伊東祥子 第15話






 祥子を胸に抱き、運命と戦うと決めた新しい一年。あんな不幸を作り上げた運命に対して、もう負けないと誓った新しい始まりの一年。


 だが、結局は運命は変える事は出来なかった。凛と俺の物語は終わってしまった。


 最早決められてしまった世界。そこで俺はきっと再び辛く悲しい死を迎えるのだろう。


 結局足掻いても勝てなかった。覆す事が出来無かった運命。


 だけど本当にそうなんだろうか?


 俺の中に残った凛の俺への想いと、俺の中で芽生えた凛への想いが、それは違うと訴えていた。


 結末は同じだったのかもしれない。だけど俺と凛は一度目とはきっと違う想いを抱いて次に進んだはずだ。


 それは希望につながっている。


 もし再び彼女達と巡り会うとしても、別れが訪れるとしても、その過程だけは変えれるのかもしれない。それはきっと俺と彼女達の人生において、幸せな未来へ変えれるという事では無いだろうか?


 凛はこの後、新城と付き合う可能性が高い。そしてまた離婚して、シングルマザーになるかもしれない。だけど、俺とのこの交際は過去の忌わしいモノとしてでは無く、青春の一つとして記憶してくれるだろう。俺はそれだけでも幸せだと感じなければいけない。


 やり直した甲斐があったと思うべきなんだ。俺は次に進むべきなんだ。


 最後に再び心を壊され、不幸に見舞われ、俺が死んでしまったとしても……


「やる事は決まった」


 歴史通りになるかもしれない。だけど、俺はかつての俺の心に向き合おう。再び手を伸ばすんだ。


「俺はまだ負けてない」



 あの銀色に輝く星の様な憧れにーー



#



「陽子」

「なによっ! いきなり呼び出すなんてっ!! なんかあったの??」


 俺はPHSで陽子のベルを鳴らすと、ウチと彼女の家の中間にある交差点で彼女と合流した。


「お前に先に話しておく」

「な、なによ……あらたまっちゃって」


 頬を染めて顔を逸らす陽子に少し罪悪感を抱く。だけど、陽子からの協力はこれからも欲しい。俺はこのツンデレの化身の様な幼馴染に自分が決めた事を伝える。


「凛と別れた」

「へーーー!! やっとね?」

「それで、この後祥子と付き合おうと思う」

「そうね? それが良いわ? でもどうしようかなぁーー? 私だって選ぶーーって、今なんて言ったのよっ!!」

「祥子と付き合うって言ったんだ」

「しょ? ちょっと待ちなさいよっ!! なんでそんな結論になんのよっ!!」


 俺はポケットの中で拳を握り込む。


「多分避けれない。俺が凛と別れたと聞いたら祥子は止まらない。そして俺はそれを跳ね除けれない」

「な、なんで?? なんでよっ! 断ればいいじゃない!!」


 俺の胸ぐらを掴み上げる陽子の、その手首にそっと俺は手を添える。


「祥子の心のケアが終わるまで、俺には責任がる。ここでそれを断って、彼女から離れるなんて出来ない。責任を放棄は出来ない」

「ならっ! ならあんたは運命に従うのっ!? そしたらこの間言ってた事だって……」


 陽子は辛そうに顔を背ける。陽子にとっても俺の過去の罪は重いモノだったんだろう。


「凛が希望をくれた」

「……塩谷が??」


 俺は掴んでいた手を優しく下ろさせると、陽子を抱きしめた。


「まっ……み、三嶋?」

「辛かった……だけど、凛はもっと辛かったはずだ……だけどあいつは俺に希望を残してくれた」


 陽子は俺の背に両手をそえる。そして強い力で俺の背を抱き、かきむしる。その強い力が俺に陽子の想いを伝えた。俺はそんな陽子の、俺が続ける言葉に、それに応えようとする思いを確かに感じて、自分の胸の内を赤裸々に曝け出すーー


