第3話 突然の別れ話

 空を見上げると、星の河が夜の黒い空のキャンバスを彩っている。綺麗な光景だ。温泉のお湯を顔にかけて一息つく。


 俺は今、ハーフドルフに向かう途中の山にある温泉に浸かっている。暖かく染み渡るお湯は、今まで体に溜まってきた疲れを汗と一緒に流してくれているように感じる。


 この山は、少し前にルーエンが『ゲベリオン教団』という暗躍していた教団の、ヒュリテという男に連れ去られてしまった事件の時にきたことがあるのだが、温泉があることは知らなかった。


 というか、温泉に浸かれるなんて思っても見なかった。


 ことの発端は、フィオラの採取の依頼に同行するというものだった。もちろん、それも理由の一つではあったのだが、フィオラとヘルナは俺にサプライズを仕掛けていた。店番ご苦労様、ということで。


 確かにあれは疲れた。店番という仕事に手慣れていなかったということもあるが、客ごとに対応を変えていくことの難しさに、俺には向いていないと思う程にはやり通したと思う。もちろん、もう一度頼まれたら断ることはしないが。


「お湯加減はどうですか、ウィルさん」


 岩を隔てた奥からヘルナの落ち着いた声が聞こえてくる。

 

 当初は、同じ空間で入る予定だったようだが、俺が断った。疲れを取りに来ているのに、一緒に入ってしまっては疲れが逆に溜まってしまう。


 一緒に入りたくないといえば嘘になるが、今日の目的は疲れを取ることだと自分に言い聞かせた。


 フィオラもヘルナもその点はあまり気にしていない様子だったから、ちょうどよかった。


「あぁ、ちょうどいい。疲れが取れていく気がするよ」


 よかったです、とクスッと笑うヘルナの声が聞こえてきた。そんなヘルナの様子を考えると、気持ちが高揚してきてしまうから勢いよく首を振る。


「本当に最高ね。今までの疲れが取れていくわぁ」


 フィオラは当初、魔物が出るから俺だけ入れれば良いと思っていたようなのだが、せっかく来たのにもったいないと、俺が周囲に結界を張ることで、安心した様子で温泉に浸かっている。


 ただ、いつもの元気な声ではなく、間延びした口調に、変な想像をしてしまうのを慌てて振り払う。空を見上げて落ち着こう。うん、星が綺麗だ。


 山奥の温泉に友達と一緒に行くことができるなんて、今まで経験したことがない。温泉自体は今まで渡り歩いた世界でも存在していた。傷や疲れを癒すためにつかることもあったが、誰かと一緒に入ったことはない。同じことを同じ空間で共有できるのは素晴らしいことだ。


 というか、友達からお礼と称してサプライズをしてもらった経験がない。


 もともと生まれ育った村も同年代の友達はいない、お年寄りの多い村だった。それから、勇者としてイルディから旅に出るように言われた時からは、魔王を倒すことだけを目的に動いていたから親しく接する友達なんていなかった。


 訪れた村で人々と交流することはあっても、世界を渡り歩いてきて、すぐに別れてしまっている。だからこそ、一つの街で色々な人と交流できる今の生活は俺にとっては新鮮でしかない。


 まだまだ訪れたばかりだ。もっと、ルーエンやフィオラ、ヘルナ——それからもっと色々な人と知り合って、実りある生活を送っていきたい。


 頑張るぞ、と空に拳を突き出し、気持ちも落ち着いたところで改めて、二人にお礼が言いたくなった。


「……二人ともありがとな」


 呟くように言ってしまったのがいけなかったようで、岩の奥からフィオラが顔を覗かせた。


「ウィル何か言った? 小さな声で聞き取れなかったんだけど?」

「…………!?」


 身体にタオルは巻いているが、濡れたタオルが身体に巻きつき、いつもと違って身体の起伏が見えてしまって——。


 鼻から何かが伝うような感覚がしたので慌ててそっぽを向いた。


「お、温泉に連れてきてくれてありがとうって言ったんだ!」


 フィオラの裸を見て鼻血を出したなんて、恥ずかしくて見せられない。気持ちが昂ってしまい大きな声が出てしまった。


 こうなるかもしれないから、空間を分けていたんだ。それなのにフィオラはあまり気にしていない様子で背後から声をかけてきた。


「喜んでくれてよかった。店番をしてる時のウィルってば、見たこともないくらいに疲れている様子だったから、どうにかしたいと思ったのよね。薬で疲れをとってもらおうというのも考えたけど、みんなでこうしてゆっくりするほうがいいと思って、ヘルナと一緒に考えたのよ」


 はい、というヘルナの声もすぐ近くから聞こえたあたりそばに来ているのかもしれない。ますます振り向けなくなってしまう。


「こうして、フィオラやウィルさんと一緒にお出かけできることは、病に伏せていた以前の私にとっては存在しないものでしたから。思い出作りをしたいんですよね」

「ヘルナ?」


 どことなく寂しそうに感じるヘルナの声色に顔を見ようとしたのがいけなかった。タオルを巻いただけの二人が背後に見えてしまい、大量の鼻血をでしてしまい俺は慌てて温泉を出た。



