その50 逃れられぬ過去
「……そろそろ着きやす、三途の対岸へ」
ひたひたと流れる水の音と、揺れ動く小舟の感覚。そして、しわがれた老人の声と共に、自分は顔を上げる。すると、目の前には周りを囲う高い壁と、崩壊した家屋、幾つもの火の光が目に映る。
表の世界から隔絶された、ゴミと廃墟の街『三途の対岸』自分とラナは、身を隠すには丁度いいこの掃き溜めにやって来た。
「うわぁ……なんか……すっごいね」
「……いつ来ても、ここは夜の様に暗い場所だ」
ラナは初めて見る街の新鮮さに、自分は壁に隔てられた街の薄暗さに、それぞれ言葉を吐露していた。
暫く揺れる小舟に身を預けながら、生温い水路を進んでいるとボロボロの木材とゴミで作られた、粗末な船着場に辿り着く。
自分とラナがそこに足を踏み入れると、漕ぎ手は舟を出し、来た道を戻る。
「……お客人、特に嬢ちゃんの方、悪い男には気をつけるんだよ……」
「オッケーおじさん!」
漕ぎ手の忠告に、ラナは理解していないのか明るく返事をする。
そんなラナに少しだけ、ここに連れて来たのは失敗だったか?と後悔と疑問が入り混じった感覚が浮かぶが、もう来てしまったものは仕方ないと、街の中へと歩き出した。
道中ラナはスマホを取り出し、パシャリ、パシャリと辺りの景色を写真に収めていた。
そんなラナが……いや、血色の良い若い女が居ることが珍しく思えたのだろう。
辺りのから聞こえる「売り物?」「また外の奴か?」と、何やら怪訝な表情を浮かべながらこちらを見つめていた。
そんな辺りの空気にラナも気圧されたのか、こちらの裾を積み、口を開いた。
「……ね、これから会うエイディさんってさ、どんな人?」
「育ての親だ」
「ふぅーん……えっ!?」
先程まで不安げな表情を浮かべていたラナだが、これから会う人物が自分の親だと知ると、辺りの人々と同じ様に、こちらを怪訝な表情で見つめてくる。
それから街を歩いている最中「ふつーパパとか父さんって呼ばない?」や「ママは……あ、いやごめん、なんでもない」など、気を使っているのか、そうでないのか……よく分からない言葉をラナは浴びせてきた。
そんなラナを適当にあしらい、誰もいない路地裏を歩いていると、何やら小さな人影がこちらに近づいて来る。
近づくにつれてハッキリと見えたその人影は、片腕の無い少年だった。
どうせスリかチンピラの下っ端だろうと思い、自分はラナを背後に隠し、少年の前に立ちはだかった。
「強盗なら相手が悪い、諦めろ」
「……っ、あ、あの!」
威圧する様に声を掛けた筈だが、尚も少年は食い下がり、自分に近づいてくる。
無防備に近づいて来るその姿からは、悪意の様なものは感じられない……一体、何のつもりなのか。
強盗でないなら何故自分に向かって来るのか疑問に感じられたが、次の少年の行動に、理解が及んだ。
「あの時は……ありがとうございますっ!」
「あの時……あぁ、そうか」
少年が深々とお辞儀をして、彼が二人のチンピラに飼われていた少年である事に、ようやく気づいた。
「スリで稼いでいた時よりかは、幾分かマシな境遇になった様だな」
「はい!もうスリ以外の手口で稼げる様になったので」
スリ以外の手口という言葉が引っかかったが……まぁ、その体じゃマトモな手段も限られる。深くは聞くまい。
「なになに?ヨミエル、その子と知り合いなの?」
「名は知らんが……まぁ、そんな所だ」
「ふぅーん」
後ろに隠れていたラナが顔を出すと、少年の欠けた腕を見つめ、ニヤリと笑みを浮かべて口を開く。
「……ね、君、その腕って生まれつき?」
いきなりの質問に少年は驚きつつも、自身の欠けた腕を撫でさすり、口を開いた。
「え?あ、いえ……これは「そっか!よーし、じゃ、おねぇさんが奇跡を起こしてしんぜよー!」
最初から答えを聞く気が無かったのか、ラナは少年の言葉を遮り、両手を広げて少年にジリジリと近づく。
……そんなラナを見て、自分は何も言わずに、その様子を見守る事にした。
「はい、ぎゅー」
「え、え、あ、あの」
名も知らぬ女に訳もわからず抱きつかれる。
雑踏すら届かない、静かで薄暗い野路裏の通り道、いつまでそうしていただろうか。手持ち無沙汰の腕を右往左往とさせ始めた少年を見て、自分は咳払いをし、声を掛けた。
「──気は澄んだか」
「……はーい、しゅーりょー!ね、どうだった?」
ようやくラナが少年を離し、意地の悪い笑みを浮かべ、戯けた様子で少年に感想を求める。もっとも、感想など求めていないのだろうが。
「お、お金なら持ってないです!ごめんなさい!」
「えっ!ちょっと!?」
少年は焦りながら踵を返し、脱兎の孤独逃げ出した。そんな少年の行動にラナが声をあげるが、追いかける間もなく少年は路地裏から姿を消してしまった。
「どうやら、
「ツツモタセ……ってなに?」
「知らなくていい、タチの悪い売女とチンピラのシノギだからな」
「ば、バイタ?シノギ?」
……本当に、ここに連れて来て良かったのだろうか。
「……何でもない、行くぞ」
そんな不安がまた脳裏をよぎるが、自分は目的地を目指し、足早にその場を後にした。
薄暗い野路裏を通り、やがて体が覚えている道順に辿り着くと、申し訳ない表情をしながらラナが口を開く。
「ごめん、あの子にヨミエルの事、誤解させちゃった」
「気にするな」
「……それよりもだ」
謝罪の言葉を口にするラナを
