第4話 凍てついた背中

 水上都市スイレーン。

楽園の島ブリテンとう』北部――聖王国デウス・エクス・マキナスでも北西の海沿いに位置する大都市。

『スイリア湖』と呼ばれる、海水と淡水の混ざった汽水湖の周辺に建てられた水面の反射する美しい街並みが特徴である。

 水上都市スイレーンを治める領主チャイルディの屋敷は、都市の北区……水上から北の小高い丘の上に建てられていた。使用人、執事、メイドの数はおよそ50人。彼らは、領主チャイルディの家族である妻ホリィ、長女マリィ、次女エミリィの身の回りの世話……ありとあらゆる雑事をこなしていた。

 屋敷の二階。中央ロビーの大階段を登って東の隅の一室が、長女マリィに与えられた部屋だった。


「あと、ちょっと……もう、少し…………ん……!」


 マリィの部屋は、ホワイトの内装からピンクの壁紙を貼り付けてコーディネートされていた。ベッド、クローゼット、本棚、学習机、必要最低限の物だけが置かれた部屋。

 マリィは、備え付けの学習机の椅子に座り、ソーイングセットから取り出した薄茶色の糸と針を、机の上にちょこんと乗せられたくまのぬいぐるみに向けた。

 彼女マリィは、幼い頃からのともだちであるくまのぬいぐるみに、可愛らしい赤のリボンを縫い付けようと、奮闘していた。


「……じっとしててくださいね、クマムゥ……ぜったいに、ぜぇったいに、笑ったり、さけんだりしないでください……いいですね?」


 可愛らしく眉根を寄せた姫君マリィの、念を押す様な問いかけ。

 風でも吹いたのか、人の手で縫い合わされたくまのぬいぐるみの首は、一人でにこくりともたげた。


「あと、ちょっと……もう、少し…………ですわ」

「……あ」

「………………え?」


 童女の様な、世を知らない無垢な声音。

 彼女の間近で響いたその声に驚いたマリィは、針と糸を手繰る手をくるりと滑らせる。


「……あ、あひひひ……!く、くすぐったいよ、マリィ……!」

「……あ、もう!…………クマムゥ!じっとしててって私、言いましたわよね…………!」


 マリィが手を滑らせると同時、マリィにクマムゥと呼ばれたくまのぬいぐるみは、まるで生命を持っているかの様に、くねくねと一人でに身体をくねらせた。マリィの手繰る針と糸はもつれ、クマムゥの首元の赤いリボンは途中でよれて、だらんと垂れ下がる。


「……はぁ、もう……!今日は何もかも上手くいかないわ!……なんだか、退屈ですわね……ホント」

「クマ!マリィ、きのうのうらないのとおりだね!」


 クマムゥを両手で抱き抱えると、マリィは机の上に額を乗せた。カツカツと、掛け時計の奏でる正確無慈悲なだけの静寂の中に、部屋の外、遠くからヴァイオリンの音が微かに聞こえてくる。屋敷一階の講堂では、妹のエミリィが、ヴァイオリンの習い事をしている最中だった。


「クマムゥ……かわいいですわ……」

「クマ!マリィもかわいいよ!」

「あら、ありがとうございますわ」


 マリィとクマムゥは、お互いがお互いを褒め讃え合う。

 

「……クマ!マリィ!クマムゥはね、おさんぽしたいよ!そとはあたたかくて、きもちがいいよ!」

「おさんぽ」


 マリィの耳朶じだに響く童女の様な無垢なクマムゥの声音。領主の娘マリィの、今の時間は休暇ではなく自習時間である。しかして姫君マリィは気持ちを切り替えると、肩を落とした学習机から気怠げに、ゆっくりと身体を起こした。そして、窓際のカーテンに手をかけて、カーテンレールを勢いよく引っ張る。


「…………わぁ!」


 直様差し込む初夏の陽光。太陽の光を浴びてマリィは、クマムゥの言う事も悪くないわね、と、既に心は階下にあった。マリィはクマムゥを強く抱きしめる。クマムゥの首筋からは、焦げたパンの様な、独特な臭いがした。


