第4話 好き嫌いとダイエット その2

 俺のその一言に姉ちゃんは一転して満足げだった表情を強張らせて、動きをピタリと止める。


 そういえばテーブルの上には姉ちゃんの茶碗が見当たらないし、姉ちゃんの前には味噌汁と肉が一かけらも入っていない、ピーマン単体の炒め物があるのみ。


 いつもなら世の中に一切の不幸がないと思えるほど幸せそうな顔で喜んで米だろうが、肉だろうがモリモリと食べているのに。


 改めて姉ちゃんの顔を眺めると、せっかく友人の結婚式に招待されたのに寝坊して一人だけ挙式時間に遅れてしまった参加者のようにばつの悪い顔をしている。


 この顔を見て仕返しの好機ととらえたのか、葵がにんまりと意地の悪い笑みを浮かべて姉ちゃんをからかい始める。


「もしかしておねえちゃん、ピーマン食べられないの? 好き嫌いはダメだよ~。大きくなれないからね」


「……うん、それはそうなんだけど……私の場合はその、なんていうか……」


 いつにもまして明らかに歯切れの悪い姉ちゃん。


 その様子に俺と葵は何事かと互いに目を合わせる。


「おねえちゃん、もしかして具合でも悪い?」


 姉ちゃんはふるふると首を横に振る。


「じゃあ、なんでごはん食べないの?」


 葵が一転して瞳を心配一色に染めてそうに訊くと、姉ちゃんはうつむいたまま深刻そうな声で静かにつぶやく。


「……ちゃったの」


「ん? なんて?」


「太っちゃったの!!!」


 姉ちゃんはまるで旬の夏トマトかと思うほど真っ赤になった顔を上げて、大声で答えた。


 俺と葵は予想外の答えにすぐには言葉を継ぐことができず、キョトンとなる。


「ふ、太った?」


「そう! 昨日お風呂入る前に体重計ったら、結構増えちゃってたの!」


 俺と葵は言葉を交わすこともなく、再度目を見合わせる。


「そうかな? 私はおねえちゃんが太ってたようには見えないけど……おにいちゃんはどう思う?」


「うん、俺も太ってないと思うんだけど……」


「見た目は変わんなくても中身は変わっちゃってるんだよ! 数字が増えてるのがその確たる証拠! やっぱり最近食べ過ぎてたんだ……ううう……」


 相当のショックだったのか、うるうると目を潤ませながら机に突っ伏す姉ちゃん。


 本人はそう言っているが、ご飯をよく食べるのは健康面、精神面にとってもいいことだし(もちろん食べすぎはダメだが)姉ちゃんだってまだ大学一年の十代だ。


 そりゃ成長期に比べたら鈍化はするだろうが、まだ体が成長することだってあるはずだ。


 俺だったら体重の一キロや二キロ程度増えたところでなんとも思わないが、そこを気にしてしまうというのが年頃の乙女というものなのだろう。


 すると、姉ちゃんが落ち込んでいる様子を見て葵がすぐさまフォローを入れる。


「おねえちゃん見た目変わってないから全然大丈夫だよ。それと別にお気に入りの服がきつくなったとかではないんでしょ? だったら心配することなんか――」


「ううん。スカートとかズボンみたいなボトムスはきつくなってないんだけど、上がちょっときついっていうか、こう、締め付けられるみたいに苦しいっていうか……」


「上が……苦しい……」


 その答えを聞いた葵の視線が姉ちゃんの顔から少しずつ下に下がっていき、胸のあたりでピタリと止まる。


 葵はじっとそこを見つめた後、瞳に宿る光を失いながら今度は自分の胸のあたりに視線を落として、スッと表情を消した。


「……おねえちゃん」


「……なに?」


 葵はどす黒いものを腹に隠しているかのような低い声のトーンで姉ちゃんを諭すように淡々と言う。


「多分、おねえちゃんは太ったんじゃないんだよ。成長したんだよ」


「……それってつまり、太ったってことなんじゃないの?」


 葵は目を閉じて一度首を横に振ってから、何かを悟ったように言葉を継ぐ。


「成長して、体重じゃなくてが増えたんだよ。……私がまだ成長してない部分の、ね……」


「え?」


「…………」


 それ以上は何も語らまいとする葵に困惑の表情を浮かべる姉ちゃん。


 ここは葵のよき理解者である俺が事態の収拾を図るしかないだろう。


「姉ちゃん。つまり葵が言いたいのは姉ちゃんもまだ成長期ってことだ。例えば身長が伸びて体重が増えてもそれは当たり前で、太ったとは思わないだろ?」


「まあ、確かにそうだけど……」


「そんな感じで姉ちゃんは成長分だけ体重が比例してちょっと増えたってだけだから太ってないんだよ。だから安心してごはん食べようぜ」


 俺の話を聞いて姉ちゃんの目にキラリと希望の光がともり始めた。


「……ホントに? 太ってない?」


「超健康体型。逆に食べない方が栄養バランス崩れてダメだと思う」


「……そ、そう。二人がそう言うなら、大丈夫ってことだよね。食べてもいいよね! うん、じゃあ食べる! いっぱい食べる!」


 俺が力強く頷くと、姉ちゃんはいつも通り茶碗いっぱいにご飯をモリモリ盛り始めて、真夏に咲くひまわりのような満面の笑みを浮かべて食べ始めた。


 やっぱり姉ちゃんはおいしそうにご飯を食べてるときが一番いい表情になる。


 よかった、姉ちゃんがいつもの調子に戻って。


 俺は安堵のため息をつき、再び箸を手に取って、ピーマンの肉詰めを食べようとすると、


「ハーッ……」


 この世の憂いを全て凝縮して煮詰めたような深いため息が隣から漏れ出る音がした。


 その不穏な空気を感じ取りながらそちらに顔を向けると、今度は葵がショックに打ちひしがれたようにうなだれて、箸を茶碗の上にコトリと置く。


「……おにいちゃん」


「……ど、どうした」


 気圧されつつも返事を返すと、葵は自分に言い聞かせるようにぽつりと言った。


「私、好き嫌いせずにたくさん食べるね」


「……そうか、応援してる」

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