儀式2
神護山には特に社殿というものはない。
山そのものが御神体であり、社殿であるからだ。
登山口の入り口に、ぽつん、とある鳥居と、手水舎だけが、神に捧げる人工物だ。
宮司を先頭に、四角い提灯を手にした人たちが山を登っていく。
祭りのために神をお迎えに行くのだ。
話に聞く山狩りの光景みたいだ、と梨湖は思った。
ゆっくりと登っていく火の行列。
宵宮は山から神を降ろす儀式。
だから、零児も降りてきたのだろうか。
「あそこには――」
ん? と梨人がこちらを向く。
「降ろしちゃいけないものも居るのにな」
まだあの魂を解き放ってはいけない。
都を思い、梨湖は呟いた。
充の袖を引く。
「ん? なんだ?」
と振り返った彼に、梨湖は光の群れを指差し言った。
「私もあれ、やりたい」
充が目をしばたく。
「上がるのか? お前」
あの転落事件以来、梨湖がこの祭りに参加したことはなかった。
しばらくは神護山にも近づかなかったくらいだし。
「急には無理かな」
「いや……大丈夫だよ。
どうせ途中までしか上がらないから、誰でも行けるし。
でも、いいのか?」
あれから梨湖が神護山に上がっていることを知らない充が不安そうに問う。
まるで葬列のように静かに、梨湖たちは山を登っていた。
子どもでさえも、此処に入ると、何故かはしゃぐのをやめる。
宮司さんなどもあの装束のまま登れるよう、登山道の中でも比較的緩やかなコースなのだが、やはり、下駄を履いた足にはちょっと応える。
ちょっと休憩、と梨湖は近くの岩に腰をかけた。
充が腰に手をやり、見下ろす。
「おい、言い出しっぺ、もしかして、リタイアか?」
「ううん、行く。
でもちょっと足痛いから、休んでく。
充、先行っていいよ」
でも、と言いかける充に、梨人が言った。
「そうだな。先に行け。
梨湖は此処から帰すから」
行くったら、と見上げたが、充は、そうだな、と言った。
どうも足のことより、梨湖の精神状態を心配しているようだった。
そんなにいつまでも過去の事故に拘ってはいないのに、なんのかのと言いながら、充は梨湖に甘かった。
「んじゃ、ゆっくり下りろよ」
と手を上げ、列に紛れていく。
提灯を手にしたまま、梨人と二人、それを見送った。
「いい奴だな、充」
梨湖は、いつもの口調に戻り、声を落としていった。
近所の人たちも近くを歩いているかもしれないからだ。
「そうだな。
ちょっとイジメて悪かったな」
「何か言ったのか?」
いや、と梨人は俯きがちに笑う。
そして、ふと、気づいたように顔を上げた。
梨湖、と林の中を見て、手招きをする。
梨人に導かれるまま、痛む足を引きずり、林の中に踏み込む。
すると、すぐに開けた場所があり、その奥側、木の側に大きな岩があった。
「
と岩に灯りを当てて梨人が言う。
磐座とは神や祖先が降りてくる場所。
注連縄も何も無いその岩を、磐座だと梨人は言い切った。
「かなり古いものらしいな。
梨湖、ちょっと座ってみろよ」
「ええっ、だって、それ、神様が降りてくる場所だろ?」
ぼんやりした灯りの中、岩を見つめていた梨人は、大丈夫だ、と言う。
「いいから、座れ」
と梨湖の肩を押して座らせる。
最初は少しひんやりしていた岩が、だんだん温かくなり、梨湖の腰を温めてくれた。
その熱が足まで伝わっていくのを感じる。
足の痛みが和らいでくるようだった。
下駄から覗く指先を動かしてみていた梨湖に、梨人が言った。
「神が降りてくる、というより、此処は一種のパワースポットだな。
温泉みたいに力が噴き出している」
「なんだかありがたいんだか、ありがたくないんだか、よくわからん例えだな」
岩に腰掛けたまま、梨湖は林越しに透ける灯りの行列を見る。
彼らはすぐそこに居るはずなのに、誰もこちらを振り向かず、まるで、林によって、空間が区切られているかのようだった。
梨人がその考えを読んだように呟く。
「別の空間なんだろ、きっと」
そうして、小さく月の浮かぶ空を見上げていた。
「ばあちゃんが言ってたな」
梨人は上を見上げたまま言う。
「どうか何事も起こりませんように」
「聞いてたのか」
「お前にとってはどっちがいいことなのかな……」
「どういう意味だ?」
「何事もないということは、あのまま零児が二度と現世に戻って来れないということだ。
お前にとってはそれは、いいことじゃないんじゃないのか?」
「梨人」
「んー」
星を見たままの梨人に梨湖は言った。
「何かが起こり、また、お前が居なくなる。
そんなのは私はごめんだ」
あのとき言ったはずだ、とようやくこちらを向いた彼を見据えて言い切る。
「例え私が誰に心を動かされようとも、私にとって一番大事なのはお前だ」
梨人は少しだけ笑って見せた。
その言葉を信じているとも、いないともわからない顔で。
梨人は一歩近づき、腰をかがめて、梨湖の唇に触れてきた。
ちょっと此処では抵抗があったが、そのまま受け止める。
少し――
背後の風が冷たくなった気がした。
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