「……行きましょ、クマムゥ!」

「クマ!」


 マリィはクマムゥを抱きしめたまま、自らの部屋、上機嫌で外の廊下へ続くドアのハンドルに手を掛けた。屋敷に響く淀みないヴァイオリンの音。穏やかな陽光差し込む廊下に彼女とくまのぬいぐるみは踊り出る。時刻は正午過ぎ。数刻前に鳴り響いた『耀光燐音夢世界フォースフレセンス』も、仕事に追われるメイドには時間を知らせるだけのイベント。姫君が廊下ですれ違う数十人のメイドは、洗濯籠や書類の紙束を抱え、忙しなく急ぎ廊下を駆ける。


「あら、お嬢様、クマムゥ、お出かけですか?」

「ええ」

「クマ!」


 山盛りの洗濯籠を抱えたメイドの一人と軽く挨拶を交わす。彼女は、中央の大階段を降り、一階のロビーへと躍り出る。正面に現れた大きな玄関フロアの扉を、少女の細腕マリィは、少々の力を込めて、ぐぐと押し開ける。耀光差し込む外へ出ると、マリィの全身を柔らかな初夏の日差しが包んだ。

 屋敷の前庭を、キョロキョロと辺りを見回しながら散策する。そこには、大きな庭鋏にわばさみで、綺麗に庭の草に手を入れる、庭師の姿があった。


「……おや、姫様、サボりですかな?」

「あら、ちょっと散歩をしているだけですわ。ジョナサンはいつも通りね」


 クマムゥを抱き抱えたまま、少々バツが悪そうなマリィ。ジョナサンは庭鋏を手繰る手を止めると、そんなマリィをからからと笑い飛ばす。


「……ははは!自習時間にこんな所にいるのが領主様に見つかったら大変だ!マリィ姫様、私だから口裏を合わせられますがね、これがもし、メイド長のカミーユに見つかれば……」


 まるで真夏の夜の怪談話の様に、庭師のジョナサンは、コソコソと声をそばだてる。

 

「か、か、カミーユになんて、絶対にバレたりしないわ!……もう!怖い事を言うのはやめて、ジョナサン!」


 わっはっはと、意地の悪い瞳で、ジョナサンは再びマリィを笑い飛ばす。


「……心配せずとも、姫様がお散歩おサボりしている事は内緒にしておきますよ…………これからどちらへ?」

「クロヴィスに会いに行こうと思って…………今は、どこに居るのかしら?」

「……ああ、執事のクロヴィスなら、正門で贈答品を馬から荷上げしとったと思いましたがねぇ」

「ありがとう」


 マリィは庭師ジョナサンに別れを告げると、クマムゥを揺らしながら、彼によって綺麗に切り揃えられた庭木の影から影に移る様、こっそりと正門へ、踊りながらステップを踏んだ。

 屋敷の門前、正門では、眼鏡を掛けた若い執事が、白手袋に赤い林檎を一掴みし、くいと鳴る眼鏡越しにその贈答品リンゴの品定めを行っていた。


「まぁ!林檎ですのね」

「…………姫様、ええ、隣村のリトラナットからで御座います」


 執事の背後からこっそりと声を掛けるマリィ。執事クロヴィスは、初め驚愕の表情を見せたが、姫君のそれいたずらもいつもの事と、すぐに自らを諌めた。


「今年は、林檎の収穫が豊作だった様で…………姫様、今は自習時間では?」

「まぁ!いいわね!それなら今夜のディナーには、是非デザートとして添えて頂きたいわ!クロヴィス、私が林檎を大好きな事…………貴方だって承知の筈でしょう?」

「姫様、しかし……万が一の事も御座います。きちんと検品をしなければ」

「そんなもの、いりませんわ!私はお腹が痛くてしんだりなんかしませんもの!うふふ!」


 マリィは抱いていたクマムゥを、執事クロヴィスの足許あしもとへと放り投げる。驚いた表情のクロヴィス。マリィは軽やかに、そして艶やかに、クロヴィスの前でくるりと踊る。それに合わせる様に、マリィの来ているドレスはふわりと宙を舞う。

 クマムゥはそんなマリィを褒める様に、マリィの赤いロリータパンプスを、毛むくじゃらの腕でぱしぱしと叩いた。


「……やれやれ、料理長コックには、今晩に間に合わせる様にと、そう伝えておきます」

「……ふふ、ありがとう、クロヴィス!だから私って、貴方を一番信頼しているのよ!」


 ――穏やかな初夏の陽気。

 

