第12話 サッカーボールと変質者 その3

 「ハァ……ハァ……なんだよあいつ。めちゃくちゃ怖いじゃん。あんなのムリじゃん。絶対無理」


 そんなとんとん拍子にうまくいくはずもなく、俺は無様に犬に返り討ちにされ、全速力で公園まで戻って来てしまった。


 ベンチで息を整える俺を取り囲む小学生三人組の目は失望に染まっている。


「にいちゃん、期待してたのに……残念だぜ」

「おにいさん……かっこいいと思った私が間違ってたよ」

「頑張ったとは思うんですけど逃げ出すのはちょっと。見損なっちゃいましたー」


 やめろ、そんな目で見るな。


「だってあの犬、顔怖いし近づいたらめっちゃ吼えてくるし暴れるし、そんなの逃げるしかないだろ。そもそも対策なしであれに立ち向かうのは無理だ。なんか作戦立てよう、作戦」


 その提案に三人は考える素振りを見せる。


「作戦かー……うーん、なんかいいの思いつくかな?」


「弱虫おにいさんでもあの犬に立ち向かえるようになる作戦……ないですね」


 おい、ちょっとは考えろよ。


 松下に突っ込みを入れようと口を開きかけると、ユウトがひらめきの稲妻に打たれたようにハッと顔をあげる。


「あっ! じゃあさ、にいちゃんにランドセル装備させて、にいちゃんの防御力あげようぜ! そうすればあいつが攻撃してきてもなんとかなりそうじゃね?」


 なんだよ、そのRPG的な発想は。

 そんなことをしても到底あの強面ブルドッグに対抗できるとは思えない。


 もちろんそんな案は却下しようと喉に力を込めたものの、


「うん、それいいじゃん! 私のランドセルも貸してあげる! はい、どうぞ!」


 俺が何かを言う前にアカリにが強引にさすがに五年なのでピカピカとはいえないが、それでも大切に扱われていることが分かる赤色のランドセルを押し付けてくる。


「ちょ、待てよ!」


「なんか武器になりそうなもの……これとかどうだ!?」


 ユウトは若干ボロボロのランドセルの中から茶色の袋に入ったリコーダーを取り出す。


「わー、強そうだねー」

 

 松下もそれを止めることなく、手を合わせて楽し気な表情を浮かべている。


「だから待てって!」


 そんなこんなで俺は暴走した小学生どもを止めることができず、なす術なく色々と装備させられてしまった。

 

 そのおかげもあってか、二分前の丸腰時よりは防御力を高めることに成功したのだが……。




「……プッ、クスクス」


「ちょ、アカリお前、笑うなって。……ブフッ!」


「ユウトも笑ってるじゃん」


「だって……にいちゃんのその格好……ハハハッ!」


「アハハハッ! おにいさん、へんな格好だー!」


 ユウトとアカリはゲラゲラと腹を抱えて笑い、松下は相変わらずのにこやかな笑みを浮かべているが、今の俺の格好を見ればそれも無理はないだろう。


 胴体と背中にそれぞれ黒と赤のランドセルを担ぎ、右手にはリコーダー、左手には有名スポーツブランドがでかでかと印刷された体育袋、そして頭にはアカリの女子小学生用の黄色い通学帽子をかぶっているのだ。


 鏡なんかがなくたって見下ろせば分かる。


 今の俺は限りなく変質者に近い。

 もしくはまぎれもない変質者だ。


「笑うな! なんだよこの格好!」


 顔が熱くなるのを感じながら必死の抗議をしてみるが、それも空しくユウトとアカリは目に涙すら浮かべながら笑い転げている。


 こんな格好誰かに見られたら冗談抜きで通報されるぞ。


「ったく……松下もなんとか言ってくれよ」

 

