第2話「異世界転移で鋼メンタルを手に入れる」

 宿の個室に戻った僕は、ふうーとそのままベッドにひっくり返った。

 いやぁ、お腹パンパンだぜ。


 個室といっても3畳ほどしかない狭っ苦しい部屋で、備え付けのベッドと小さなテーブル、あとは粗末な椅子くらいしかモノがない。

 まあでも僕にとっては上等の部屋……というか、底辺の男性冒険者に個室を貸してくれる宿なんてのがそもそもめったに存在しないんですね。なんせ宿屋にとっては客を信用して部屋を貸すわけで、宿泊費を取りっぱぐれる恐れがある客はそもそも泊めてくれない。底辺の、それも男性の客なんてもう社会的信用がどん底なわけで。


 同じ底辺冒険者でも女性なら話は楽で、こっちは集団の雑魚寝部屋がある。大事な金品は抱きかかえて、周囲に警戒を配りながら寝るわけだ。でも男冒険者がそこに混じって寝るわけにはいかないんだな。

 だってほら、地球で言えばむさ苦しい貧乏中年男の集団にうら若き少女がひとり混じって寝るようなもんなので。そりゃもうね……D●Siteのエロ同人みたいなことになりますね。

 江戸時代の旅籠では男女同衾も割と当たり前の光景だったとも聞くけど、江戸時代って中世ながら割と治安良かったんですよ。こっちの世界の荒みっぷりは甘く見ちゃいけない。金目のものを置いて部屋を出たら間違いなく消えます。それも宿のメイドとかが盗んだりしますね。下着とか置いて出るのもダメ。変態に盗まれます……というか、服ってこの文明水準だと結構な価値があるもので、普通に割といいお値段しちゃうので金目のものでもあるんだよね。


 僕はこつこつセコい仕事でギルドから信用を積み重ねて、ギルドからの口利きで宿から個室を借りてるわけだけども、そんな宿ですら普通に盗難が起こるんだから世も末だよね。なので僕は装備品も衣類も、およそ財産と呼べるものは全部ギルドに預けてます。ギルドの倉庫からなくなったらそれはギルドの責任にできるからね。毎度報酬の2割を天引きされてるわけだし、せっかくなら使える制度は全部使いますよ僕は。

 何せ自分の身は自分しか守れないんだから。


 僕は今まさにそれをひしひしと感じてます。

 具体的に言うと、壁からの視線として。


「……ふぁぁ」


 できるだけ気付いたそぶりを見せず、大きく伸びをしながらちらりと背中越しに壁をチェック。

 するとそこには黒い穴から覗く碧いお目目。

 今夜もいるなぁ。お客さんが。


「さて、そろそろ体拭いて寝よっかな」


 そう何気なく呟いて上着の裾に手をかけると、ギシッ……と宿の薄い壁が軋む音が響いた。おいおい、興奮するのはいいけど壁は破くなよ。

 そのまま前後の壁の向こうからの荒い息遣いに気付かぬふりをしながら、僕はシャツを脱いだ。宿が用意してくれた湯桶に布を漬けて、ギュッと絞ってから上半身の汗を拭っていく。ふう……極楽極楽。


 こちとら一般的な日本人なんでね、やっぱり毎日足まで湯船に漬かりたいところなんだけども、この文化圏って日常的な入浴文化がないんですよ。貴族とかも毎日入浴はしないっぽい。厳密には浴場自体はあるんだけど、そんなのは高級娼館のサービスとかでしかお目にかかれないわけで、僕みたいな貧民じゃ門前払いだ。というかこの世界の娼館って男娼が女性客を接待する場なんだけどね。

 なので代わりに宿に金を払って、沸かした湯を用意してもらってるわけだ。やっぱり毎日肉体労働で汗をかいてるのにそのままじゃ寝られないし。そもそもドブさらいなんかした日にゃ、そのままベッドを使われちゃ宿もたまったもんじゃないしね。