 それは、五月のある、晴れた日の出来事であった――



      ⚫︎



「……………………………………………………夢、」


 囚われの姫君マリィは、石畳に囲まれた薄暗がりの狭い一室で目を覚ました。

 

 ランプ一つしかない四畳半の小さな部屋。

 

 それは…………在りし日の、夢幻ゆめまぼろしであった――

 

 薄いレースの取り付けられた天蓋のベッドの天井をただ無為に眺めていると、自然と涙が溢れてくる。悔しくて、ただただ世界が醜くて、マリィは両腕を乱暴に顔面に覆い被して、ただただしゃくり声を上げた。

 生まれ落ちた場所を嘆いても、仕方のない事だ。領主の娘にさえ生まれなければ、年頃の女子おなごの様に、勉学に励み、いつしか恋をする事も出来ただろう。しかし、マリィは自身の生まれを嘆かずにいられなかった。

 

 何故、私はこの家に産まれたの?何故――?

 

 一頻り流した涙を拭いたマリィは、起き上がり、窓際に備え付けられている木製の椅子に座った。はめ殺しの格子のさんには、残り物のパン屑が行儀良く置かれており、それを狙って数羽の小鳥が、いつもの様に窓際に止まっていた。


「…………ふふ。お前たちの親は、どんな親…………?私と違って……良い親、なのかしら………………?」


 無垢にころころと首を傾げながら、巣で待つ雛鳥の為にパン屑を加え喉に入れる小鳥の群れに、彼女の口からは、ついそんな哀しい独り言。

 窓際に現れる、空を自由に羽ばたき回れる小鳥を眺めながら、外の世界に想いを馳せる…………それは、灰壁に囚われた姫君マリィの、数少ない楽しみとなっていた…………


「……………………ッッ!!」

 

 コツコツと、ふいに、部屋に一つしかない扉の外…………階下が、騒がしくなる。粗暴な男達の乱雑な声と共に近づく静謐な靴音。足を踏み締めてこの部屋に近づいてくる音が…………段々と、大きくなる。


「…………………………あの男、か」


 マリィは、物思いに耽っていた心を、氷の様に固く閉ざした。素早く立ち上がると、鍵のかかる扉に背を向けて、その凍てついた背中を錠前に見せる。扉越しに聞こえてくる物音は、ガチャガチャと焦る様に扉の錠前に鍵を挿し込む音に変わる。

 そして――外道は、マリィ姫の部屋を、蹂躙する。


「……ああ!マリィ!愛しのマリィ姫!一体どうして……僕との結婚を、認めてくれないんだい?」


 バンと、大仰に扉を開ける音。舞台の役者じみた様な声色が、マリィ姫の背中越しに耳障りな雑音ノイズを響かせる。


(――……………………………………ふん、笑わせるわ)


「…………ミスレプレーリア様、我々も、マリィ姫様を何度も説得しているのですが……ご覧の通り、いつも顔すらお見せになられないご様子で………………」

「…………ああ、いいよ。後は僕がやっておく…………君達は、下がっていてくれたまえ」

「は…………ハッ!ミスレプレーリア様、どうか、良い成果を」


 学術都市ログヒストリアの王子を騙る詐称者――ミスレプレーリア。彼の言いつけにより、神聖皇国から出向してきた神聖皇国騎士団の騎士達は、足早に姫君の下から出ると、階下へとくだって行った…………


「…………………………フフ、さて」


 姫君と二人きりになったミスレプレーリアは、おもむろに姫君マリィの肩を掴むと、ぐいと強引にマリィのその身を引き寄せた。


(――………………………………………………外道、が)


 ミスレプレーリアの邪悪に濁る瞳からに覗く姫君マリィのその瞳は、醜く歪み、悪鬼羅刹をも射殺す瞳だった。


「オマエ…………その態度、どういう事だか、わかっているんだろうなァ、エェ??」


 姫君マリィは、憎しみと怒りに滾った瞳で以て、外道男ミスレプレーリアが肩に置いた手を強引に剥ぎ取る。


「…………どういう事、ですって…………?それは、こっちが聞きたいですわ…………ああ、貴方がしていた下らない婚約のばか話の事?……ふふ、…………あはは!……笑ってしまうわね…………貴方の様なチンケなド畜生と結婚なんてするくらいなら、犬猫と婚約した方がまだマシというものよ……ああ、全く、下らない、唾棄すべき与太話ね!!」