 満点の星空の下、揺れる草の中にひっそりと座って遠くを見つめているヘルナは、中々に幻想的な様子に見える。とはいえ、そんなヘルナのことを眺めにきたわけではない。


 わざと足音を出して近づくと、ヘルナが振り向いた。


「あら、ウィルさん。眠れませんか?」

「いや、そういうわけじゃないんだが」


 夜だからか、寂しそうな表情を浮かべているように感じてしまう。ヘルナに隣に座っていいか尋ね、了承を得た上で隣に腰をかける。


 温泉から出た後は、フィオラ作成の『ゲート』という指定した場所に瞬間的に移動することのできる魔道具ですぐにフィオラのアトリエに帰宅することはできたのだが、せっかくだからのんびりしようと今日は一晩外で過ごすことにしている。


 フィオラは言い出したものの、魔物が出たらどうしようと怯えていたけれど、俺の結界があれば魔物は入ってこないとわかるや、夕食を終えると疲れていた様子ですぐに眠りについていた。


 俺も寝ようかと思ったのだが、温泉でのヘルナの言葉に少し引っ掛かるものを感じていた。思い返すと、街を出発する前も浮かない顔をしていたように思う。


 ふと起き上がると、ヘルナが皆で寝ているところにいなかったので探したところ、少し離れたところで遠くを眺めていたのを発見した。


 その表情から何か、思い悩んでいることがあるように感じてしまう。そういうことじゃないかもしれないが、そういうように俺には見えてしまっている。こういう時は、自分の気持ちを素直に出すことができる。


「……何か、困っていることがあるんじゃないか?」


 俺の問いかけにヘルナは苦笑していた。ただその表情からはやはり寂しさを感じ取ってしまう。少しの間ヘルナは逡巡しているように視線をさまよわせていた。


 俺には言い出しづらいことなのかも知れない。その場合は無理に聞き出そうとは思わない。だが、少しでも俺にできることがあれば力になりたい。


 じっとヘルナのことを見ていると、やがて目が合った。


「今の私があるのは、フィオラとウィルさんのおかげです。それだけは揺るぎないことです。ですが、病気もなくなり生き続けていくことができるようになった私は、ブリーゼ家の令嬢としての道を生きなくてはいけなくなりました」


 ヘルナはアルハイルブルグのブリーゼ家という名家の出身だ。聞いた話では大きな商会を営んでいて、アルハイルブルグから色々な町や村へと物資を運んでいるという。


 以前、ルーエンが受けた依頼もヘルナの商会がハーフドルフに物資を届けに行く依頼と後から知った。


 アルハイルブルグにある商人ギルドを管轄しているのがブリーゼ家だという話だ。


「家は兄が継ぐことになっています。ですが、女の私はブリーゼ家を大きくするために、婚約をする必要があるんです。この先のハーフドルフ辺境伯のご子息——ヘクセルさんと」


 先日ウィルさんにご迷惑をおかけした理由です、とヘルナは苦笑まじりにつぶいやいた。


 ヘクセルといえば、少し前までアルハイルブルグでいちばんの魔法屋を営んでいた。だが、ヘルナの病気を治す一件でフィオラから薬の材料を奪ったこと、権威や金にしか興味がなくなていたことから、俺が再起を図らせる目的で店を破壊した。


 ここでまさか、ヘクセルの名前が出てくるとは思わなかった。もともと、ヘルナには言い寄っていた。店を潰してもまだ懲りていなかったのか。


 というか、今回の件は俺のせいか。俺が店を潰したからその腹いせにヘルナのことを……。


「ウィルさんのせいではありません。私の病気がなければ、もともと縁談は決まっていたことなんです。元の鞘に収まったというのが正しいでしょう」


 俺の表情を見てとった様子で、ヘルナがフォローしてくれた。


 そうか、と呟くが拳に入れる力を弱めることが出来ない。


 ヘルナがじっと見ていたのはハーフドルフの方角だった。そちらを見て、これからのことを思っていたのだろう。これからは俺たちと一緒にはいられなくなる。だからこそ、ずっと寂しそうな表情をしていたのか。


 ……ただ、この事情を俺にはどうにもできない。単純な魔物の討伐や、簡単な困りごとであれば手伝うことができる。


 だが、家のそれも名家の問題を俺にはどうすることもできない。ヘクセル相手であれば倒すことはできるが、そういう問題ではない。


 もっと一緒にいたい。だから結婚しないでまだアルハイルブルグにいてくれ、と言うことは出来るが、そんなことでやめられるような世界ではない。そんな優しい、子供が駄々をこねてどうにかなるような世界ではないのだ。


 俺がドラゴンを倒さなければ、ヘクセルの店を潰さなければ、ヘルナはこんな目に——いや、そもそもここで一緒に温泉に行くことができなかったんだ。


 ヘルナもそのことは認めてくれていた。だが、そのせいでヘルナと離れ離れになってしまう。今までのように一緒にいられなくなってしまう。


「……街を出てしまうのは、近いのか?」

「どうしてウィルさんが泣いてるんですか……でも、近いうちに街を婚約する予定です」


 年齢を重ねれば、婚姻などの事情もある。一生今のような時間が続くわけではないと言う理解はある。人と別れを俺だって経験している。とはいえ、今までの人との関係性は脆弱なものだった。あまり密に過ごしてはいなかったから、イルディの転移を受け入れることに問題はなかった。


 だが、まだまだ短い期間ではあるが、俺としては非常に濃い時間をヘルナ達とは過ごしてきた。そんな中で急に今までいた人と会えなくなってしまうのは……。


「アルハイルブルグからハーフドルフは遠くはありません。会いに行こうと思えばいつでも……」


 会えます、と言うヘルナの声は俺のせいだろう無理にでも泣かないように、嗚咽を堪えるようなものであった。

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