壊れたのなら直せばいい-4

 修理2日目。美術準備室での作業は型の成形から始まった。固まったレジンから紙粘土を剥がし、原型にした球体を抜く。抜いたところの半球状のくぼんだ部分を真田くんは単眼鏡を使って確認する。


「何しているの?」


「気泡があるとこの後の作業に影響するから。見たところ大きな気泡はないから大丈夫かな」


 そして型の縁にできたバリを取り、内部をデザインカッターで点検し、刃先で細かい凹凸を整形していく。慣れた様子だ。


「型はこんなところでいいかな。じゃあ、ここで氷川さんに選択をしてもらうんだけど、残っている珠の割れた断面をきれいに整形して、これで作ったものと接着してくっつけるのが1案。もう1案が割れたところを最低限きれいにして凸凹がある状態で固める前のレジンに乗せて、割れた凸凹を活かす形でレジンを作る」


「それぞれのメリットとデメリットは?」


「最初の案はきれいにできるけど、1度断面をきれいにすると光がそこでいったん遮られる気がする。やったことないから想像だけど。反射するのが断面ってことだね」


「それはありそう」


「2案はどうせ断面が見えるなら割れた感じもいいかなと思って。屈折が変化するし、接着は強力になる」


「……ちょっと迷うけど2案かな」


「どっちも作業量は変わらないから、氷川さんの選択の2案でいこう」


 私は頷く。接着が強力になるというのは魅力的だと思う。


「昨日のメモを活かすときがきたよ」


 真田くんは棚からポリ製のボトルを取り出し、メスシリンダーを用意した。


「50CC」


「うん。これは別の液を混ぜ合わせないタイプ。紫外線UVライトで硬化するタイプだからそんな急がないし、ゆっくり作業していいよ。でもなるべく気泡が生じないようにしたいね」


「少し分かった気がする」


 続いて絵の具を用意してくれた。色の調合は私の責任だ。真田くんが作ることもできると思うが、たぶん彼は私にやらせることで悔いのないようにさせたいのだろう。


 私は昨日記したメモを見ながら、そして昨日の感覚を思い出しつつ、一滴一滴アクリル絵の具をメスシリンダーに垂らしていく。少しかき混ぜ、確認しつつメモの通りに垂らし終え、攪拌。色はいい。小さな気泡が消えるのを待つ。その間に残った欠片の色と液体を見比べる。もちろん微妙に違うがいい感じだ。


 その間に真田くんは今日もコーヒーをいれてくれた。


「はい。砂糖入れてたよね」


 シュガースティックを添えてくれていた。


「実はコーヒー苦手」


「ええ? どうしたじゃあ紅茶にしなかったの?」


「真田くんが先にコーヒーって言ったから、たぶん、真田くんはコーヒーが好きなんだと思って」


 真田くんは少し驚いたような顔をした。


「そんな気を遣わなくても」


「だって直して貰っているのは私の方なんだから、気を遣いたいじゃない?」


 私は自然にうっすらと笑った。


「でもどうして今、それを言ったの?」


「砂糖を使うって覚えていてくれたのが嬉しかったから。砂糖を入れるとまあ飲めるのが分かったんだよ。だから今日は自分の意思でコーヒーを選んだの」


「氷川さんは難しいことを考える人だな」


「難しくなんかないよ」


「人を傷つけたり、イヤな思いをさせなければ我を通していいと思うんだけど」


「それは大切だね。でも、私が昨日コーヒーを選んだのは、真田くんが私にコーヒーをいれて気持ちよく作業して貰った方がいいかなと思ったから。それを思ったのは『自分自身』でしょう?」


「だから難しいっていうんだけどな。まあ、いいか。僕が美味しくコーヒーが飲めたのは間違いない」


 それは私と――まあ誰でもいいのだろうから、正しくは誰かとだろうか――一緒に飲むからなのだろうか。


 コーヒーを飲み干した後、真田くんはメスシリンダーの中のレジンの気泡が消えたことを確認する。どうやら十分時間をとれたようだ。真田くんは小さな万力バイスを組み合わせたものを作業台に固定し、バイスの先端に小さな板を挟み、そこに両面テープを貼り付けた。


