Le jour où toutes les planètes se sont effondrées

 かつて我が家に存在した納屋は、前世紀の遺物だった。母屋は幾度かの改修で小綺麗にされていたが、納屋は農家を廃業した後もそのまま捨て置かれていた。

 瓦落多がらくたが放置された埃っぽい空間、それこそが僕等姉弟の泥団子工房だった。


 作業は土の選定に始まる。泥団子には或る程度、粘性の高いものが適す訳だが、うちの裏山の畑は正に打って付けの土質だった。

 両手に土を一掬いし、混入している小石や枯れ葉等のごみを丹念に取り除いて行く。そこに適度に水を加え、掌で捏ねる。この時、除去し損ねた塵が表面に浮いたら、改めて注意深く排除しておかなければならない。

 土がそれなりの団子状になったら、土間の平らな箇所で転がし、本格的な真球へ近付ける事となる。表面の細かな凹凸を慣らし、この段階で微細なひびが生じるようであれば、表面に水気を足しておく。


 僕はいつも姉に遅れを取った。僕が一合目をえっちらおっちらと登っている時、姉は三、四合目辺りに居る。ようやく追い付いたと思ったら、姉はもう八合目でこちらを見下ろしているのだ。

 姉は、あらゆる場面で僕を凌駕する存在だった。その技術的且つ心理的な距離感は桁外れなもので、僕の少年期は劣等感と共にあったと言っても過言ではない。


 成形作業は最も注意を要する工程だ。誤れば、崩壊の危機を招く事となる。前工程の水分調整が好い加減だったり、土間へ押し当てる力の加減が杜撰だったりと、実際、僕は何度も辛酸を舐めたものだった。

 そんな哀れな僕に、姉は手を差し伸べる事も待ってくれる事もしない。単独登頂に向け、素知らぬ顔で歩を進めるだけだった。


 いよいよ最終工程に至ると、納屋が工房に選ばれた大きな理由が解る。土間の端には、僕等がさらさらの砂・・・・・・と呼んでいた、仕上げに必要不可欠な塵が堆積していたのだ。

 塵を泥団子にたっぷりとまぶし、土間の上や掌の中で転がす。これを何度も繰り返すと、表面が滑らかになるだけでなく、不思議な光沢を発し始める。原材料に石材を用いたかと錯覚する程の、得も言われぬ硬質の輝き。それは、静寂の宇宙に浮かぶ孤高の惑星を思わせ、僕の意識を星屑の彼方まで誘うのだった。

 勿論、その出来栄えは、名工の域に達した本物の技巧があってこそで、偽物に等しい僕の駄作は土星の輪に紛れた石塊に過ぎなかった。

 納屋の棚に居並んだ、姉の逸品。悠然と輝く大小様々な泥団子は、正に惑星直列だった。僕は屡々しばしば姉の目を盗み、それ等をそっと手に取ってはうっとりと過ごす一時が好きだった。


 生暖かい風の午後、木々はざわめき、雨戸はがたつき、断続的な小雨は針のようで、人々に押し黙る事を強いていた。

 ところが、姉は違った。気も狂わんばかりの猛り振りは、一足飛びに嵐が到来したかのようだった。僕は首根っ子を押さえられ、納屋へと連行された。

 黴臭い薄闇には、煤けた硝子窓の仄かな光だけがあった。僕は土間に突き倒され、訳も分からぬまま惨状を目の当たりにした。

 泥団子星系の崩壊。

 或る物は真っ二つに割れ、或る物はひしゃげ、或る物は木っ端微塵になっていた。

 

 姉の眼は、鰾膠にべもなく僕を咎人とがにんとして捉えていた。僕が一人で納屋に足を運んでいた事も、憧憬と妬みを同時に秘めていた事も、お見通しだったのだ。僕が身の潔白を訴えれば訴える程、どう落とし前を付けさせようかと思案を巡らせているようだった。


 そこで不図ふと、姉の鬼面がはたと緩んだ。

 棚の土塊つちくれに半ば埋もれた無傷の泥団子を見付けたのだ。

 たちまち、生き別れた愛児を見舞う母に変じる姉だったが、次の瞬間には僕共々その場に固まってしまった。

 泥団子の陰から、みやびな装束に身を包んだあれ・・がむくりと現れたのだ。

 僕等は思わず身を寄せ合った。まるで共通の敵を前にした時の行動だった。

 あれ・・は、身丈を超える重そうなつちを手にしていた。真の咎人が己のとがを白状したも同然だった。が、この期に及んでは、もう僕の名誉など些末な事柄になってしまった。

 案にたがわず、あれ・・は槌を大上段に構えると、全身を撥条ばね仕掛けのようにし、全霊を込めた一撃を食らわせた。あえかな光を湛えていた惑星は、巨大隕石の来襲に成す術もなく崩壊に帰した。

 それは一つの儀式だった。悪戯や嫌がらせの類ではない事は、雄々しい所作と執拗さとが如実に物語っていた。惨劇とも労務ともつかない孤独な振る舞い。全ての泥団子が本来の姿に戻るまでに、どれだけの時間を要したのだろう。

 やがて、あれ・・は満悦の面持ちで額を拭った。薄明りに煌めく汗の飛沫が、儀式の幕切れを告げていた。

 そして、あれ・・は黒目だけのまなこ傍観者ぼくらに向けた。そこには警戒心も、気まずさも、増してや親善の情など微塵も感じられなかった。唯々、剥き出しのことわりが宿っていた。

 あれ・・は何も発せず、ふわりと土間へ飛び降りると、日暮れの気配を濃密にした世界へ消え去った。

 どういう訳か、僕等は置き去りにされたような心持ちで、しば身動みじろぎも出来なかった。相変わらず風が鳴いていた。


 あの出来事を境に、姉は人が変わったように思う。あいも変わらず土弄つちいじりを請う僕に、子供の遊びはもう飽きた、と言い捨てるようになってしまった。

 あれ・・は何処からやって来て、何故、姉の努力を破壊し、何処へ還ったのか。

 うに独り立ちをした姉と、改めてあの日の記憶を擦り合わせた事はない。起きしなに忘れた夢見のように、全ては封印されるべき謎になってしまったのだ。

 いつかあれ・・に壊されるような立派な泥団子を作りたい――密かにそう誓った事を憶えている。しかし、そんな幼心の戯言たわごとついえた瞬間については、しがない青年と化した今の僕に思い出すすべがないのもまた事実なのだ。

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