ep2:山本美咲(19)「メロディを奏でる指先」後編

「メロディア!どうしたの?もう始まるよ!」


ログインするとすぐに、さやかのキャラクター「ティアラ」からの声が飛び込んできた。ギルドハウスは既に人で溢れ、月光祭の準備は最終段階に入っていた。


「ごめん、遅れて」


「大丈夫?声、元気ないけど」


さすがに親友は、声のトーンだけで気づくようだ。


「ちょっと疲れてて……」


「コンクール、終わったの?」


「うん」


それ以上は聞かなかった。さやかは察してくれたのだろう。


「みんな待ってるよ。もうすぐ始まるから、準備しよう」


ギルドメンバーが忙しく動き回る中、私も自分の役割に集中しようとした。しかし、心はまだコンクールの失敗に囚われていた。


「おい、メロディア」


振り返ると、カゲロウのキャラクターが立っていた。


「来たんだな。コンクール、どうだった?」


「……落ちた」


短く答えると、彼は一瞬黙った。


「そうか……辛いだろうが、ここではみんなが君の演奏を楽しみにしている。力を貸してくれ」


彼の言葉に、少し心が軽くなった気がした。そうだ、ここでは私の演奏は特別なのだ。みんなが待っている。


「はい、頑張ります」


月光祭が始まった。「オーケストラ・ドラゴーン」の演奏会は祭りのハイライトとして、中央広場で行われることになっていた。大勢の観客が集まる中、私たちは舞台に立った。


「それでは『オーケストラ・ドラゴーン』の演奏をお楽しみください」


ギルドマスターのエルダンがアナウンスし、演奏会が始まった。最初はギルドメンバー全員での合奏。様々な職業が持つ楽器や魔法を組み合わせた、幻想的な音楽が広場に響き渡る。


そして、いよいよ私のソロパート。


「続いては、我がギルドの誇る『神の演奏者』メロディアによる『月光の奏鳴曲』をお届けします」


舞台中央に立つと、周囲が静まり返った。私は深呼吸して、竪琴を構えた。


「…………」


しかし、指が震えていた。コンクールでの失敗が脳裏に蘇り、自信が持てない。今日もミスをしたら?また皆を失望させたら?


「メロディア、大丈夫?」ティアラが心配そうに囁いた。


その時、ふとカゲロウの言葉を思い出した。


「ここでは、みんなが君の演奏を楽しみにしている」


そうだ。ここでの私は「失敗したピアニスト」ではない。私はメロディア。「神の演奏者」と呼ばれる存在だ。


私は目を閉じ、現実の挫折を一旦脇に置いた。そして、自分自身のために演奏することを決めた。


指が動き始めた。「月光の奏鳴曲」は、静かに始まり、徐々に情熱的になっていく曲だ。流れてくる音符に合わせて、私は正確に、そして感情をこめて演奏した。


不思議なことに、コンクールでは出せなかった感情が、ここでは自然と湧き出てくる。挫折の悲しみ、自分への怒り、そして微かな希望。それらが音符となって広場に響き渡った。


演奏が終わると、一瞬の静寂の後、割れんばかりの拍手が沸き起こった。


「すごい……」

「神の演奏だ!」

「感動した……」


観客からの賞賛の声が聞こえる。ギルドメンバーも驚きの表情で私を見ていた。


「メロディア、最高だったよ!」ティアラが駆け寄ってきた。「いつもより断然良かった!何があったの?」


「自分のために弾いたから……かな」


「自分のため?」


「うん。誰かの評価を気にせず、自分の感情をそのまま」


その言葉に、ティアラは目を丸くした。


「それって、先生が言ってたことじゃない?『心を込める』って」


ハッとした。そうだ、佐々木先生が言っていたのはそういうことだったのか。技術だけではなく、自分の心を込めること。コンクールでは「審査員に評価されたい」という思いばかりで、本当の自分を表現できていなかった。


演奏会は大成功に終わり、「オーケストラ・ドラゴーン」は月光祭の音楽部門で優勝を勝ち取った。祝賀会の最中、私はカゲロウから私信を受け取った。


「素晴らしい演奏だった。何かあったのか?」


「自分の気持ちを素直に表現してみたんです」率直に答えると、彼からの返信が来た。


「なるほど。音楽の本質だな。才能がある上に、それに気づけたのは大きい」


「ありがとう。でも、現実では失敗してしまって……」


「コンクールの結果だけが全てじゃない。大事なのは、自分が何を表現したいかだろう?」


「……」


「今日の演奏を忘れるな。あれが本当の君の音楽だ」


カゲロウの言葉が心に深く刻まれた。祝賀会が終わり、多くのギルドメンバーがログアウトする中、私もログアウトしようとした時、最後のメッセージが届いた。


「それと、もう一つ言っておく。現実も大事にしろよ。才能を無駄にするな」


翌朝、私は久しぶりに早起きして練習室に向かった。閑散とした朝の練習室。窓から差し込む朝日が、ピアノを優しく照らしている。


私はピアノの前に座り、深呼吸した。そして、ショパンのバラード第1番を弾き始めた。


不思議なことに、昨日のゲーム内での演奏感覚が残っていた。「自分のために弾く」その感覚を大切にしながら、音符を紡いでいく。完璧ではないかもしれないが、確かに私の心は音楽に乗っていた。


