第17話「鋼メンタルで馬車の揺れを耐え抜く」

 ゴトゴトゴト。


「ユージーン、腹減ってないか? おやつにリンゴ買ってきたから一緒に食おうぜ。お前、ナイフ使うのへたくそだなあ。俺が剥いてやろうか? へへっ、俺のリンゴ剥き上手だろ。一人で食べられるか? あーんしてやろうか?」


 僕はぴったりと右隣に座って、あれこれと話しかけてくるウルスナにこくこくと頷いた。差し出されるリンゴをもしゃもしゃとかじる。ちょっと酸っぱいけど瑞々しくて水分がたっぷりだ。


 ゴトゴトゴト。


 僕のはす向かいに座ったアイリーンは、機嫌悪そうなジト目でこちらを見つめている。僕が顔を上げると、視線を合わせるのを避けるようにぷいっと顔を背けた。


「気持ち悪い媚び売っちゃって、バッカみたい」


「お? なんだ、やるかぁ? 一度上下関係ハッキリさせといてもいいんだぜ」


「フン、頭悪いとすぐ暴力に訴えるんだよね。冒険者じゃなくてスラムでチンピラやってる方が似合ってるんじゃないの? なんなら転職先紹介してあげよっか」


 2人がバチバチと視線を戦わせるその横で、僕の真向かいに座ったデアボリカが読んでいた本に視線を落としたまま、静かに口を開いた。


「いい加減にしたまえ。君たちをケンカさせるために依頼を出したわけではないんだ。トラブルを起こすようなら、君たちだけ馬車から降りてもらうよ」


 ギルドマスターの言葉に、ウルスナとアイリーンはフンと互いに顔を背けた。

 同じ馬車内にいる、ウルスナとアイリーンの仲間たちが深い溜め息を吐く。

 デアボリカは白い手袋をはめた指先で、トントンと自分のこめかみを叩いた。


「はぁ……。まったく、君たちがこんなに仲が悪いと知っていれば、依頼に同行させようとは思わなかったのだが」


「普段はここまでじゃないんだがね。いやはや、まったく不思議だよ」


 アイリーンのところのリーダーさんが口にした弁解は、どこか白々しく聞こえた。



 例の治療騒動から2週間ほどの時が経った。

 今、僕たちは馬車に乗って旅をしているところだ。

 旅といってもあてのない冒険旅行などではない。デアボリカの知人の領主の中に病気で苦しんでいる人がいて、その治療をしてほしいという話だった。

 デアボリカが言うには、当面僕は彼女にあちこち引きずり回される生活を送ることになるらしい。旅暮らしにはなるが、金払いはいい。なんと治療のたびに金貨3枚を支給してくれるというのだ。銀貨にして300枚だよ。これは彼女の一族が雇っている医者が、治療1回で請求する金額と同額なんだそうだ。

 それじゃデアボリカには儲けが出ないんじゃなかろうかと思ったが、デアボリカは「気にしなくていい、私はそれ以外のことで儲けさせてもらうからね。まあ、君は金払いのいい雇い主にたっぷりと恩を感じてくれたまえ」と余裕たっぷりに言っていた。ズル賢いデアボリカがそう言うのなら、まあ気にすることもないだろう。


「行ってらっしゃい。楽しい土産話を聞かせてくださいね」


 城門前まで見送ってくれたウェズ君に手を振り返しながら、僕は異世界に来て初めての旅に出発したのだった。


 目的地までは馬車でたっぷり半日かかる。馬車って、イメージほど速くないんだよ。人間が走るのと同じくらいの速度が、荷馬に過度の負担をかけないラインなんだって。

 体感だけど、時速60キロで走る自動車の1/5くらいの速さかな。そして日の出と同時に出発して、日の入りの頃に到着するとすると10時間。つまり時速12キロ×10時間で、120キロほど離れていることになるね。確か東京から軽井沢市や日光市までの距離がそれくらいだったかな? 東京から富士山までは100キロだったはずだから、それよりは遠いね。割と離れてるんだなあ。

 知人がいる都市っていうから、僕はてっきり東京23区内程度の距離なのかなと思ってたよ。だってデアボリカは地方都市の領主の三女だもの。いくら冒険者ギルドを司っているとはいえ、次期後継者でもない人間がそんな離れた都市の貴族と個人的に交流を持てるものなのかなあ。戦国日本でいえば里見家の家臣と今川義元が個人的にマブダチですってくらい違和感があるよ。どういうきっかけで知り合うんだよそれは。まあ、別に彼女の交友関係にそれほどの興味はないけど。


 で、長距離を移動するので護衛として冒険者ギルドから2パーティを雇うことになった。そこに手を挙げたのが、アイリーンとウルスナのパーティだ。

 これはなんか意外だった。こういうモンスター駆除以外の仕事をこなしても、報酬はもらえるけど大きな実績にはならないんだよ。アイリーンもウルスナもバリバリ手柄を挙げて出世したがるタイプだとばかり思ってたんだけど、気分転換ってことなのかな。