「同じだけど同じじゃない……だけど運命を全て変える事なんて出来はしない」

「分かったわ」

「それなら俺は、出来る事をやらなきゃいけない」

「そうね、分かった」

「俺は負けたくない」

「負けないわ」

「だから、きっと……」

「祥子を救うのね? もう分かったわよ」


 陽子は抱きつく俺を引き離す。


「その代わり約束して!」

「え?」


 陽子は下を向き、空を仰ぎ、顔を背け、そして視線だけをこっちに向ける。そしてーー


「祥子と別れたら、私と付き合いなさい」

「え? って! うぐっ」


 突然塞がれた唇。目の前には目を閉じた陽子の顔ーー


 陽子は自分から吸い付いたそれを強引に引き離し、俺に再び背を向ける。


「それが条件よっ!! それなら次の子だって寄ってこないでしょっ!!」

「あ……」

「良い? お前は私が好きっ!! 大好きなのっ!! 二度目だろうと三度目だろうと、お前は私の事が好きっ!! 運命とかなんとかはあるんでしょ? でもそれは絶対じゃない!!」

「あ……」

「私は諦めない!! 運命なんて知らないっ!! お前の……あんたの……ユキトの恋が叶うまで絶対諦めないのっ!!」


 胸に衝撃が走るーー


 俺の恋……記憶から、心から欠落している初恋の心の記憶ーー


 陽子にだけは確信が持てるその過去の俺の記憶は、この二度目の人生で取り戻せるのだろうか?


「ほらっ! 私勉強してたんだからね? 送っていきなさいよっ!!」

「あ、あぁ……」

「ほらっ! ユキト! 行くわよっ!!」


 俺は背を向けたまま、俺の前を歩く陽子の、その少しだけ見える頬が、まるでトマトの様になっている事に、心がどこか暖かくなる気持ちになった。




#




 俺は陽子とキスをしたその日に祥子の元に行く気にはなれず、春休みを二日程使った後に、祥子の家へと向かった。


 二つ先の部屋のドアを見る。加賀谷の家だ。


 新学期から戻ってくるのかは分からない。今も部屋に引きこもっているのだろう。祥子のお母さんが言うには、引越しをするつもりだがここは賃貸では無く分譲の為、加賀谷の家の家計ではなかなか直ぐにはいかないとの事だ。


 逆に祥子の家は裕福で、祥子の為にこの部屋を売り払って他のマンションなりに引っ越す計画があるらしい。


(祥子は、学区が変わる事になるならって反対してるけど、本当ならそっちの方がいい。だけど……)


ピンポーン


 俺は祥子の家のチャイムを鳴らす。数分の時間が経った後、扉が開く。


ガチャ……チャラ……


 チェーンロックが掛かった扉を、そっと開ける祥子の半分だけ見える顔。


「あれ? やっぱ幸人だ。インターフォンの画面とか丸穴から確認したけど……」

「それぐらい疑っていい、少し話したい。何処かで話せないか?」

「なら、部屋で良い?」

「お前が良いなら、どこでも良いよ」

「待って」


 ドアが閉められる。


カチャカチャ、ジャラン……


「上がって、部屋は奥に変わったから遠いけど」

「ああ、お邪魔します」


 俺は導かれるまま、伊東家に靴を脱いであがる。今世では初だ。


(ここ……だったな)


 一度だけ、少女漫画を借りる為にこの家に入って直ぐの、祥子の部屋に入れてもらった事がある。その時に彼女から自慢げに見せられたのはお母さんのモデル時代の写真だった。


「ここよ、ママが直ぐ帰ってくると思うけど、幸人平気?」

「平気どころか歓迎だ」


バゴンッ!!