「へえ、久しぶりね」


ふと気づくと、さやかが練習室の入り口に立っていた。


「おはよう」


「おはよう。昨日の演奏、すごかったね」


彼女は現実のコンクールのことを言っているのかと思ったが、続く言葉でそうではないと分かった。


「月光祭。あんなに感動したの初めて」


「ありがとう」微笑みながら答えた。「自分でも驚いたよ」


「何かつかんだみたいだね」さやかは隣に座った。「佐々木先生の言ってた『心を込める』ってこと」


「そうかもしれない」


私たちはしばらく話をした。コンクールのこと、月光祭のこと、そしてこれからのこと。


「次のコンクールはいつ?」さやかが聞いた。


「3ヶ月後に地方大会がある」


「出る?」


「うん、出るよ」迷いなく答えた。「今度は自分の音楽を届けたい」


その日の午後、佐々木先生に会いに行った。コンクールの結果報告と、今後について相談するためだ。


「美咲」先生は意外にも優しい表情で迎えてくれた。「よく来たわね」


「昨日は申し訳ありませんでした」深く頭を下げると、先生は小さく首を振った。


「結果だけを気にしているわけじゃないわ。あなたの成長が見たいの」


「私、気づいたんです」勇気を出して言った。「先生の言っていた『心を込める』ということの意味を」


「そう」先生の目が少し輝いた。「どうやって?」


私は昨夜のことを話した。ゲームのことは省略したが、「自分のために演奏する」という感覚をつかんだことを伝えた。


「それが大切なのよ」先生は微笑んだ。「技術はあなたの武器だけど、心がなければ人を動かす音楽にはならない」


「次のコンクールまでに、もっとそれを磨きたいです」


「いいわ。でも、練習は欠かさないように」先生は少し厳しい目で言った。「才能を無駄にしないで」


カゲロウの言葉と同じだ。私は決意を新たにした。


数日後、私はギルドのみんなに事情を話した。


「これからはゲームの時間を減らします。現実の勉強も大事なので」


「当然だよ」エルダンは理解を示してくれた。「君の才能は現実でも活かすべきだ」


「でも、完全にやめるわけじゃないからね」私は付け加えた。「みんなとの時間も大切だから」


「そうだね!」ティアラ、つまりさやかは嬉しそうに言った。「バランスが大事だよね」


その話し合いの後、カゲロウから私信が来た。


「良い決断だ。ところで、少し話があるんだが、リアルで会わないか?」


その提案に驚いた。ゲーム仲間と現実で会うのは初めてのことだった。


「いいよ。でも、どうして?」


「実は、君のことをもっと知りたいんだ。それに……俺も音楽をやっていたって言っただろう?少し相談に乗ってほしいことがあるんだ」


翌日、大学近くのカフェで待ち合わせることになった。緊張しながら店に入ると、窓際の席で一人の男性が手を上げた。


「山本さん?俺、鈴木陽介」


「あ、カゲロウ……じゃなくて、鈴木さん」


彼は私より少し年上に見える。黒髪にシンプルな服装。フェリシアンのカゲロウとは全く違う姿だが、鋭い目つきは似ていた。


「座って」彼は微笑んだ。「驚いたかもしれないけど、実は俺、君と同じ大学なんだ。3年生」


「え?同じ音楽大学の?」


「ああ、作曲専攻だけど」


それは本当に驚きだった。同じキャンパスにいたなんて。


「実は、君の演奏、前から聴いてたんだ」彼は少し照れくさそうに言った。「入学した時から、君の評判は知ってた。『新入生の中で一番の実力者』って」


「え……」思わず赤面する。「そんな評判、あったの?」


「ああ。だから月光祭の時、君の本名を聞いて『もしかして』と思ったんだ」


「そうだったんだ……」


「昨日のコンクールの結果も聞いた」彼の表情が少し暗くなった。「残念だったね」


「うん……」


「でも、月光祭での君の演奏は本当に素晴らしかった。あれこそ、本当の君の音楽だと思う」


「ありがとう」


会話が進むうちに、彼の話も聞くことができた。鈴木陽介は昔、バンドでギターとボーカルを担当していたが、大学に入ってからは作曲に専念しているという。しかし最近、創作のインスピレーションが湧かず悩んでいた。