 そして2人とも、なんか常に僕のそばにいる。ウルスナはつい先日まで落ち込んでいたのが嘘みたいに上機嫌で、あれこれと話題を見つけては僕に話しかけてくる。正直僕も割と陰キャ寄りだから、コッテコテの陽キャが放つエネルギーに押され気味ではあるんだけど、話題を振ってくれるのは楽でいいね。時間つぶしにぴったりだ。

 アイリーンの方はすっごく機嫌が悪い。いや、元から僕の顔を見ては嫌味を言ってくる女ではあったんだけど、特にウルスナにはやたら攻撃的につっかかっている。僕にはあまり嫌味を言ってこないので、タゲが全部ウルスナに吸われているようだ。ウルスナはアイリーンの口撃をヘラヘラとかわしたり、挑発で返したりしているが、こっちもアイリーンのことはあまりよく思っていないらしい。

 なんなんだろうね、ウマが合わないってやつなのかな。

 アイリーンとウルスナ以外の冒険者たちは、何やら露骨に僕と距離を置いてあまり仲良くならないようにしようとしてる感がある。

 転移者ですが馬車内の空気が最悪です……。【精神耐性】があるからギスギス感が漂っててもストレスは感じないんだけど、せっかくならもうちょっと和気あいあいとした感じにならないものだろうか。もちろん、これはあくまで仕事なんだから楽しいおしゃべりに夢中になって敵の奇襲に気づきませんでした、なんてことになったらプロ失格だが。


 僕は隣に座っているアイリーンのパーティのリーダーに、こそっと話しかけてみる。


「……この2人って、ライバルか何かなんですか?」


「んー。まあ、ガチガチのライバルだねえ」


「へえ。やっぱり大物モンスターをどっちが先に倒すかとかで勝負したり?」


「いや、色恋のだよ」


「イロコイ?」


 イロコイ・インディアンを巡るライバル関係だというのか……?


「リーダー!」


「はいはい」


 むーっとした顔で叫ぶアイリーンに、リーダーさんは肩を竦めた。

 ……なんてね。僕だって鈍感ではあるけど、別に突発性難聴は患ってない。

 まあいろいろと察しますよ。

 だってウルスナは前々からずっと距離詰めてきてるし、それの恋のライバルって言われたらねえ。


「アイリーンって僕のこと好きなの?」


「!?」


 僕のダイレクトな指摘に、アイリーンはかぁーっと真っ赤になった。


「誰がアンタのことなんか!」


「あっそ。……あっ、馬車の揺れが」


 白々しくそう言って僕がウルスナのお腹を触ると、ウルスナは「あっ……♥」とぴくんと体を震わせて、頬を赤らめた。あれ? 遊び慣れてそうだと思ったけど、意外とウブい反応だな。


「あー!」


 アイリーンはがたんと席を蹴立てて立ち上がるが、すぐに我に返ってむすーっとした顔で座り直す。

 なるほど、これはこれは。


 ……正直、狩りの成果を見るたびにバカにされてたときは本当に憎たらしい女だと思っていたんだけど。


「可愛いっすね、こいつ」


 僕がアイリーンを指差しながらリーダーさんに話しかけると、彼女はもっともらしく頷きを返した。


「だろう。うちのアイリーンは可愛いんだよ」


「か、かわっ……!?」


「あいてっ」


 右隣から脇腹をぎゅーっとつねられて、僕は思わず声を上げる。

 わずかに頬を膨らませたウルスナが、ジト目で睨んでいた。

 【苦痛耐性】があるから別に耐えられるけど、痛みの信号を脳に送られ続けるのは不快なのでその手を握ってやめさせる。


 えー。ウルスナってそういう嫉妬とかするの?

 遊び慣れた俺様キャラだし悪友ポジくらいのからかい方してもいいだろと思ってたのに、君なんかイメージと違わない?

 いきなりモテ期が来てるのを肌で察して、内心ヤッターと浮かれ気分だったけど、なんか2人とも思ってたのと違う反応してくるから正直戸惑ってるよ。アイリーンは小動物系だし、ウルスナは実はちょっと感情が重たい感じがするし。特にアイリーン、口調まで変わってるじゃん。


「見たまえ。気になる男の前で悪ぶった口調を演じていたが、天然の俺っ子のウルスナが近くにいるから同じキャラ付けじゃ勝てないと思い、持ち前の口調に戻したあざとい生き物がそこにいるよ。可愛いね」


「うるさいなぁ!?」


 あ、リーダーさんの趣味はアイリーンいじりなんだな……。

 まあ口調被りといえばリーダーさんとデアボリカも口調似てるんだけど、デアボリカの方は怪鳥音と共にのしかかってきたときのが素の性格だろうしな。


「……何か言いたいことがあるのか?」


「いや、何も」


 僕はインテリキャラを装うヤクザ貴族から目をそらした。

 こいつ一度僕に本性見せてるから、僕相手には殺意向けても構わないと思ってる節があるな……。

 居心地悪いし、ちょっと話を変えるか。


「それにしても、この馬車あんまり揺れないんだね。話によると地面の震動が響いて座ってられないほどだって聞いたけど」


 馬車の震動がひどくて座るのがきついから、主人公がチート知識でサスペンションを開発するっていうのは異世界転生あるあるだよね。そこまで酷い乗り心地ってどんなのだろうって、怖いもの見たさで一度乗ってみたかったんだ。


