第7話
シザは闘技場の地下駐車場にバイクで乗り入れると、エレベーターで上階に上がった。
闘技場の競技フロアには、整備スタッフの姿があった。
「あれ? シザさん?」
スタンドの所で何か会場全体の打ち合わせをしていたらしいスタッフが、入って来たシザに気付く。
「どうしたんですか?」
彼らは【バビロニアチャンネル】のスタッフでもある。撮影班だ。
「ああ、いえ。ちょっと用事がありまして。皆さんは?」
「僕たちは明後日行われるライブの打ち合わせに……」
思わず内心舌打ちが出た。
あいつ。
ちゃんと調べとけよ。
「フィールドこれから使います?」
「いえ。フィールドは今日は使わないです。照明などの調整とリハだけなので」
「そうですか。邪魔しないのでちょっと降りてもいいですか?」
シザは闘技場常連だ。
特に今季は三か月の謹慎があったため、あと数カ月、鬼のようにポイントを稼がないと現在【アポクリファ・リーグ】ランキングトップの【
その為許可される有限ギリギリの闘技場ポイントはとりあえず取らなければならないので、それでシザが何か闘技場エントリー時の勘を取り戻したくて自主練にやって来たのかな、などとスタッフたちはごく自然に考え、不思議だとは思わなかったようだ。
ちなみにシザは今季、もうこれ以上闘技場エントリーをする気はなかった。
今季は例の事件の際、アレクシス・サルナートには自分たち兄弟は多大な恩を受けた。
彼は思想上の理由から、猛獣殺しを見世物にしている闘技場にはエントリーして来ない。
だからその彼へのリスペクトとして、シザは今季ここからは出動活動だけという、アレクシスと同じ条件で彼と競うつもりだった。
ユラもそれを望んでいると思うから。
「どうぞ。僕たちは今日はスタンドだけですから」
「よかった。ありがとうございます」
――と。
「あれ? ライルさん?」
「おつかれー」
ライル・ガードナーまで現われたので、もう一度スタッフたちが不思議そうな顔になった。
「どうしたんですかお二人で?」
「ああ、いいのいいの。気にしないで。俺たち別に大したことなんもしないから。
こんな時間にお疲れさま~」
スタッフたちに声をかけ、スタンドからフィールドの方へ降りて来る。
「よう」
「あんたね……よう、じゃないですよ。
働いてる人がいるじゃないですか。僕は二人だけで気兼ねなく殴り合えると思って来たんですよ」
「俺だってそのつもりだったよ」
「貴方が無計画に闘技場に来いとか思い付きで言うからこんなことになったじゃないですか面倒臭い」
「無計画で思い付きって当たり前だろあの時激怒してたんだから……どこの世界に激怒してる時に『あ、ちょっと待ってくれる? すいません闘技場二十三時から使えます?』って確認してから『オッケー! ありがとう! ということで闘技場に来いやァコラァッ!』って切れる奴がいんのよ。そんなもん大概勢いだろ」
「迷惑なんですよね本当に貴方のこういう軽率な思い付き」
「んな文句言ったってしょうがねえだろォ。なによ。これから総合公園にでも移動しろっての?」
「いえもうそんな気はゼロです。ここに来るのも鬱陶しかったのにこれから場所変えるとか無理です。それに外で能力は使えませんよ。僕は大丈夫ですが貴方は無理ですもん」
「だよねえ。ここでやるしかないよねどう考えても。まっ、いいんじゃない。向こうは向こう、こっちはこっちで勝手にやろうよ」
「まったく……気を付けてくださいよ。今度こういう時は……」
「十分俺が遅れて来なくて残念だったねえシザ大先生よぉ」
「そうですね。まあ残念です」
「おっ。どうした素直に」
「出掛けにユラとすごくいい感じにイチャついてたので。貴方が十分来なかったら今すぐ帰って続き出来ましたから。本当にそれは……今ガッカリしてます……」
心底悲しそうにシザはため息をついた。
ライルはガリガリと明るい自分の茶髪を掻いた。
期待を裏切らないシザの答えに呆れる。
どんだけ仲いいんだよ。うぜぇカップルだな。
「おいおい……そんなでホント今から殺し合い出来んの?」
「出来ますよ。これでも今、僕わりかし邪魔されたことに本気で怒ってますので」
「ふーん。それは好都合。んじゃ早速やるかぁ」
「そうそう。それでですねライル。ここに来る三分くらいの間に考えてたんですが」
「謝罪の言葉? いいよ。聞いてあげても。殴り合いは絶対やるけど」
