鏡門からオオサンバシ(2)

「そうか。そんなことが。覚醒党かくせいとう、ね」

 私たち三人は近くの公園に立ち寄り、ベンチで、トアノがキッシュの代わりに買ってきた名物クロワッサンを食べながら、先程の覚醒党員とのやり取りについて話し合っていた。

「トアノ、何か知っているかい」

トアノは覚醒党員の名刺を眺めて、何か思案しているようであった。

「うん。少し、ね。覚醒党というのは睡中都市のあちこちで妙な活動をしている連中なんだ。例えば、君たちはついの町で、モキタさんがセミナーに参加しているということやカレンさんが不幸を買っているということ、あるいはカエデが苦悩くのうを表彰されたということを知っただろう? その背後にあるのが覚醒党さ」

その事実を知っても、私は驚かなかった。むしろ、彼らであればそのくらいのことはやってのけるだろうと納得すらした。

「なんのために、そんなことを?」

トアノは名刺から視線を外し、顔を上げた。

睡中都市すいちゅうとしの消滅を加速させるためだろうね。在りもしないゲンジツを広め、睡中都市を内側から崩壊させようとしているんだ。そして、君たちみたいな現実から来た人たちと夢との接続を永久に断ち切ろうとしている」

トアノの言葉に、あの顔の無い、恐怖を振りまくような存在の姿が強烈に思い返された。

「夢の世界にそれ自体を崩壊させる因子いんしが入り込んでいるなんて。一体、彼らは何処どこからやってきたんだろう」

そうたずねながらも、私はトアノがどうしてこの事実を今まで黙っていたのか、疑問に感じていた。彼はクロワッサンを食べ終え、手に着いた汚れを払っていた。

「彼らもまた、創られた者さ。僕たちと同じようにね」

私の脳裏に覚醒党員の言葉が甦った。


“我々もやはり、ここの者たちと同じように貴方がたから生れたのですから。ね、ご主人様がた”


「確かにそうだ。彼は私たちから生れたって、そう言っていた」

「だろ?」

トアノはパンくずの入ったビニール袋を取り出し、中のものを足元のはとに与え始めた。やがて私たちの足元はパンを求める鳩たちでひしめき合った。

「でもトアノ、在りもしないゲンジツを広めるような、そんな創作があるのだろうか」

「あるさ」

トアノの肩に留まった鳩が、彼の手から直接パンを食べ始めた。彼が身をよじると、鳩はおとなしく、足元の群れへと戻った。

「何も、一般的に作品だと思われているものや芸術と呼ばれているものばかりが創作じゃない。人が自分自身を生きようとする時、そこには独自の価値観や思想が生まれる。それらもまた、創作さ。主人にとっては主人の人格が、キミにとってはキミという人格が、最も身近な創作なんだ。だからこそ、人は皆、作家なんだ」

トアノは最後のパン屑を鳩たちに向けていた。鳩たちは一瞬間驚いたものの、やがて何事もなかったかのようにパン屑をついばみ始めた。

「それで、覚醒党というのはね、そんな創作に長けた君たちの世界に生きる人々が無意識のうちに創作した存在だといえるんじゃないかな。この世界と君たちは広い意味での夢みる行為によって接続されている。君たちが夢みる時、君たちは既に睡中都市に居るんだ。そして、夢を否定し、嘲笑あざわらうような広義の創作がなされる時もね」

「夢を否定する創作?」

パン屑をすっかり食べ終えた鳩たちはいつの間にか、いなくなっていた。

「狭い意味で夢に生きる、という選択をしなかった人たちも、当然、一定数存在する。その選択自体は決して間違ったものじゃない。でもそんな選択をした人たちの中には、夢を憎むべき悪であるかのように考えてしまう人たちもいる。自らの抱いていた夢を、恥とすら思いこんで、それを早く捨て去ることこそが美徳だと信じる。そして他人の夢さえ否定して、嘲笑ちょうしょうして、見下す。そんな彼らの矜持きょうじを確かなものにする標語を、君たちは知っているね」