「ああ、この馬車は革ひもで座席をゴンドラのように吊り下げてるからね。車輪からの震動が直接伝わらず、お尻に優しいんだよ。冒険者ギルドの持ち物だが、これが結構いい代物なんだ。値段もなかなかしたがね」


「へえー」


 既に改良済みの馬車だってことか。たしかサスペンションの改良を経て、自動車や鉄道の発明につながっていくんだったよね。

 ってことは、この世界の文明レベルって中世の終わりごろなのかな? まあこの世界の歴史が僕たちの世界と同じってこともないだろうけど。


「それに馬って、思ったより脚が太くてがっしりしてるんだね。もっと脚が細くてシュッとしてるものかと思ってた」


 するとデアボリカは、何やらおかしそうにクスクスと笑った。


「もしかして脚が細くてスピードが出る馬のことを言ってるのかね? それはレースや乗馬に使う馬だよ。ああいうデリケートな馬に馬車みたいな重い荷物を牽引させたら、すぐに脚を痛めてしまう。馬車に使う馬は、こういうがっしりとした力強い馬でなくてはね。まったく、馬車すらもないなんて、君も随分文明の遅れたところから来たのだねえ」


 はぁ~? 馬車なんて時代遅れの乗り物廃れてるだけだが? こちとら令和だが?

 あー新幹線やジェット機見せてド肝抜いてやりてえ~。


「大ブリシャブの貴族ってすぐ他の国を見下すよね」


 そういうのよくないと思う。まあ貴族なんて、デアボリカとウェズ君以外知らないけどさ。

 僕の言葉に、デアボリカはふふんと得意そうに胸を反らす。


「そりゃそうだろう、大ブリシャブ帝国こそ世界一の列強国だよ。東はインディスパイスから西は13植民地シスターズまで、海をまたいで君臨する我々こそが『太陽の沈まない帝国』! 人類史上で最も優れた文明なのさ! 我々はいずれ古のロマン帝国をも超える史上最大の版図を得て、永遠に世界を先導するだろう!」


「帝国は偉大でも、お前は田舎者じゃん」


「殺すぞ貴様!?」


「わー、帝国バンザーイ」


 僕は両手をあげて降参のポーズをとりながら、帝国を称えた。

 それよりも……。思ったよりも着痩せするデアボリカの胸が、レースのついたブラウスをパンパンに押し上げている。こいつ、性格は最悪だけど胸はいいもの持ってんな。僕が視線を釘付けにされていると……。


「……あいたっ」


 脇腹をウルスナがつねり上げ、爪先をアイリーンがぎゅーっと踏み付ける痛みに、僕は顔をしかめた。別に痛みを感じないわけじゃないんだからやめてほしい。


「スケベ……!」


「はいはい、僕はスケベですよ」


 アイリーンの言葉に、僕は首を竦める。

 ああ~。軽蔑したようなアイリーンの態度が、なんか現代日本を思い出させてすっごく懐かしい気分。世界そのものがTSしたようなイカれた貞操逆転世界において、とっても爽やかな存在だ。アイリーンへの好感度がまたひとつ上がった。そのままのキミでいてほしい。


 それにしても、現代日本だと女の子の胸をじーっと見たらすっごい嫌がられるところだけど、なんかそういう感じはないんだよね。むしろあのデアボリカですら、なんだかちょっと自慢気に見える。

 僕がスケベだと公言してもアイリーン以外は軽蔑してるような感じしないし、なんかとても不思議な感じだ。



≪説明しよう!

 男所帯のワゴン車で旅してる中に女の子が1人だけ混じっていて、結構胸板たくましいんだねーと褒めてくれたときのような感じである! 体を褒められて悪い気がする男などいないのだ! あまつさえ「私わりとエッチなんだよー」なんて言い出して、空気は若干ピンク色である!

 ちなみにアイリーンがカリカリしてるように見えるのは、思春期特有の潔癖性を患ったショタ枠だからだ! 憧れのお姉さんが他の男と気安い感じで接してるから気が気じゃないが、内心ではすっごくムラムラして心のショタチンを甘勃起させてるぞ!≫



 こうして何やらそわそわした感じで旅を続けること半日。

 僕たちは何事もなく、目的の都市へと到達したのだった。




「……あれ!? モンスターの襲撃は!? こういうのって旅の途中でモンスターが奇襲してくるのがお約束だよね!?」


「街道沿いのモンスターなんて駆逐されているに決まってるだろう。上部座席には4人乗せて見張りを立てているから奇襲などそもそもありえんぞ。何を言ってるんだお前」


 もうちょっと盛り上がりを意識しませんか!?

 まあ僕は戦闘力皆無だから、馬車の中で震えるしかできないんですけどね。強い女の子たちが戦ってるのを男が応援するだけってまったく絵にならないから、これでよかったのかもしれないなあ……。

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