第2話 ダンス教室の少女


 目を閉じていた女が顔を上げると、白衣の女性と目が合った。

 薄暗い病室。

 女はベッドで枕に背を預けて座っていた。

 黄色いワンピースにベージュのカーディガンを羽織った普段着姿で、半身に病院の毛布を掛けている。

 顔を覗き込んでいた女性医師が、

「続けられますか」

 と、聞いた。

 ハーッと深い溜め息を吐き出し、女は頷いた。

 女性医師とベッドをはさんで反対側に、スーツ姿の男女が立っている。

 スーツ姿の男が、

「5年前、ダンス教室に通う少女が車と接触して亡くなった件についてですが」

 と、聞いた。

「はい……あの交通事故も、私のせいかも知れないんです」

 大袈裟に両手で顔を覆いながら、女は話し出す。



 娘が通っていたダンス教室で、同じ教室の子が交通事故で亡くなりました。

 明美あけみちゃん……娘より2歳年上の女の子でした。

 あの日は、明美ちゃんのお母さんから、お迎えを頼まれていたんです。

 帰る方向は同じなので、私の車で家まで送る事になっていたんです。

 でも、その時は少し離れた場所しか車を停める事が出来なくて、横断歩道まで行くと、もっと時間がかかってしまうものですから……。

 明美ちゃんは、いつもと違う知らない道を行くのが、不安になってしまったようでした。

 大通り沿いで車の行き来が途切れるのを待っていたら、お母さんの車じゃなきゃ嫌だと言い出して、急に駆け出してしまったんです。

 そこへ車が……警察からは不慮の事故だと。明美ちゃんのお母さんも、そう言ってくれていたんですけど。

 あの時、もっと私が気を付けていれば――。



『私、そんなこと言ってないっ』

 すぐ目の前から、少女の声が響いた。

 驚いて顔を上げた女は、嘆きの表情から憎らしげな目つきに変わる。

 白い空間で宙に腰掛ける女の正面、少年と少女が手を繋いで立っていた。

 怨守うらみもりと名乗る翡翠色の肌をした少年と、薄紫色のチュニック姿の少女、事故死したはずの明美だ。

 苦し気に肩で息をしている明美は、顔を真っ赤にして泣いている。

『他の子のうちの車に乗せてもらう事もあったから慣れてたもん。ちゃんと、おばさんにもお願いしますって言ってついて行った! だけど、あっちでお母さんが車とめて待ってるって言われて、お母さんもうちの車も見えなかったけど、車とめちゃいけない所にとめて待ってるから早く早くって、おばさんが言った! だから、道路に出たんだもんっ』

 と、明美は必死に訴える。

「最近の車、静かだもんね。このオバサンが自分の体で、車が近付くのが見えないように立っていたし」

 頷きながら言う怨守少年の言葉に、女は投げやりな溜め息を吐いた。

「警察は、事件性があるかどうか調べるのよ。車の運転手の証言だってある。その上で、あれは不慮の事故だって話が付いたのよ。こっちだって何度も警察に出向いて大変だったのに。私の夢に出て来るくらいなら、お母さんの夢枕にでも立ったらいいじゃないの」

 嫌味たらしく言われ、明美は小さく地団駄を踏みながらも俯いてしまう。

「この子は、あんたに向く怨みだから」

 怨守少年の言葉を遮るように、女は鼻で笑った。

「だいたい、うちの子を苛めてたじゃないの。天罰が下ったのよ」

 と、女は言い捨てる。

『苛めてない! そんなにお話ししてなかったもんっ』

「口利いてくれなかったんでしょっ。そういうのをハブるって言うのよ!」

『チームが違っただけだもんっ』

「そんな話、聞いた事ないわね。大きい子たちと一緒になって、年下の子を仲間外れにして楽し――」

「小さい子レベルで言い合いしないでよ」

 今度は、怨守少年が女の言葉を遮った。

「あんたの娘は、超初心者コースから上がれてなかっただけ。練習するべきポイントを先生に言われても、あんたが否定して自分の子は頑張ってるとか意味わかんない主張をしてたせいでね。この子は、もっと小さい頃から遊びも我慢して練習して、上級者チームに入ってたの。同じフロアで練習してたって一目瞭然なのに。この子が居なければ自分の娘が中心になれるなんて勘違い、どこから湧くのかな」

「いい加減にして。勘違いはそっちよ。あの事故のせいで娘はダンス嫌いになったのよ。謝って欲しいのはこっち!」

 泣きじゃくる少女に向かって、女は語調を強めて追い打ちをかける。

『ちがう……ちがうもん』

 困った顔で怨守少年は、明美の頭を撫でた。

「怨まれて当然の相手を怨んで、明確な殺意を持って殺すのとさ。怪我をさせてやろう、あわよくば死んでくれたらいいな、なんて軽々しく殺すの。どっちの罪が重いんだろうね。後者だと思うんだけど……僕は判断する立場じゃないから、わからないな」

 と、怨守少年は静かに話した。

「これ、宗教の勧誘じゃないでしょうね」

 言われて怨守少年は一瞬、ポカンとした表情を見せてから、

「こんな状況で、よくそんな返しが出来るね」

 と、呆れたように答える。

「結局、夢でしかないじゃない。はいはい、その子の顔もちゃんと思い出したわよ。もういいでしょ?」

「自首するチャンスなのに」

「そんな脅しには乗らないわ」

 泣き止まない明美を背後に下がらせる怨守少年の姿を最後に、女は再び目を閉じる。

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