2 止まった時間

 誰かに呼ばれたような気がして、慎司は瞼を開いた。

 上体だけを起こして辺りを見回した。深い森の中だ。山の中なのだから、あたりまえだと言えるかもしれない。だが違和感があった。

 まだぼんやりしている頭でしばし考えた。そして気づいた。気候が大きく変わってしまったのだということに。

 熱帯のジャングルとはこのような感じなのだろうか。さっきまでの寒さが幻だったかのように暖かい。いや、蒸し暑いと言っていいだろう。同じ山の中で、これほどまでに環境が変化することなどありうるのだろうか。

 生い茂る植物や木は馴染みのないものばかりだった。毒々しい色の花が所々に咲いている。果実らしきものをぶらさげている枝もあった。まるで、テレビの秘境探検番組を見ているかのようだ。

 雨の降り方も違っていた。刺すように冷たかった雨粒が、今は優しく、柔らかい。

 しかしながら、細かい雨が霧のようにけぶり、よりいっそう視界が利かなくなっていた。しかも日が暮れようとしている。山を下り始めた時は昼過ぎだったのに。

 周囲に視線を巡らせたが、位置を特定するための目印になりそうな特徴のあるものは何も見あたらなかった。さっき滑り落ちたはずの崖すらも、どこにあるのか分からない。

 僕はこれからどうなるのだろう。恐怖がじわじわと胸を締め付けてきた。だが、動きだす気力はなかなか湧かなかった。まいったな、と何回目かに呟いた時、ようやく慎司は立ち上がった。体中が痛んだが、幸い骨折はなさそうだ。

 さて、どうしよう。ここで救助を待つのか、道を探すのか。スマホの電波は一本も立っていない。助けを呼ぶことはできそうになかった。

 ふと気になって腕時計を見た。美里から誕生日のプレゼントとしてもらったものだ。何か硬いものにぶつかって壊れてしまったのだろうか、崖を滑り落ちた頃の時刻を指したまま針は動かなくなっていた。お気に入りだったのに、残念だ。

 スマホの調子もおかしい。時計の表示がせわしなく切り替って、まともに読み取れなかった。コンパスアプリの針も落ち着きなく暴れている。

 こんな状態でむやみに動くのは危険だと分かっていた。ついさっき痛い目を見たばかりでもある。それでも慎司は一歩を踏みだした。

 激しく滑落したせいで、おそらくは一般的な登山ルートを完全に外れている。だとすれば、慎司の現在位置は誰も知らない場所である可能性が高い。そんな所でじっとしていても、救助になんか来てもらえないだろう。そう考えたのだ。

 方角すらも分からない密林の中を亡霊のように歩き回った。何かあてがあるわけではない。ただ、足を止めるのが怖かった。

 幸い、ほとんど起伏はない。山というよりは平地の熱帯雨林のようだった。地図で見た限り、そんな場所はなかったはずなのに。下草に足を取られながらも、慎司は進み続けた。

 やがて、無情に陽は落ちた。

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