私は憎悪に叫ぶウツギを思いだしていた。

「現実は残酷だ。現実は甘くない。これが現実だ」

「そう。時にこういった言葉は自身の観測から生れることもあるだろう。でも、多くの場合、そう言われている、ということを盲目的に信じてしまう。君たちの世界では、こういった考えの人間の方が成熟していると思われるらしいね。ウツギが憎むのも、分かるよ」

トアノの表情は変わらなかった。しかし、その目には、ウツギと同じ憎悪の炎が宿っているように見えた。

「じゃあ、世界を本当にゆがんだゲンジツにしてしまいかねない標語は誰が言った? 誰でもない。その存在はその人の中に創られている。セカイだとか、シャカイだとか、ゲンジツだとか、セイロンだとか、いろんな名前で呼ばれているそれはやがてまとまり、とあるきっかけでひとつの人格を得たんだ。そしてここに正体不明の顔のない人物ができあがった」

「それが、覚醒党員?」

「そう。彼らはこうやって生まれたんだ。彼らは主人たちを夢から切り離すことこそ正しいと信じて行動しているんだ」

私は平和な昼下がりの公園で憎悪に身を焦がしていた。

「でもね、主人。覚醒党員はそんな明確な悪意を持っている人たちからばかり生まれるわけでもないんだよ。今の主人やキミの中にも、恐らく覚醒党員の種は宿っている」

トアノの言葉が、憎悪を一瞬で鎮火させた。

「今の私たちにも? そんな筈はないだろう。私は在りもしないゲンジツが正しいとも思わないし、この世界に消えてほしくもない」

信じがたい言葉を否定しようと、幾らか私はむきになっていた。

「まあまあ。別にそれ自体はよくあることさ。主人は一切の迷いなく、夢をみることを肯定できるかい? 君は一度、現実に戻って、またここにやってくるまで、夢と現実のどちらに生きるべきか、睡中都市が本当に存在しているのかどうか、疑問に思ったことだろう。君は揺れ動いていたんだよ。それは夢をみず、現実に生きることが正しいことだと、心の何処どこかで思っていたからじゃないかな」

図星であった。

「つまりは、そういうことなのさ。どんな作家も、夢と現実の狭間はざまに揺れ動くもの。そして、それが覚醒党員の種といえるんだ」

 ねえ、キミの中にも、そんな種があるかい?

 私の中に夢と現実の迷いがある限り、覚醒党員は消えず、睡中都市は消滅の危機から脱することができないと考えると、存在が浮遊するような不快感を覚えた。

 いや、この感覚すら、覚醒党員の種か?

「主人もキミも、そんな顔しないで。君たちが覚醒党員の目指している結末を受け入れたくないのなら、否定すればいい」

トアノは磊落らいらくな調子でそう言うと立ち上がり、膝の上のパン屑を払った。

「今、僕たちがやることは変わらない。旅をして、主人が物語をつづり、キミが読む。それだけさ」

果たしてそんなことで、と、私はこの期に及んで自身の創作の力を信じきれないでいた。

「ねえ、トアノ」

私はずっと気がかりであった疑問を口にすることにした。

「どうして君は、覚醒党のことを今まで黙っていたの?」

この一言で私と彼との信頼関係が崩れるとも思わなかったが、わずかでも彼に不信感を抱いたままで旅を続けることははばかられた。トアノはしばらく、何か考えていた。

「別に、変な思惑おもわくがあったわけじゃないよ。覚醒党はこの世界にとって重大な存在である以上に、主人自身にとってもある意味で特別な存在なんだ。だからこそ、君はしかるべきタイミングで彼らのことを知る必要があった。そしてそれが今だったというだけさ。ねえ主人。君は今、覚醒党について思いだしたようなことはあるかい?」