 ……壁の穴からの視線なあ。

 もう本当に考えたくもないんだけど、この部屋って覗き部屋なんですわ。

 僕の両隣の部屋はかわるがわる女性客が宿泊してて、僕の着替えとか湯あみをギンギンに覗いてくるんだよね。

 正直よっぽど塞いでやろうかと思ったんだけども、減るもんでもないのでそのままにしてます。正直ギルドからの口利きで取った宿でこんな真似されて、ギルド無礼ナメてんのかぁ?とも思うんだけども、かといってじゃあ他の宿を用意できるかというと……。他に行き場ないんですよね、これが。なので諦めて上半身くらい見せてやることにしました。僕の価値観では、男の上半身ヌードなんて何の価値もないしね。高校時代の体育の授業で、女子の目の前で堂々と着替えてたときのメンタルですわ。

 ……そのうち金が貯まったらすぐにでもまっとうなアパルトメントに引っ越してやるかんな。



≪突然だが説明しよう!

 ちなみにこの視線は、彼がこの部屋を借りてから途切れたことがない。

 この男島雄士、あまりにも男らしい名前に反してあんまり筋肉がついてない貧弱なボーヤなのをコンプレックスにしていたが、この世界の価値観では彼くらいの筋肉量がもっとも均整がとれた美しい肉体とされる。

 つまり雄士は我々の世界における絶世の美女というポジションにあるのだ。

 しかし彼はいまだに、自分がどのように見られているかを正確に把握していなかった……! 鴨オブ鴨である!≫



 体を拭き終えた僕は、上着を着直した。

 そしておもむろに立ち上がり、黒い布を壁の穴に貼り付けて潰してしまう。


「あ……もう少し……」


「ケチ!」


 壁の向こうから女の悪態が聞こえたが、聞こえなかった振りをする。

 お前ら人の入浴シーンでさんざんシコったんだから充分だろ。

 この上寝姿まで見られちゃさすがに安眠できねーっての。

 必要な分は見せたということだ、これ以上は見せぬ……!


 そもそも僕には銀貨1枚も入らないというのに風呂を覗かせてやってんだぞ。文句を言われる筋合いなどないわい。

 大体、見られちゃ困るものもあるしな。


 僕は窓から誰も覗いていないのを確認してから、扉に手を向けて小さく呟いた。


「来い、自販機ベンダー


 ミシッと音を立てて、空間が軋む。

 一瞬、複数の異なる光景が混じったように位層がブレて……。

 やがてそこには、液晶パネルのついた奇妙な自販機が出現していた。

 液晶パネルには何も表示されておらず、購入するボタンは1つしかない。しかしこれは確かに自販機なのだ。

 自販機には紐でぶら下げられたカタログがついており、この筐体で購入できるものが一覧で記載されている。それはいくらこの世界の金を積んでも得ることが叶わない、とびっきりのお宝ばかり。


 たとえば伝説の武具だとか。古の大魔術の魔導式だとか。剣聖の剣技だとか。

 そういったいわゆる【転生特典チート】を購入できる自販機だった。

 ただ問題があるとすれば……。


「……今日もコインは増えてないなぁ」


 ポケットをまさぐりながら、僕は溜息を吐いた。

 この世界に転生してからというもの、毎日のように僕はこの自販機を呼び出している。だが、購入に必要な肝心なコインはまるで増える様子を見せない。




======

====

==




 半年前、交通事故に遭った僕は、気付けば何もない真っ白な空間にいた。


 普通こういう異世界転移って、超美人の女神様とか天使とか怪しいセールスマンとか、そういうやたら下等生物に優しい上位存在が「貴方は死んだけど手違いだったからチート付きで異世界に転生させてあげる」って懇切丁寧にアナウンスしてくれるもんだと思うだろう?