 ミスレプレーリアに対して烈火の如く怒りを吐き散らすマリィ。ミスレプレーリアは、その罵倒に顔色ひとつ変えずに、その右拳を、姫君マリィの鳩尾みぞおちへと、殴りつけた。


「かっ…………ハッ…………っ」


 肺の空気が漏れる痛音。マリィは激痛に呻き、思わず灰色の石畳へとうずくまる。ミスレプレーリアは婚姻書と魔導筆ペンを、部屋の備え付けの丸テーブルに叩きつけると、悪魔の様な背筋の凍る笑い声を、ランプ一つの薄暗い部屋へと響かせた。


「――ヒャハハ!!明日は顔だ!!とっとと心変わりした方が身の為だぞ?!――ヒャハ、ヒャハハハハハハハハ!!!!」


 痛みに蹲るマリィ等些事と、外道男ミスレプレーリアは自分勝手に扉を乱雑に閉めた。ガチャリ、と無情なる錠前の音。

 再び、囚われの身となったマリィ。

 悔しさに、その愛らしい瞳からは、ぽたぽたと、冷たい涙が溢れ出る。


「くそが……くそが……くそが……っ!」


 石畳の床を、ガリガリと、両手で掻き毟る。

 爪は割れ、血だらけになる。

 それでもマリィは、その行為を……止めようとはしなかった。


「誰か……助けて……!私を……この牢獄から、救い出して…………ああ……ぁぁぁ、ぁぁぁぁぁ…………!」



      ⚫︎



 それは…………黒髪の少年アルルカイルが、まだ幼かった頃。

 義祖父である老賢者マーリンと、煙突の煙る山奥の一軒家で、二人きりで生活をしていた頃。

 とある日の事、アルルカイルはいつもの庭での退屈な一人遊びを終え、縁側を登り、庭と繋がるリビングを這いずった。ふと彼がキッチンに立つマーリンを盗み見ると、義祖父マーリンはキッチンに立ち、今晩の夕食ディナーにかかりきりだった。

 たたたと、そんな義祖父に走り寄る少年。幼いアルルカイルは、長方形のテーブルに乗った、ニラとひき肉の具の塊が入ったボウルと、円状の小麦粉の皮の並べられたまな板、そして、ボウルに入った真水を発見した。


(わあ――……………………………………!!)

 

 ……それから、少年アルルカイルと、義祖父マーリンの、二人きりの今晩の夕食ディナーの用意が始まった。


「これを……こうして……ひだひだになる様に、閉じる……」


 幼子に対して目尻を細めるマーリン。少年アルルカイルは、スプーンにニラとひき肉の具を適量乗せると、円状の小麦粉の皮に置き、ひだを作る様に包んでいく。


「ほっほ……コツはの、あまりボウルの水を、手に付けすぎない事じゃな」

「うん……ああ、また溢れちゃった……むずかしいな、これ」


 テーブルの上に敷かれたキッチンペーパーの上で、アルルカイルは遥か南東に位置する、この『楽園の島』でも独特の文化を持つ街『メイキョウ』の料理――ギョーザ作りと、格闘していた。


「どれ……ありゃ、これは具を入れすぎじゃの、アルルカイルよ、欲張ってはならん、具の量を考えるのじゃ」

「この、ギョーザって食べ物……母さんアンジェリカの故郷の料理――なんだよな?」

「ほっほ、そうじゃよ。メイキョウの料理じゃ」


 アルルカイルはべたべたで不揃いなギョーザを一通り作り終えると、飽きてしまった様子で、足のつかない椅子に座りながら、バタバタとその足の行儀を悪くさせる。それを見たマーリンはまた目尻を柔らかくし、微笑むと、彼は作りきれなかった具をラップに包み、そして、氷雪魔導を応用して作られた冷たい冷蔵庫へとしまった。


「…………それ、もう焼くのか?」

「……ほっほ、そうじゃよ」

 

 焔魔導で出来たコンロにフライパンをかけ火を起こすと、油を引き、ギョーザをフライパンに均等に並べていく。水を入れると、ジュゥと、油の立つ音と臭いだけが、彼らの居住空間に充満する。


