。砂が熱い熱い。戻るとすぐに靴を履く。


「どお?」


 私は真田くんが手に持つスケッチブックをのぞき込む。出来は光莉を描いたものとあまり代わらないが、波打ち際で水平線を見ているすらりとした少女が目を引いた。これが自分だとは思えない。自意識過剰なのだろうか……


「薫ちゃんの特徴をよく捉えているね」


 光莉が言い、私は戸惑いながら答える。


「私、こんなにのびのびとして見えるんだ……?」


「どうして最後に疑問符がつくのかな? そうだよ。薫ちゃんはいつだって、すごく自由に見えるんだよ」


「そうなんだ……」


 自分が知らない自分を、真田くんが描いた素描で知る。それはつまり、彼の目というフィルターを通した自分に他ならない。


「前のスケッチの光莉もやっぱり光莉に見えたから、真田くんが人の特徴と捉える力がついてきているってことだ」


 私は真田くんに目をやる。


「人が描けないっていっても、モデルがいてくれればさすがに描けるよ」


 真田くんは苦笑した。

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