思いだした、というからには、私が覚醒党に何かしらの関りのある人間であるということは明らかだった。

「いや、思いあたることもないけれど」

「そう。なら、君が彼らについて詳しく知るべきタイミングは、もう少し後だということさ。ここで僕がその情報を君に話したとして、意味はない。大丈夫、分かるべき時に分かる。そのことに意味があるんだ。さあ、行こうか」

私は釈然しゃくぜんとしないまま、トアノと共に歩きだした。


 私たち三人は中央ロータリーでバスを待っていた。トアノの話によると、オールトの図書館まではバスと船を乗り継ぐ必要があるとのことであった。

「次のバスが来るまで、しばらくあるな。ま、気長に待とうか」

時刻表を見ていたトアノが呑気のんきに言った。私たちはそのまま、待合にあった、ペンキのあちこちがれたベンチに腰掛けた。日差しは強かったが、簡素な日よけがあったために、私たちは最低限の快適さで過ごすことができていた。

 ロータリーをへだてた彼方に水晶塔が見えた。内部の発光は黄金と紫、二色のはずであったが、幾つもの光が様々な濃淡で干渉しあい、幾百ものパターンを生みだしていた。

 ふと、水晶塔の中程に黒い、染みのような影が見えた。目をこすり、再度目を凝らしてみても、それは変わらず、水晶塔を汚したままであった。そのうち、黒い染みは培養ばいようされた細菌がコロニーを広げるようにして塔を侵食し、その見えない頂上まで、黒く染め上げてゆくようであった。私は言葉を発することすらできないまま、その不吉な現象を眺めていることしかできなかった。刹那せつな、塔全体が暗転したかのように、より異質な黒に染まった。

 慌ててトアノに呼びかけたが、隣に居たはずの彼の姿は無かった。キミの方を振り向いてみても、キミはそこに居なかった。周囲は日中の明るさを保ったまま、人も車両も忽然こつぜんと姿を消していた。張り詰めた金属弦のような静寂に冷や汗が噴きだした。何も写らぬカーボンのような水晶塔。途端、塔の黒と周囲の景色が反転し、世界が水晶塔に内包された。そして落雷のような轟音ごうおんを伴って水晶塔が、折れた。


「主人! 主人!」

 トアノに揺さぶられ、私の視界に色彩が戻った。そんな私をトアノが心配そうに覗き込む横で、キミは息を荒くしながら、何かに動揺どうようしていた。

 キミも、見たのか?

「大丈夫かい、二人とも。ぼうっとしていたかと思うと具合が悪そうにしていたから、心配したんだ。どうしたんだい。身体はなんともないのかい」

「いや、その……」

幻覚? いや、違う。

キミと目が合う。

 やっぱり、そうか。キミも見たんだね。

 私とキミは表情だけで自らに起きた現象と同じ現象が相手にも起こったのだと了解した。

 今のヴィジョンは一体。

「大丈夫だよ。なんともない。心配をかけてすまないね。ちょっと、同じタイミングでぼんやりしていただけだよ。ね」

 キミ。今は黙っていることにしよう。何が起こったのか、私自身にもよく分からないし、不必要にトアノに心配をかけたくもない。

「そうかい? それならいいんだけれど、二人とも、何かあったら遠慮せず言ってくれよ」

「ああ、ありがとう」

あまりにも不吉な、そして何処から説明したものか分からないこのヴィジョンを私たちは胸の内にしまった。そして、今のはなんでもない、と、己に言い聞かせた。

 水晶塔は今、得体のしれない圧力を放っているようにすら思われた。


「あ! トアノさん」

 私とキミが徐々に落ち着きを取り戻し、トアノととりとめのない話をしているところに、大きな声で呼びかける者があった。声のした方を見ると、上品な出で立ちの女性が二人、手を振りながら向かってきていた。