「ソルゥトの事、まだ悔やんでいるか?」
「……」
自分の問いかけにラナは目を逸らし、ポツリと一言だけ、微かに震える声で答える。
「たまにさ……思うんだよね。この力、もっともーっと、治せたら良いのになって……」
「……そうか」
少年に対する行動から気づいてはいたが、ラナはやはり、悔やんでいるのだろう。フマンツ村で……自分の力が及ばなかった事を。
「……って、やめよやめよ!今日の夜は祭りで打ち上げなんだからさ!しんみりした話は無しの方向で!」
そう言ってラナは顔を上げ、いつものように笑顔で振る舞う。
そんなラナの様子を見て、一言だけ自分は口を開く。
ラナの振舞いを無視する形にはなるが……そうでもしないと、彼女の空元気が夜まで、それこそずっと続いてしまいそうだったから。
「──コーショを救った時、最終的に救ったのは力じゃない。ラナの言葉だ」
「……ねぇちょっと」
「ラナは自分が思っている以上に、誰かを救ってる。自分からはそれだけ言っておく」
「しんみりするからやめよって言ったじゃん。バーカ」
そう言うとラナは軽く自分を軽く肘で小突き、口を開いた。
「……まぁ、ありがと」
今度は作り笑いではない、微かだが、自然な笑みを浮かべるラナに対し、自分は何も言わずに歩き続ける。
「──着いたぞ」
そう言って目の前に見えるのは、周囲に立ち並ぶ家屋とは一風変わった家屋。
ボロボロな周囲の家屋とは違い、ヒビ一つ入っていない窓辺からは、蝋燭の灯りが漏れ出ている。
三途の対岸で唯一の武器屋、どうやら丁度、店主もとい自分の親もいるらしい。
そうと分かれば自分はノックの一つもせず、武器屋の扉に手を掛けた。
「入るぞ、エイディ」
「お邪魔しまーす!」
扉を開けて目に入った光景は、まるで異邦の風景。
数日ちょっとで変わるとも思ってもいないが、相変わらず、この場所は武器屋とは思えない。
赤黒い絨毯には、異邦独特の模様が施され、椅子に机、小物の全てが、異邦独特の装いを見せる。
「……お前」
「エイディ、頼みたい事がある」
椅子に座り、円柱の大きな帽子の埃を払っているエイディに向かって自分は口を開いた。
「悪いが「結婚していたのならそう言え……こんな娘まで……いたなんてな……ッ」
「……誤解だ。よく見ろ、娘にしては歳が近いだろうが」
「……じゃあ「あっ!多分それも誤解です!」
あらぬ誤解をするエイディに対し、自分とラナは急いで弁明と、事のあらまし、それからエイディに対しラナを匿ってもらいたい旨を説明した。
「──成る程。つまりその魔族の少女……いや、勇者様をここに匿って欲しいと」
「そうだ」
「ついでに、コレの加工もか」
「あぁ、旅に役立ててくれと、友人に言われたのでな」
そう言って自分は、机に置かれた一本の血炭の矢に目を下す。
……ソルゥトの弔いの際、一つだけ、コーショから譲り受けたこの一本。
コーショは『御守り代わりにでも』と言っていたんだ、有意義に使わせてもらうとしよう。
「それに関して自分を訪ねて来たのは正解だ。だがな……」
そう言うとエイディは、借りて来た猫の様に大人しくなっているラナに視線を移す。
「何故、よりによって
「言わんとしている事はわかる。だが、ある意味でここは厳重な警備が敷かれた評議会よりも安全なんだ」
「……ハァ」
「アハハ……ごめんなさい」
エイディの重苦しい溜息に、ラナが気まずそうに謝罪するとエイディは「アンタのせいじゃない」とだけ言い、そのまま工房の道具を机に広げ、作業を始めた。
「……ちょっと?ヨミエルもごめんなさいしなよ」
「うっ、ああ……すまない」
「……だいぶ尻に敷かれてるな」
「やめろ」
微かに笑ったエイディは、尚も手慣れた手つきで工具を扱い、作業を進める。
カチャカチャと、部品を組み立て、革細工の籠手に板金を張り付ける心地の良い音が店に響き、店にいる全員が無言のまま座っていた。
「…………なぁ、そろそろ話す頃合いだろう」
「……またその話か」
「え?なになに?」
またその話。五年前の……魔物大戦での事をエイディは言っている。
エイディにも余り話してはいない、過去の出来事と言うには、苦すぎるその記憶。
「五年前、何があったかくらい自分も知っている……だがなヨミエル、お前自身に何があったか知らんというのは、名ばかりの親とはいえ思うところもあるんだ」
「悪いが「それにアンタ、以前ここに来た時のツケを払っていないだろう」
「……」
自分はいつもの様にはぐらかすつもりだったが、今回ばかりはうまく行きそうになかった。
「それ、私も知りたい」
「ラナ……」
「フィルムって人、友達なんでしょ。五年前の」
ラナのまた、自分の過去を話す様詰め寄る。ただ単に、自分の過去を聞きたい訳ではないのだろう。
──フィルムは、フローシフに手を貸している。旅の途中で或いは……いや、既に剣を交わす事になっている。
このまま何も言わずに剣を交えれば、後悔する。ラナの瞳からは、そう言った想いが感じ取れた。
……頃合いか。確かに、そうなのだろう。
死んだ筈の友も、負けて終わった筈の戦いも、こうして今、また続いている。
『考え直せ、ヨミエル』
『フィルム……自分は──』
──逃げる事など、もうできやしない。
「……自分はアヴァロンで──」
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