 そういうの一切なかった。

 ただなーんにもない真っ白な空間にチート自販機が置いてあって、生前の功績に応じてチート能力買わせてやるから好きにしろって書置きが自販機に張り付けられていただけ。


 もうね、呆れたね。

 僕も数々のネット小説を読み込んできたけど、こんな手抜きの異世界転生なんて見たことないよ。

 さすがに昨今異世界転生モノが溢れすぎてて、管理する上位存在もいい加減面倒になったのか、それとも転生者の数が手に負えないからコストカットしたのか。

 ……あるいはそういうのは世界を救う勇者様とか賢者様とか司書様とか、そういう「主人公」のための特別な待遇であって、僕ごとき凡人なんかにそんなコストをかけるのもったいなかっただけかもしれないけど。どうもそれが一番ありそうだよ、やだねぇ。


 ちなみに僕が使えるコインは16枚だった。

 いつの間にかポケットに明細書と一緒に詰め込まれてたよ。

 僕の人生ってたったコイン16枚なの? 少なくない? と思いながら、それでも憧れのチート転生だ! やったぜ! と心のどこかでウキウキしながら明細書開いたらね。


【親不孝(親より先に死んだ):マイナス25枚】

【借金不返済:マイナス10枚】


 チートだ転生だって浮わついてた気持ち、一瞬で吹っ飛んだよ。

 大学に行くまで育ててくれた両親に何も恩返ししてないまま先立ったもんね……。そりゃ親不孝だわ。いや本当に申し訳ない。マイナス査定も当然だわ。

 わざと死んだわけじゃなくて事故だから許してほしいけど、もう死んじゃったもんは仕方ない。貴方たちの息子は違う世界でもなんとか生きていくから、それをもって償いとさせてください。


 借金については、僕まるで心当たりがなかったんだけど、気付きました。

 これ奨学金ですわ。就職してから返さないといけなかったんだよね。

 まあ事実上、国からの借金だよあれ。これも両親に迷惑かけちゃったなあ。


 じゃあプラス分は何だったかというと、

【小学生の頃に読書感想文コンクールで金賞を取った:1枚】とか、

【捨て犬を拾って天寿を迎えるまで世話した:5枚】とか、

【生涯で12人から片思いされた:6枚】とか、

 何やらそういうちっぽけな功績とか、善行みたいなのがカウントされていた。

 もう本人ですら覚えてない功績ばかりだ。……というか片思いされてたのとかまったく気づかなかったんだけど、なんで誰も告白してくれなかったんですかね。

 くそっ、誰か一人でも告白されてりゃ生涯童貞で終わったりは……!


【生涯童貞(貞潔を守ったまま一生を終えた):25枚】


 僕の童貞、親不孝と相殺するくらい価値あったの!?

 マジかよ。査定した奴、ユニコーンとかなの? 一度直接訊いてみたいわ。

 生物的には子孫繁栄に一切貢献してないのってむしろマイナス査定なのでは? という気がしてならないのだが。まあもらえるものはもらっておこう……。

 そもそも片思いしてくれた12人が全部女性だとも限らないしな。くそっ、気付くんじゃなかった。


 さて、この16枚のチート引換券は何に使おうかな……。僕は自動販売機の横に吊るされていたカタログをぱらぱらとめくった。

 そしたらいやーもう、見たことあるチート能力が出るわ出るわ。


『初回選択時限定アイテム! 曝炎神龍ばくえんしんりゅうセット! たった10枚であの最強な力がおまえのものに! 買うしかないネ!』


 特にこれには惹かれたね。ようつべのクソ広告でさんざん見たけど、誰一人として入手した奴は現れなかったという伝説の装備品だよ。

 他にも火と氷が合わさって生まれる極大呪文とか、あらゆる異能を打ち消す右手とか、3秒間時を止める幽ろな波紋とか、誰もが知ってるレジェンドな能力まで載ってたけど、これは僕の予算じゃまったく手が届かなかった。やっぱこういうのって主人公かその相棒くらいの格がないと買うの許されないんスね。凡人との差を感じるわぁ。


 とりあえずカタログを読み漁った結果、僕は予算全部突っ込んで魔法の素質を買うことにした。やっぱり魔法って憧れるもんね。現世にはなかった力なんだし、せっかくなら使ってみたいって思うのは当然のこと。

 ドキドキしながら自販機の前に立って、ボタンを押そうとして……。


 はて、本当にこれでいいのか? と僕は急に不安になった。

 このまま着の身着のままで異世界に行って、やってけるのか?