「おや、これはこれは」

トアノは立ちあがって、二人に会釈した。

「お久しぶりですね。ネラ、トアノさんと会うのっていつ以来だっけ」

「……前回の音楽会以来」

「そっか」

二人の女性は異国の言葉で話をしていたものの、その意味は瞬間的に私たちに理解された。互いに異なった言語で挨拶を交わすトアノと女性たちの様子を前に、私は睡中都市には言語の壁が存在しないことを理解した。

「そちらの方々は、トアノさんのお知り合いですか」

「ええ。僕の主人と友人です。僕が呼んだんです。ちょっと、大事な頼みがあったものですから」

その言葉で、二人の女性はおおよその事情を察したようであった。

「僕たちは今、旅の途中なんですよ。そうだ。主人とキミにも紹介するよ。こちら、カノンさんだ」

トアノと話していた女性が私たちの方を向いた。

「はじめまして。カノンです」

若草色のドレスに身を包んだ女性は快活な声で私とキミに挨拶するとにっこりと笑って手を差しだした。私がその手を取ると、彼女は力強く握り返してくれた。

「そして、こちらがカンパネラさん」

「……どうも」

夜空を思わせる黒いドレスに大きなブローチが月のごとく映えていた。表情の少ない彼女の顔は何を考えているのか、とらえどころがなかった。差しだされた手を握った途端、彼女が急に私に顔を近づけた。

「……貴方が、トアノ君の主人?」

きぬのような滑らかな肌に、私は思わず見惚みとれた。

「……貴方も、いえ、貴方たちも、見た?」

カンパネラは私とキミの顔をゆっくりと見比べてそう言った。

「何を、でしょうか」

「……折れる水晶塔を」

無音の衝撃が私たちを打ちのめした。

「どうして、それを……」

私がか弱く発声した時、カノンが声をあげた。

「ネラ、またその話してるの? すみません、気にしないでください。この子、今朝からずっとこの調子なんですよ。なんでも水晶塔が折れるのを見た、とか」

「水晶塔が折れる? 一体どういうことです?」

その言葉は。トアノにとっても相当不吉な言葉であるようだった。

「いえ、きっと大したことじゃないんです。ネラの見た、夢? というか幻覚? みたいなもの、なんでしょ?」

カンパネラは無言で首を振った。

「……あれは夢でも幻覚でもない。きっと、未来。……ゲンジツの浸食、その果てに水晶塔は、折れる」

「もう、不吉なこと言わないでよ」

カノンは大げさにそう言うと、カンパネラの肩を軽く押した。しかし、私とキミは恐らく、この場の誰よりもカンパネラの言葉に身に迫った恐怖を感じていた。

「トアノ、もしも、水晶塔が折れる、なんてことがあったら、どうなるんだろう」

私は恐る恐る、あくまでも仮定として尋ねた。

「そうだね。もし、そんなことになったら、きっと睡中都市はその瞬間になくなってしまうだろうね。それくらい、水晶塔はこの世界にとって重要な存在なんだ」

想定どおりの回答に私は押し黙った。

「大丈夫ですよ。そんなに心配しなくても。ただ、ネラが少し変な夢をみたってだけですから」

カノンは努めて明るく振舞っているようにも見えた。水晶塔が折れるあのヴィジョンには何かある。もはや疑う余地はなかった。私は決心して口を開いた。

「実は、私たちも見たんです。水晶塔が折れるヴィジョンを」


 私が事の顛末てんまつを語っている間、トアノやカノン、カンパネラの表情は一様に暗かった。皆、心の片隅に睡中都市の崩壊する未来を宿していたに違いなかった。それはあくまでも漠然とした、ぼやけたイメージでしかなかった筈であった。しかし今、私とキミ、そしてカンパネラがその終末のヴィジョンのかすみを払い、あまりにも鮮明なものとして提示してしまったのであった。

 夢はゲンジツに喰われ、水晶塔は折れ、この世界は無に帰す。カンパネラの言ったとおり、あのヴィジョンは、この世界がやがて辿たどることになるひとつの未来として、我々の内に確立されようとしていた。


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