「じぃちゃん、まだか?まだ、焼けないのか?」

「……ほほ、もうすぐじゃ、黙って行儀よくしておくれ」


 子供ながらにも、義祖父に対して可愛らしく文句を浴びせるアルルカイル。

 アルルカイルは唇をうーと尖らせると、つまらなそうに顎をテーブルの上に乗せた。


「そら、出来たぞぃ」

 

 5分後。マーリンは良い焼き色のついたギョーザをフライパンから大道芸人の如く、ぽんと白い大皿へとひっくり返す。そのパフォーマンスに、目を丸くするアルルカイル。少年の躍動感にマーリンは鼻を高々にすると、食卓テーブルの真ん中に、二人では到底食べきれない程の量のギョーザを置いた。

 二人はテーブルの上のそれを見合わせると、どちらからともなくはにかみ、そして深く椅子に腰を落として、いただきます、と手を合わせた。


「…………なぁ、じぃちゃん、俺の親父と母さんって、どんな人なんだ?」


 大皿の上に山盛りに乗ったギョーザの群れは、アルルカイルの胃袋の許容量を遥かに越えていた。

 まだ半分も食べ終えていないギョーザを前に、アルルカイルはふと気になった質問を、義祖父マーリンへと投げ掛けた。


「……ほっほ、ローランとアンジェリカが、そんなに気になるのかの?」


 いつもと変わらない義祖父マーリンの口調に、彼は少しばかり焦りと気恥ずかしさを覚えながらも、こくりと首を縦に振った。

 そして、食中に椅子から離れると、急いでリビングのカーペットに乱雑に放られていた一冊の絵本を取り、食卓テーブルへと戻ってくる。


「……この、絵本にはさ……親父は、『悪魔王』を退治した大英雄スーパーヒーローだって、描いてあるんだ…………ホントなのか?」

「……ほほ、そうじゃの…………10年前の混沌とした時代を、ローランは終わらせてくれた…………しかしの、ローランは元は、皆んなの笑われ者だったのじゃ」

「笑われ……者…………?」


 食事の時間の気分からは、些か遠ざかるその空間じかん。マーリンは、食べ切れなかった大皿に残るギョーザにラップを掛けると、氷雪魔導の冷蔵庫を開け、中の棚へと押し込む様に仕舞った。

 そして、彼は微笑みを讃え、少年の父親……騎士王ローランにまつわるその続きを、ゆっくりと話し始める。


「……お前の母さん、アンジェリカはの。それはそれは、絶世の美女じゃった……しかし、大層気が強くての、言い寄る騎士はごまんとおったが、誰にも靡こうとせんかった…………勿論、お前の父さんにもの」

「…………それで?」

「騎士ローランは、何とか彼女に振り向いて貰おうと、沢山の冒険をし、数々の武勲を立て、そして、ようやくアンジェリカに一世一代の愛の告白をした。しかし…………それでも、アンジェリカは、ローランの思いを受けようとはせんかった……その現実に、ローランはショックのあまり、着ていた騎士鎧を全部脱いで、街中を歩き回った」

「……………………それで、笑われた、のか?」


 眉根を寄せ、神妙な面持ちのアルルカイル。マーリンは置かれていた杖を手に取り振り上げると、彼らの目前には、ポットに入った冷たいジャスミンティーが出現した。

 老賢者マーリンは現れたポットに人差し指を掛け、そして、透明なコップに注いで、一口啜る。

 マーリンは、テーブルの対面に座り、うー、と口を尖らせるアルルカイルのおもてを、優しく見遣る。


「――じゃが、結果的にはそれで、絶世の美女アンジェリカの心を射止め、ローランは、ついに彼女と、結婚をする事になった…………」

「……………………ふーん、」

「………………アルルカイルよ……大きな夢、野望を持つものは、誰しもが……笑われ者なのじゃ」

「笑われ者…………俺の夢も、そうなのか?」


 黒髪の少年アルルカイルの夢。

 それは――

 

「…………ほっほ、そうかもしれんのぉ」



      ⚫︎



 姫君の囚われたルインの塔。中層。下層から螺旋状の階段をぐるぐると登り始めると、必ず突き当たる大部屋。その部屋では、神聖皇国騎士団の騎士達が、学術都市ログヒストリアの詐称者おうじ、ミスレプレーリアの警護の名目の下、聖王国デウス・エクス・マキナスに立ち入り、そして、来るはずのない侵入者を待ち構えながらも、のんびりと退屈な午後を過ごしていた。