「馬鹿言わないでください。貴方に聞かせる謝罪の言葉なんか一つもありませんし、土下座したってもう今日貴方を許す気ゼロですよ」
「じゃーなんだよ」
「考えたんですよね。試合開始で戦ってもほら、僕の能力が発動して一秒で瞬殺して貴方負けちゃうじゃないですか」
「ああ、まあそうだな。お前も一秒でぺしゃんこになって負けちゃうよな」
「あんたです」
「お前だろ」
「まあとにかく一秒で勝負が決まっちゃうなって気付いたんですよね」
「そうだな。俺も今気づいたわ」
「それじゃつまんないなと思ったんですよ。やっぱり後輩に教育的指導するのに一秒で意識不明になられても僕の怖さが伝わらない気がします」
「まあ一秒じゃつまんねえってのは同感だな」
「それでですね。どうですか。試合開始十分後に能力解禁するってのは」
ライルが腕を組む。
「十分間は普通の殴り合いしかダメってこと?」
「ええ。勿論その十分のうちに決着つけられるなら付けてもいいです」
「へぇ~ いいねそれ。十分間は純粋に格闘だけで勝負ってこと?」
「ええ」
「いいよ。乗った! 十分丁度で能力解禁ね?」
「闘技場システムを起動させますよ。僕ここの調整室は知り尽くしてるので。練習で使うこともあるからPDAで動かせるんです」
「いいねぇ! さっすがCEOの息子! 頼りになるぅ~♪」
「任せてください」
今から殴り合う二人は仲良く頷き合う。
シザが調整室のメインコンピューターに繋ぐ間、ライルは闘技場の壁に寄り掛かった。
「んでもなんかそういうの考えるの面白いな。ただお前殴ろうと思ってきちゃったけどそういうルール作りっつうの?」
「まあそうですね。何でもアリだと僕も思っていましたけど。これは別に貴方が嫌ならいいんですけど、どうですか。殺し合うのは無しにしませんか? 僕もさすがにこれ以上ユラを泣かせたくないし……」
「いいよ。確かに俺もあんた殺しても何の得もないし。んじゃ殺すのはナシな。
そのかわり半殺しはいいよね?」
「OKです。殺さなかったら何でもいいですよ」
「よーし。あとは?」
「どうせ戦うんですから負けた方にペナルティとか」
「いいねー! 付けちゃおうか。負けた方ランキング千ポイントマイナスとかにしちゃう?」
準備が整ったらしいシザが上着を脱いでスタンドに置き、戻って来る。
「いいですけど……たった千ポイントマイナスでいいんですか? ライル。
僕のポイントはそんな程度差し引いたって貴方二位にはまだ全然なれませんよ?
ああ、でもそうか。それくらいなら負けても傷が浅いですもんね。
余程自信がないのかな?」
「カッチーン……。
おいシザお前今、なんつった?」
「いえ。いいんですよ。僕は千ポイントマイナスだろうが一万ポイントマイナスだろうが、負けませんから関係ないですし。
でも貴方にとってはあんまり減点率が高いと三位をルシア・ブラガンザに明け渡す恐れもある。貴方が決めていいですよ。セーフティーに百ポイントにしておきましょうか? ライル」
ライルも着込んで来たジャケットを乱暴に脱ぎ捨ててスタンドに放り込む。
「てめー今何つった? 俺が負けるわけねえって言ってんだろ」
「じゃあ掛け金は幾らでも大丈夫ですよね」
シザは優し気に微笑む。無論、仕事用の白々しい笑顔である。
「当たり前だ!」
ライルが怒鳴ると、フィールドで何やら話し込んでる二人、何やってるのかなとチラチラ見ていた撮影スタッフたちがぎょっとした。
「なるほど。【アポクリファ・リーグ】ディフェンディングチャンピオンのシザ様は一万ポイントマイナスなんかしても痛くも痒くもねえってんだな。
よし分かった。負けた方全ポイントマイナスにしろ」
「そうやって自分の首を絞めるの、やめた方がいいですよライル」
「うるせぇ。俺は勝つからおめーの問題だろ。どうすんだ全ポイントマイナスすんのかしねえのかどっちだ」
「僕が負けることは絶対にないので、構いませんよ。残念だなあ。
期待のスーパールーキーがランキング最下位でシーズンフィニッシュなんてことになるとは。本当に短気は損ですよね。
まあいい勉強になりますよ。
怪我もして、最下位にもなって、来シーズンまた謙虚な心で出直して下さい」
ライルは腕に嵌めていた時計も外すとこれは投げずにスタンドの椅子に置いた。
「――なるほどね……。ポイントをどんだけマイナスされようがあんたには痛くないなら、あんま意味ないなあ。