「変態っ! エッチ」


 祥子が手に持っていた、護身用の警棒に頭を殴られる。


「それ、冗談じゃ済まんぞ?」

「なら変な冗談いわないのっ!」


 俺達は二人で同じ様な笑顔を浮かべると、祥子が開いた扉の先に進む。


 中の装飾品や色の雰囲気は前世で見たモノと遜色は無い。


「でもどうしたのよ? 突然来るなんて」

「んーー、なんか突然じゃないと決心が鈍るって思ってな?」

「なに? 決心って。なんか重い話しとか?」

「だな、かなり重いな」

「そ…………」


 祥子は悲しそうな顔で、ベットの上にあった可愛いタンリオのキャラクターのぬいぐるみを自分の胸に抱く。


 恐らく、今までの家まで送るとかの行為を辞めたいとか、そんな悪い想像をしたみたいだ。


「何勘違いしてるんだ? そういう話しじゃない」

「……じゃあ何よ……」

「はぁ……凛と別れた」

「はへっ!?」


 祥子からひっくり返った様な高音の声が上がる。


「陽子にはもう話した」

「え……なんで? なんで先に陽子に?」


 再び暗く落ち込んだ声が祥子から聞こえてくる。俺はそんな祥子の顔を覗き込む。


 その瞳には期待や希望が見えない。本心から不安に心が満たされているのだろう。


トクン


 そんな不安なんてサッサと次の台詞でぬぐえば良いのに、俺の胸の奥で何かが蠢き邪魔をする。


「陽子に……したの?」


 かつての憧れが……瞳に涙を浮かべ、俺に懇願する。


「陽子なの? やっぱりアタシじゃないの?」

「祥子……?」

「なんか最近さ、幸人は陽子と良くいるしさ」

「そ、それは別に……」


 瞳から一筋の線が頬に伝わる。その銀色に輝くような煌めく涙に、俺は惹きつけられる。


「アタシ、迷惑しかかけてないもんね?」


 薄く悲しげに微笑む顔から流れるその涙。それはかつての記憶を刺激するーー




『ぜんっぜんっアタシ達恋人みたいじゃないっ!! もう無理っ!!』




 その時、俺の中でなにかが生まれる……




 目を閉じて胸に手を当てる。その暗い暗い世界の中で、飛び散ったガラス片の様なものがひしめくその世界で、黒い女性のシルエットが俺の手を引いていく。その正体を、今の俺にはなんとなくだけど分かる。そしてそれは俺を不幸には絶対しない事もーー


 二人で走り続けた先に見えてきた、一人の女性の後ろ姿。ようやく追いつけたその後ろ姿。


 俺の手を引いてたシルエットが、俺の背中を強く押したーー


 よろけながらも、俺はその背中に縋る様に声をあげた。自分の中に蠢く劣等感に抗う様にーー


「憧れてたんだ……」


 女性は歩みを止める。俺にはやはりこの女性のシルエットに見覚えはない。だけど彼女に言わないといけない、伝えないといけないーー


「手の届かない存在だって思ってたんだ」


 女性は振り返ると、両手を広げるーー


「俺は自信が無かったんだ……何をやっても君には届かないって……俺なんかじゃってーー」



 その影は俺を優しく包み込むーー



「アタシだってそうだったんだよ」



 世界に光が戻る……胸の内に溶け込む様に女性は消えていった。今俺を抱きしめている、祥子と入れ変わる様に……


「バカね、アンタが思ってるよりずっとアタシはアンタが好きなのよ?」


 俺は俺を優しく抱きしめる祥子の背をそっと抱きしめ返した。


「俺と付き合ってくれ」

「答えは分かってるでしょ?」


 祥子は俺をそっと引き離し、涙を流しながら、はにかむ様な笑顔を向ける。


「好きよ、幸人」

「好きだ、祥子」


 俺達は、優しい、本当に優しい、キスを交わすーー



「嬉しい」

「俺がずっと側にいる」

「離さないでよ?」


 俺達は再び抱きしめ合った。お互いの溢れる好きと言う想いが、二人の体を通して伝わり合う。俺の中に新しく生まれ出た感情。


 これもきっと俺を救う大切なもの……運命と戦う為の力になるもの……


 今日、俺の新しい恋が始まったーー

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る