(…………退屈だ……ガウェインあにには、この様な粗雑な任務、私一人でやれると豪語し、啖呵を切ったものの……………………)


 神聖皇国騎士団円卓の騎士の一人、ガウェイン卿の弟にして、ガウェイン隊の一人、聖剣持ちの騎士アグラヴェインは、乱雑に椅子からテーブルに両脚を掛けたまま、欠伸を噛み殺した。辺りを見回すと他の騎士団の騎士達は、丸テーブルを囲んで、トランプゲームポーカーやチェスに興じている。


「……アグラヴェイン殿、いるか」

「…………どうした?」


 神妙な面持ちで下層の扉から現れた一人の騎士が、騎士アグラヴェインの下へと立つ。そして、アグラヴェインにだけ聴こえる様な声量で、そっと彼の耳元をそばだてた。


「…………侵入者だ。数は一人……どうやら、少年騎士の様だ」

「少年……………………だと?」


 少年騎士。その言葉に、騎士アグラヴェインは訝しむ。

 アグラヴェインは齢二十三の歳だが、そのアグラヴェインよりも更に歳若い子供――という事なのだろうか?


「面白い…………良いだろう。その侵入者、私が相手をする」


 にやりと、不敵な笑みで、騎士アグラヴェインはテーブルから両脚を退かし、席を立つ。


(……此度の冒険………………中々に、面白くなってきた様だ)



      ⚫︎



 囚われの姫君が待つルインの塔。下層。入り口を警護する神聖皇国騎士団の騎士をすんなりと撃破した黒髪の少年アルルカイルは、螺旋状に続く石畳の階段をぐるぐるとひた走る。薄暗がりの階段には、等間隔に焔魔導で出来た蝋燭が配置され、弱々しく、辺りを照らしていた。


「姫サマ…………非道い事されてないと、良いけどな…………」


 この囚われの姫君を救うクエストミッションアルルカイルへと託した執事クロヴィスの話によれば、このルインの塔の上層部にいる、神聖皇国から国境の魔導壁を越えて出向してきた男は、詐称者であり、学術都市ログヒストリアの王子とは真っ赤な嘘であり、その男はただ、強引にマリィ姫との婚約を持ち込む様な、卑劣非道なる男である。

 

 外道男の、姫君に対する虐待――それは、黒髪の少年の、唯一の気掛かり。


「誰か……助けて……!私を……この牢獄から、救い出して…………ああ……ぁぁぁ、ぁぁぁぁぁ…………!」


 突如として、上層から響くその悲鳴にも似た絶叫に、黒髪の少年アルルカイルは、はたと立ち止まる。


「今の………………って、もしかして……姫サマ、か?」


 彼の脳裏におりの様によどんでいた悪い予感が、現実の物と侵食なっていく――そんな感覚。


「そんな…………?!チクショウ…………チクショウ…………!!」


 右拳をぎりと固めると、螺旋に続く石畳の石壁に向かい、彼は思い切りその硬い右拳をめり込むように殴りつけた。ズシンと、鈍く重く骨に響く衝撃。血の滲む様なその行為でさえも、彼の脳髄を、僅かばかりも揺さぶる事はない。


(姫サマは…………俺が、ぜってぇーに、救い出す――!!)


 囚われの姫君は、今も少年かれに、助けを求めている――

 少年アルルカイルは一旦、息を思い切り吐きだすと、直様肺を満たす様に、また思い切り吸い上げた。そして、臓腑に思い切り吸い込んだ息を、自らが思い描く姫君への万感の想いを言の葉と共に――この世界へと、乗せる。


「――待ってろヨォーー!!……姫サマァァーー!!姫サマはァーー!!俺が!!必ず!!――――助け出してやるからなァァーーーー!!!!」


 彼のいる場所から遥か上層で、今も助けを求める囚われの姫君に向かい放たれた、黒髪の少年アルルカイルの誓い。

 彼の声は、姫君の元へと届いたのか――?それは、誰にも分からない。

 しかし、彼は歩みを止めない。

 両脚の腿に力を込めて、息を切らして走り続ける。

 

 俺が必ず――マリィ姫を、助け出す

 

 ただ――万感それだけの想いで以て。

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