「何するの?」


「両面テープで残った欠片を固定して、固める前にレジンの表面に、水平にくっつくように固定する」


「流石に手では難しいか」


「1度固定したら動かないし、角度をバイス側で変えられるから確実」


 真田くんは珠の断面が見えるように両面テープに貼り付ける。そしてバイスのボールジョイントを調整し、だいたい型の高さにする。そしてメスシリンダーを手にした。いよいよ型に流し込むようだ。スポイトを使うのかと思ったが、真田くんはメスシリンダーから直にレジンを型に流し込む。型の縁ギリギリまでレジンが満たされる。流し込む量はほんの少しなのに正確だ。


 そしてバイスを調整してレジンの表面まで珠の断面が触れるまで慎重に下ろした。ほんの少しレジンが型の上に流れ出したが成功だろう。


「……うわあ。緊張したわ」


 試合を決めることになりそうなスリーポイントくらい緊張した。


「あとはUVライトで固める」


 真田くんはスティック状のライトを私に手渡した。照射するのは私の役割らしい。私は説明を受けた後、UVライトを型に向けて全方位から照射する。昨日作った型はUVを通す素材でできているので、今日流したUVで固まるレジンの支障にならないらしい。着色したので長めに5~6分間照射し、真田くんはバイスを上げる。するとレジンは欠片にくっついて一緒になって、型からとれた。


「割とよくできたかも」


 バリはあるがきちんと球形に見える。


「僕は残ったレジンで予備の半球を作るから、氷川さんは研磨に入ろう」


 真田くんは紙やすりを数種類とチューブを何本かを私の前に出した。


「目が粗いものから使っていく」


「正解」


「さすがにそれくらいは分かる」


「あ、バリは僕が取るよ」


 真田くんは両面テープからイエロークリスタルの球体を剥がし、レジンと元の欠片に分けるとレジンのバリの部分を丁寧に切り取った。レジンの方は透明度が低い。ミクロの単位では表面が凸凹だからだ。


「レジンの方を磨くんだよね」


「本体もヤスったら削れるからね……」


 真田くんは特に説明もなく、次の型取り作業に入った。私はまずはレジンの半球を見て、ちょっと表面が荒れているところを確認し、粗い目の紙やすりをかける。だいたい表面が平らになったあたりで次の紙ヤスリをかける。すると少し透明度が上がって光が入ってきた気がする。


「このチューブは何?」


 レジンを流し込みながら真田くんは答える。


「コンパウンド。紙やすりより更に目が細かいんだ。ティッシュとか柔らかい布につけて使う」


「車の傷を消すのに使う奴?」


「よく知っているねえ」


「父親が使ってたことがあったかもしれない」


 私は父が車に小傷をつけたとき、作業していたことを思い出した。


「目が細かいとそれだけ時間がかかるから根性でね。ながらだと1カ所だけ磨き続けちゃうとかミスが起きるから、集中してやってね」


「わかった。どのくらい時間がかかるものなのかな」 


「それは氷川さんがどのくらいきれいにしたいかによる。小さいから2時間くらいかな」


「がんばる」


 ここまで真田くんがやってくれたのだから、あとは私の番だ。一心不乱に6時まで磨き続けるとあとは目の細かいコンパウンドだね、と真田くんは言ってくれた。もちろん真田くんは作業の後片付けを終え、美術準備室の中はきれいに片付けられていた。


 私は3種類のコンパウンドを持ち帰って引き続き、家で磨くことにした。


「金曜日1日あるから余裕で間に合ったね」


 美術準備室を後にし、昇降口で真田くんは言った。


「ありがとう。でも気は抜かない」


「氷川さんはすごいな」


「すごくないよ。自分の運がよくない自覚があるだけ」


「なるほど。でも、そんなに運が悪いのかな。欠片もここで見つかったし、修理もなんとかなりそうだし、プラマイゼロじゃない?」


 プラマイゼロか、と一瞬考えたが、ぜんぜんプラマイゼロなんかではない。プラスだ。私はじっと真田くんの顔を見る。


「お礼をしないとね」


「うん? それは修理が無事完了して、お気に召してから考えて欲しいな」


「真田くん、慎重。でもここまでやってもらえただけで十分お礼をしたいよ」


「では考えておいてください」


 真田くんは微笑んだ。割といい微笑みではないか。私は微笑み返した。


 彼は昨日と同じように駅まで送ってくれて、自動改札の先に私が消えるまで見送ってくれた。


 やっぱりプラスだなあ、と私は改めて思った。

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