鏡門からオオサンバシ(6)

 やがてトクさんが浮き島へと船を着け、私たちは浮き島に足を踏み入れた。三つの輪を貫く銀柱のそばには私たちが並んで腰かけることができる程の縁台が出ていた。いつの間にか、昼夜の分断面は遥か彼方かなたになり、周囲一面が浮き島の世界観に統一されているように感ぜられた。目を凝らすと、水晶塔が針のように光っているのが見えた。

 私たち三人が縁台へ掛けてもトクさんひとりは銀柱のかたわらに立ったままであった。

「あの、旦那。ここは旦那が創ったと聞きましたが、ひとつ、教えていただきたいことがありまして」

「なんでしょう」

「これなんです」

トクさんは銀柱をなん度か叩いてみせた。

「ここに来ますとね、皆、言うんですよ。これはなんだろうって。クマさんなんて、考えすぎて一度、知恵熱を出した程で。これが何かってことを知ってると、他の皆に大きな顔ができますんで、ひとつ、教えていただけませんか」

「これ、は」

私は言いよどみ、改めて銀柱を見上げた。先端近くでは三つの輪が等間隔に浮遊し、互い違いの方向に回転していた。

「主人。思うままに考察してごらんよ。それもまた、君の内から生れたものだ。そう大きな考え違いはしないはずだよ」

トアノは足を投げだし、リラックスした姿勢でそう言った。

 私は立ちあがって柱に手を当てた。予想に反して温かかく、輪は音もなく回転を続けていた。ふと、最下部の輪の中に、何かが映った気がした。よく見ようと目を凝らすと、輪の位置は変わらぬまま、中の映像だけがまるでレンズの焦点が合うかのように鮮明になっていった。

 濃紺のうこんの闇、沈む日に白く色づいた山際、瓦礫がれきの散乱する荒廃こうはいの町。遠くに学校らしき建物も見える。

ついの町だ」

私は思わず声をあげた。

「そうだね。あそこに映っているのは僕たちが旅した終の町。でも、あの輪の本質はそれじゃない。あの町はただ、彼にとって最も繋がりの深い場所、というだけさ。さあ、映像を見ていて。そろそろ映る」

ぐに、予想していたとおりの人物が映った。見慣れない部屋、その窓際に立つ美貌びぼうの少年。

「ウツギ」

声を漏らした私がもっとよく映像を見ようと意識した途端、輪が急速に拡大され、ウツギの姿が大写しになって頭上に展開された。

「驚くことはないよ。この場所は君の心に忠実な場所なんだ。そう。この三つの輪のうちのひとつはウツギの象徴」

「そうか」

返事をしながら、私はウツギが無事でいてくれたことに安堵あんどしていた。

「ね、彼は無事だろ。そして二つ目の輪は」

トアノが両手を動かすと、それに従うようにして、ウツギの映っていた環が元の大きさになり、二段目の輪が拡大された。

 巨大な半球状のドームが映しだされた。広大な丘に建ち、不気味な程大きな月に照らされたそれは、大規模な天文台のようにも思えた。

「ここがオールトの図書館。そして」

霧が晴れるようにして画面が切り替わると、ひとりの女性が現れた。安楽椅子に腰かけ、本を読んでいるその栗毛の人物を目にした途端、私は泣きだしたい程の懐かしさに襲われた。彼女の名を、知っていた。

「アリスエ!」

「そう。彼女がアリスエだ。ね、主人。やっぱり君は心から彼女を忘れたわけじゃない。実際に会えば、きっと、いろんなことを思いだせるよ。そして、そら」

トアノは最上部の輪を開いた。

 そこに映ったのは入道雲の湧きたつ晴天の畦道あぜ。続いて緑の木々に囲まれた神社の鳥居と長い石段。そして、何処どこかの縁側。蚊取線香をかたわらに置き、扇子で涼をとる着物姿の男、その後姿が映った。