 二人が相手にならないことを悟ったため、唯一おバカ枠からは外れていそうな松下に援護を求めるが、


「似合ってますよー、おにいさん」


 マジで棒読み。

 適当にもほどがあんだろ。


「えぇ……本当にそう思ってる?」


 俺が困惑と疑問を浮かべていると、松下は流しそうめんのようにさらっとそれを受け流した。


「思ってますよー。さて、時間もありますしさっさとボール取りに行きましょう。私、帰って宿題したいので」


 お前、本音漏れてるじゃん。

 



 その後、何度も武装を解除しようと試みたのだが、ボールを取ってくれるまでダメだ、と再三小学生どもに厳しく言いつけられてしまったため、仕方なしにあの犬がいる一軒家へと舞い戻って来た。


 お前らになんの権限があるんだよ。


 まあ、文句を言っていても仕方がないし、ボールを取り返さない限りこの変質者ムーブは続くっぽいので、ここはボールを一秒でも早く取り戻すしかないだろう。

 あのブルドッグとの再戦に体がすくみそうになるが、なんとか覚悟を決めていると、三人が声援を送ってくれた。


「にいちゃん、プッ……頑張って……ププッ」


「おにいさん、応援して……アハハッ!」


「なるべく早くお願いしますね。頑張って、おにいさん」

 

 訂正、全く声援とは呼べるものではなかった。


「まともに応援してくれる奴はいないのかよ! ……ああ、もう! やればいいんだろ、やれば! じゃあボール取らせてもらうために失礼します!」


 そうして羞恥心と恐怖に耐えながら、俺はもう一度あの強面の犬に挑戦したのだった。

 



 翌日。

 俺は今、清々しい気持ちで朝のホームルームに出席している。


 なぜかということを説明するため、まずは昨日の結果から話そう。


 結局、あの後なんとか強面ブルドッグからボールを取り返すことに成功した。


 あいつが一回目の時みたく警戒心をむき出しにして吼えてきたりすると思っていたが、どうやら俺のあの格好にドン引きしたようでボールを回収している間、あの犬は嘘のように静かにこちらを見つめているだけだった。


 そして無事サッカーボールを取り返すと、


「ありがとう、にいちゃん!」

「ありがとう、おにいさん!」

「ありがとうございます、おにいさん」


 三人とも太陽のように明るい笑顔でお礼を言ってくれた。


「ああ、次からは気をつけろよ」


 その時は照れくささを隠すようにそっけなく返してしまったが、あんなに素直に感謝を述べられるのは久々だったので内心結構嬉しかった。


 ただお礼を言われただけだが、それでもあんなバカみたいな恰好をしたかいがあるっていうものだ。


 ああ、感謝されるっていいな。


 そんな誇らしく、秋空のように晴れ渡った気持ちが今日になっても続いているのだ。


 こんな気持ちのいい朝を迎えられるなら、これからはもっと積極的に感謝されるようなことをしていこう。


 そんな思いを胸にクラスの担任である、厳島いつくしま先生の話をボケっと聞いていると、彼女は「あっ」となにかを思い出したかのように声をあげた。


「はいはい、最後に連絡でーす。昨日の夕方くらいなんだけど、この近くの児童公園付近で不審者が目撃されたんだって。怖いねー。目撃者の話によると体の前後にランドセルを担いでいて、右手にはリコーダー、左手には体育袋、そして小学生の女の子向けの通学帽をかぶっていた……って見たまんまの不審者じゃん。だからみんな、見かけたら近づかないで注意して登下校してねー。なるべく一人で帰らないようにー」


 先生の話が終わるや否や、隣の席のいいんちょーがきなくさそうな表情をして声を掛けてくる。


「変な人もいるものね。小倉くんも気をつけたほうがいいわよ」


「…………」


「小倉くん? どうかしたの?」


 いいんちょーが小首を傾げて聞いてきたので、俺は苦虫をかみつぶしたような苦笑いを浮かべながら、それに答えた。


「……そうだな……でも多分、俺は大丈夫だと思う……」

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