「君の演奏を聴いて、初めて閃いたんだ」彼は熱心に語った。「自分のために音楽を作る。評価を気にしすぎていたら、本当の音楽は生まれない」


「私も同じことに気づいたばかり」


「そこで相談なんだけど」彼は少し躊躇した後、言った。「僕の新作の発表会があるんだ。そこでピアノパートを弾いてくれないか?」


「え?」


「技術だけじゃなく、心を込められる演奏者を探してたんだ」


その申し出に、私は少し考えた後、頷いた。


「やってみます。でも、次のコンクールの練習もあるから、両立できるかわからないけど……」


「大丈夫、無理はさせない」彼は安心させるように言った。「お互いの成長になるはずだ」


その日から、私の生活は変わった。朝は早起きして練習し、授業の後は鈴木さんの作品の練習。そして、適度な時間だけゲームを楽しむ。バランスを取ることの大切さを学んだ。


「美咲、最近変わったね」ある日、さやかが言った。


「そう?」


「うん、なんか自信が出てきたというか」彼女は笑った。「ゲームとうまく付き合えるようになったみたいで良かった」


「ゲームでの経験が、現実にも活きてるんだと思う」


「私もそう思う!それに、鈴木先輩とのコラボ、楽しみにしてるよ」


大学内での小さなコンサートホール。鈴木陽介の新作発表会の日が来た。


「緊張する?」舞台袖で、彼が聞いてきた。


「少し」正直に答えた。「でも、自分の音楽を届けたいと思ってる」


「それでいい」彼は微笑んだ。「じゃあ、行こうか」


舞台に上がると、客席にはさやかや他の友人たち、そして佐々木先生の姿もあった。深呼吸して、ピアノの前に座る。


鈴木さんの新作「星降る夜の物語」は、静かに始まり、様々な感情を経て、希望に満ちた結末へと向かう曲だった。私は自分の心を解放し、音符に魂を込めた。ゲーム内で学んだ「自分のために演奏する」感覚を大切にしながら。


演奏が終わると、会場からは大きな拍手が沸き起こった。鈴木さんと一緒に観客に向かって頭を下げる時、私は佐々木先生が微かに頷いているのを見た。


「素晴らしかったわ、美咲」


コンサート後、先生が声をかけてきた。


「心が伝わってきたわ。これが本当のあなたの音楽ね」


「ありがとうございます」嬉しさで胸がいっぱいになった。「まだまだ学ぶことがたくさんありますが、これからも頑張ります」


「次のコンクールが楽しみよ」


帰り道、鈴木さんと歩きながら、私は空を見上げた。星が美しく輝いている。


「今日の演奏、最高だったよ」彼が言った。


「ありがとう。あなたの曲だから、弾きやすかったんだと思う」


「いや、君の演奏があったからこそ、曲が生きたんだ」


しばらく二人は黙って歩いた。そして、ふと彼が言った。


「今夜、ログインする?ティアラたちが新しいダンジョンに行きたいって言ってたよ」


「うん、少しだけね」私は笑った。「一時間だけ」


「そうだな、明日も練習があるしね」


生活のバランスを取り戻した私は、再び毎日の練習に励んだ。ゲームは適度に楽しみながらも、現実の音楽とのつながりを大切にした。鈴木さんとの共同作業も続き、お互いの音楽性を高めあった。


そして3ヶ月後、地方コンクールの日が来た。


舞台に立つ私は、もう以前のように震えることはなかった。ショパンのバラード第1番。同じ曲でも、今の私には違う意味を持っていた。


指が鍵盤に触れ、音楽が始まる。技術的な正確さを保ちながらも、自分の感情を素直に表現する。喜びも悲しみも、全てを音に込めて。


演奏が終わると、会場には温かい拍手が満ちた。


結果発表。私の名前が呼ばれ、第2位に入賞したことが告げられた。完全な優勝ではなかったが、前回のような挫折ではなく、確かな成長を感じられる結果だった。


「おめでとう!」


控室に戻ると、さやかが飛びついてきた。


「ありがとう」


「今日の演奏、本当に美咲らしかったよ」彼女は嬉しそうに言った。「心に届いたよ」


その言葉に、胸が熱くなった。


夕暮れ時、大学の練習室に戻った私は、窓際のピアノで静かに即興演奏を始めた。夕日に染まる空を見ながら、自分の感情をそのまま音に変えていく。


スマホが震え、通知が表示された。「オーケストラ・ドラゴーン」からの招待メッセージだ。


私は微笑みながら、しばらくそのメッセージを見つめていた。そして、一度だけ軽く頷くと、再びピアノに向き合った。


現実とゲーム。二つの世界の間で、私は自分の音楽を見つけたのだ。指先が奏でるメロディは、今や私の心そのものだった。


ピアノの音が静かに練習室に響き渡る。それは新たな旅の始まりの音色だった。


(了)

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