浮雲山房うきぐもさんぼう。僕たちの旅の最終目的地だ。そして彼が」

「トキハシ」

トアノは微笑んだ。

「そう。やっぱり覚えていたね。いいかい、主人。彼に会うまで、君たちの旅は続くんだ。例え、僕が居なくなろうとも。よく、覚えておいてね」

三つの輪は同じ大きさに戻り、元のとおり回り始めた。トアノの言ったことが、酷く気がかりだった。

「トアノ、寂しいことを言わないでくれよ。君が居なくなる、だなんて」

トアノは私の不安を打ち払うように笑顔を作った。

「ごめんごめん、僕だって、主人の旅を最後まで見届けたいさ。でも、今は、何が起こるか分からない。だから、念のために、ね」

そんなトアノを見ていた私は、はたと、あることに気がついた。

「ねえ、あの三つの輪がウツギ、アリスエ、トキハシだとしたら、トアノ、君は? 君だって、私から生れた存在だろう」

「ああ、そうだとも。三つの世界を行き来して皆を観測する自由な旅人、それが僕さ」

トアノは輪を貫いている銀柱を叩いてみせた。


「あのお」

トクさんがひょっこりと私とトアノの間に顔を出した。

 すっかり忘れていた。

「それで、この柱は一体、なんなのでしょう」

キミもトクさんの横で、同じように疑問の表情を見せていた。

「ええと、この柱は、私の創作、いや、在り方、でもない」

考える程に分からなくなってきた。創作を主とする私の生。あるいはそれから生まれた者たちの象徴。そして未来まで、それらと共に歩もうとする希望。それらをなんと表す?

 余程気になったのか、トクさんはいくらか私の方へ近づいてきていた。

「夢」

思いがけず口を衝いて出た言葉に、私は自分で納得した。

「夢、そう。これは私の夢みた理想の世界を表したもの。創作に生きる意志と祈り。私を夢の世界へと繋ぎ留めるくい、とも言えるかもしれません」

トアノが大きくうなずき、トクさんはふくろうのように首を傾げた。

「そうだね、主人。これは君の夢そのものだ」

トアノは私の肩に手を置いた。

「いつだって、君はちゃんとこの世界と繋がっている。案ずるな、じきにこの世界は崩壊し、夢から解放される」

視界にノイズが混ざる。トアノもどうやらそれを察したようであった。

「君が広義の創作を止めない限り、僕たちはいつかめる夢に捕らわれてなんとする。一時の甘さに身をゆだね、己に未来を破滅はめつさせるのか? 僕の声はいつだって君から生れている。君の核から生れているんだ。だから、虚勢きょせいを張ったとて、本当は分かっているのだろう? 夢は実現しない。夢は現実となり得るんだ。だから君は何を恐れることも、後ろめたく思う必要もない。君の描く夢こそ、無意味なこと。ただ願うだけで叶うものか。全ての願いは、祈りは、睡中都市に繋がっているんだ」

脳髄のうずいの中核をめつけられるような感覚が私を襲った。視界のノイズにトアノが奪われるような気さえし、私は思わず目を閉じた。

 手を打つような乾いた音が三度、聞こえた。

 目を開けると、トアノが両手を合わせた格好で微笑みかけていた。彼がそのまま両手を開くと、三つの輪は支柱から離れ、支柱自体も輪に転じ、四つになった輪が拡大しながら浮き島の周りを囲った。

 それらに投影されるこれまでの旅とこれからの旅。トアノ、ウツギ、アリスエ、トキハシ。

「主人、僕たちはいつでも君と一緒だ。安心して。すっかり消えたりなんかしないさ。今こそ言うよ。僕たちを生みだしてくれて、ありがとう」

その言葉はトアノとウツギ、そしてまだ会ったことのないアリスエやトキハシの総意ではなかろうかと、私を錯覚させた。

「消えたりなんかしない、か。私の方こそ、ありがとう」

 創作の不滅と旅の行く末を確かめ合う私たちの横で、可哀想かわいそうなトクさんはひとり、置いてきぼりを食っていた。


 オオサンバシについた頃、トクさんは今にも倒れそうなほどに疲弊していた。

「トアノさん、旦那がた、着きました。オオサンバシです」

「ありがとう、トクさん。初めてじゃないか。ひっくり返さずに着いたのは」

トアノはさらりと、怖いことを言った。

「で、どうする。いつもみたいに帰りは船頭をやとうかい」

「いえ、今日ばかりは結構ですよ。どうも最近、仲間内でけが流行っているみたいでしてね。私がひとりで行って帰って来られるかということについて。今日こそは、負け続けのクマさんを勝たせてやりたいんです」

「そうかい? くれぐれも気をつけてね」

私たちがトクさんに挨拶を済ませると、彼のぐ船が巨大な桟橋から少しずつ遠ざかっていった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る