 だって言葉通じないでしょ異世界。大学の第二外国語はドイツ語取ったけど、それでも単位とるのはあんなに苦労したんだよ? 受験の時の英語はもっとしんどかったし。


 慌ててカタログを読み直してみれば、基礎のページにばっちり【異世界語会話】って書いてあったのを見逃していた。あっぶね、言葉が通じないまま異世界行くとこだったわ。

 他にも必要なものはないかと思って読み直してみれば、【疾病耐性】というのも出てくる。これも絶対に必要だ。現代日本で暮らしていた人間が、異世界の病気に抵抗力があるとは到底思えない。


 【精神耐性】……精神的にタフになり、他者からの精神干渉が効きづらくなる。僕は割とメンタル弱くてくよくよしがちだし、ホームシックになったら再起不能になるかもしれない。採用。

 【苦痛耐性】……肉体的・精神的に痛みに強くなる。異世界で冒険者やるなら必要だろう。採用。

 【薬毒耐性】……自然毒・化学毒を問わずあらゆる毒物への耐性を得る。医学が未発達な世界だとただの食中毒でも命に関わるレベルだよね。これもいるな。


 そんなこんなで自分でもなんで見逃してたのかわからないくらい必要な能力を取ったら、既に10枚分になってしまっていた。

 うーん、あの伝説の曝炎神龍セットと同額かぁ……と思う気持ちもあったけど、どんなチート装備だって健康には代えられない。

 いや、死んだから言うけど健康って本当に宝だよ、それもなくしてから気付くタイプの。

 絶対に病気にならない肉体と精神って、それだけですごいチートだもん。金持ちの爺さんとか数億積んででも欲しがりそう。


 さて、10枚突っ込んで異世界会話と耐性系を購入したところで。

 あとは何を買おうかな……今度こそ魔法関連の能力がいいか。

 そう思いながら残り6枚の使い道を探してカタログをめくっていると、最後の最後に大事なものを見つけてしまった。


 【継承】……あなたは今世の人格と能力を一切失わない。代価は6枚。


 あっぶねええええええええええ!

 危うく別人になってゼロからスタートするところだったぞ!?

 しつこくしつこく読み直さなかったら、絶対見落としてたわこれ。

 自分でもなんで見逃してたのかわからないけど、超重要じゃんか。

 まあいっそ全部忘れて現地人として生まれ直すのも手かもしれないけど、やっぱり今の自分を失いたくはないよね。それって死と同義じゃない? ……いや、交通事故で死んだんだっけ、ワハハ。


 ……なんか変だな。もしかしてもう【精神耐性】の影響出てんのかな?

 まあいいか、くよくよしなくなったんだから悪いことじゃないよね。


 結局耐性と自我の維持だけに全部突っ込んじゃったの、少し惜しかった気もするが……。せっかくのチート能力を得る機会、きっともう訪れないだろうな。

 まあでもよくよく考えてみたら、生きてる間に前世の記憶を本当に保持してた奴なんて見たことがないし、健康な体も生まれつき病弱な人からしたら喉から手が出るほどほしいものに違いない。

 そもそも交通事故で死んだこの身が、まだ生きてられるなんて最高じゃないか? うんうん、何事もポジティブにいかなきゃな!


 特典の購入を済ませた僕は、そう思いながらいつの間にか現れていた異世界への扉へと向かい……。

 扉をくぐる寸前に、先ほどカタログを読んだときには感じなかった違和感に気付いた。



限定アイテム! 曝炎神龍セット! たった10枚であの最強な力がおまえのものに! 買うしかないネ!』



「……後からでも買える能力がある……ってことか?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る