あんたのすっげー嫌がるペナルティにしねえと、必死に勝とうとしてくれないからさ」
「いえ。僕は必死にならなくても貴方には勝てるので」
「うるせぇな。よし分かった。
俺が勝ったらてめーのポイントなんぞ要らねえ。
ユラ・エンデと一回ヤらせろ」
悠然と腕を組んで冷ややかな笑みを浮かべていたシザの表情が、一変する。
「おっ! そうそう! その顔させたかったんだよ。
やっぱシザ大先生はユラ君が効くんだねえ」
ライルは声を出して笑い、喜んだ。
「……貴方今僕の聞き間違いじゃなかったら同僚の最愛の人間に対して『ヤらせろ』とか下劣な言い方しましたか?」
「ん~。したねえ」
「僕は、その手の冗談は嫌いです。もう一度でもユラを侮辱したら、本当にどうなっても知りませんよ」
ライルは平然と笑い続けている。。
「うるせぇな。ヤらせんのかヤらせねえのかどっちだ。言えよ。
お前が負けねえならどっちだっていいだろ」
「ライル! 今の発言取り消して謝罪しなさい‼」
今度は闘技場内にシザの本気の怒声が響いたので、またスタッフたちがぎょっとした。
「嫌なこった。
まあ、俺が勝ったらどうせてめーは一月は病院送りだ。
その間にユラ・エンデは俺の好きにする。
安心しろ。無理に襲ったりするのは俺の流儀じゃねえ。
――側にいれば、向こうが勝手に俺に触れられるのを願うんでな」
シザが片目を細めた。
怒りが身を包み込む。
「ユラが貴方を望むなんてことは、微塵の可能性もないことですよ」
「へぇ。そうかよ。んじゃ断る理由はねえな」
「ユラへの侮辱的な要求は僕は死んだって受け入れません!」
「うるせぇな細けぇことをぐじゃぐじゃと!
取り決めは終わりだ!
さっさと始めようぜ!」
ライルが怒鳴って闘技場のフィールドの真ん中へと歩いて行く。
「ライル! 僕をここまで激怒させた報いは必ず受けさせますよ‼」
シザが闘技場のメインコンピューターと繋いだPDAを起動させる。
ヴォン……、と闘技場の周囲に特殊シールドが展開した。
フロアの照明が落ち、フィールドにライトが付いた。
スタンドにいたスタッフ達が「え? 何かやるの?」「使うの?」とざわつく。
【特殊シールド展開完了。試合開始十秒前】
場内アナウンスが始まる。
これは闘技場のフィールド状態に対して行われる自動アナウンスで、通常の試合ではこれとは別に実況がつく。
「十分だな?」
「カウントが勝手に入るのでご心配なく。
ライル。
忠告しておきますが貴方は十分過ぎる前に僕を打ち倒すしか勝つ方法はありませんよ。
十分経って僕が無事なら――事実上その時点で貴方の負けです。
予告しておいてあげますよ。
――十分後に必ず貴方を瞬殺する。」
「上等だ。俺も予告してやらぁ。
俺の本気の重力波なら、
例えここから一歩も動かなくても俺はお前を脳天から叩き潰せる。
お前の強化能力は連続発動しすぎると体が自滅するらしいな。
法定だと確か連続発動十分限度だったか?
十分後本当に俺を瞬殺しねえと、どの道お前に先はねえからな」
【5】
「え? これなんかのリハなんですか?」
「いや何にも聞いてないんだけど」
【4】
「なんかさっき怒鳴り合ってませんでした?」
「怒鳴ってたよね?」
「いやでもその前笑い合ってなかった?」
「笑い合ってました。楽しそうに話してたもん」
「え。これなんの練習?」
「アリアさんからなんか……【
「いえ。何も聞いてませんけど……」
【3】
「二人ともあんなとこで向き合って何してんですか?」
「さぁ……?」
「ユラ・エンデがどうのこうのってさっき聞こえたような……」
「私も聞こえた」
「え? ユラさんがどうかした?」
「なにこれ?」
【2】
「今から何が始まるの?」
「なんかの練習?」
【1】
「闘技場マッチのなんか?」
「二人でキメラ種狩りでもするのかな……?」
「ああ、その連携とか、トレーニングですか?」
「熱心だなあ。この夜遅くに」
「……トレーニング?」
「……あのー、二人で殴り合ったりしませんよね。なんか向き合って睨み合ってますけど」
「あはは! するわけないだろう。わざわざ同僚同士で闘技場で殴り合いの喧嘩なんてそんな……」
――――【試合開始!】――――
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