「乖離」③
中学で出会った新たな人とも適度な人間関係を形成することが出来るようになった頃には、学校の授業と部活、塾、家での勉強という過酷スケジュールに適応できるようになった。それに適応できたことに素直に喜ぶことが出来ないほどには、周りとの生活の違いがなんとなくではあるが理解できるようになった。普通の中学生をどう定義するのかは分からないが、どう考えても自分はそこに分類されないのだと。ただ、それが悲しいことなのか嬉しいことなのか分からなかった。もしかしたら、じっくり考えれば答えが出る問題であったのかもしれない。しかし、僕の目の前に広がる宿題や親から課された教材の山を見ると、そんな時間が与えられていないことは明白だった。
ただただ、親や塾、学校の言うとおりに勉強に取り組む生活。それに少し不満に思い少々仲の良くなった友達に愚痴をこぼすことはあっても、その生活から逃げることは無かった。その生活しか僕は知らないのだから。唯一、僕には陸上という心をリフレッシュできる時間があったから続けることもできたのだろう。それを思うと少し和真のことを心配に思う。
やはり、僕の時と同様に和真も小学校に入る前から親が課す勉強をやるようになった。始めは勉強とはいえるようなものではなく、幼児教育のような内容だった。その様子を偶々見たことがあったのだが、その記憶自体は僕には無くこんなことを僕もしていたんだろうという気持ちになった。それでも、やはり血が繋がっているからだろうか。和真も飲み込みが早く知識を着実に吸収していき、知らない内には机に向かって勉強していた。それを見て僕もこうやって育てられたんだなという何とも言えない感情に陥った。
和真も勿論のこと僕が陸上をやっていること知っていたのだろう。小学校に入学すると同時に、僕と同じようにスポーツを始めようとしたらしいが、彼には運動神経が無かった。そのためか、結局何もやることはなく、勉強だけが彼の生活の中心となっていた。自分がそうでは無かったため心配していたのだが、生憎話し合えるような時間も無かった。そのため、心の中では心配していながらもそれを伝えられない日々が続いた。和真が生まれたときに感じた兄として彼に接するという意識があれば、このようなことにはならなかったのだろう。そう反省してもこの家庭では、兄として彼を導くことも難しいのかもしれない。
そう少し和真のことを心の中では心配しながらも、周りの環境は僕がそれについてゆっくり考える時間を与えてはくれない。部活は3年の最後の中体連に向けて。勉強では高校受験に向けて。日々の忙しさは徐々に増してきた。それによって、いつの間にか和真のことを気にしている暇は無くなっていった。
結果としては、最後の中体連は県大会どまり。これに関しては勉強に力を入れている状況でこの結果が残せたことは自分としては満足している。さらに、県大会まで進めたことで普段試合を見ることが出来なかった両親も何試合かは見に来てくれたので自分としては嬉しかった。両親がどういう思いで見ていたのかは分からないが。
それで中学での陸上生活は終わった。高校でもやるつもりでいるのでこれで終わりという訳では無いのだが、自然とこぼれる涙があった。それだけ充実した3年間を送れたということだろう。まあ、そう感傷に浸りたくなるのだが、周りはそれを許してくれない。
多くの人にとって初めての受験である、高校受験がやってくるからだ。勿論、それは僕にとっても同じではある。しかし、部活が終わってからは以前から勉強に力を入れていた僕以外にもほとんどのクラスメイトが勉強を頑張らないといけないという雰囲気を感じた。今まで周りのそのような状況を見たことが無かった自分にとっては何でもっと早くから準備しないのだろうと思ったのだが、自分だって親から強制的に勉強をやらされていなければ同じような状態だっただろうと想像して何も言えなくなってしまった。
周りは焦って勉強をしているが彼らよりも早くスタートダッシュを決めた僕にとって志望校に合格することはほぼ確実のように思っていた。それは決して自惚れているわけでは無く、実力テストの結果からや学校や塾の教師、親からもそう言われていた。そのような状況を僕の苦労を知らない奴らが羨ましいと思うのは必然のように感じるが、僕としてみれば今までの苦労がしっかり報われているということに安堵している気持ちのほうが強かった。
数ヶ月後、一応滑り止めの私立高校も受験し、合格を知らされ挑んだ公立高校入試。流石に県内トップの偏差値を誇る高校ということもあって受験者を見渡してもしっかり受験勉強をしてきましたという感じを受け取れた。ただ、それは僕も同様でその独特の雰囲気にのまれることは無かった。
高校入試の後には中学の卒業式。小学校の時には流れなかった涙は、この時は自然と流れた。それは小学校の時よりも周りと密にコミュニケーションを取っていたこともあっただろう。また、小学校の時はそのまま地元の中学に進学するということが決まっているが、高校からはそうではない。各々進みたい進路に向けて歩みだす、本格的な別れの時期でもあり、旅立ちの第一歩である。いつかは再び会えるかもしれないが、それでも離れ離れになることに変わりない。その様子を仲のいい友達に見られていたようだ。
『おい、侑真どうした?おまえ、こういうの泣くタイプなのか。』
『大きな声で言うなよ。僕だって驚いているんだから。』
そう言って周りから見えないように顔を隠す。少しは普通の中学生の中に溶けこめて過ごせたのかなと感じる3年間だった。
数日後、親と見に行く合格発表。その会場には発表時間前に到着することが出来たのだが、周りのそわそわしている様子を不思議に思った。僕ら家族にとって、僕が高校に合格しているというのは決定事項のように思って来ていたのだから。周りとの違いを再認識しているうちに張り出される合格者の受験番号。そこには当たり前かのように僕の受験番号は存在した。心の中では喜びを爆発させていたが、それを横にいる両親に見られたくないのだろう。すました顔で、両親に向かって言った。
『無事受かったよ。』
『そうか、良かったな。』
『まあ、私たちの子だから当然でしょ。』
そう言う両親。周りの受験者とその家族は合否に関係なく泣き叫んだりするなどして感情を表しているというのに。ここだけやけに静かに感じた。それでも、不器用ながらも両親が褒めてくれたことが嬉しかった。
大抵の人々は一旦勉強を辞めて、高校入学までの数少ない休みの中で自由を満喫するだろうが、僕にとってはそのような日々はやって来なかった。むしろ、今までの人生からやってきた方が怖かったので安心できたが。相も変わらず親が選んできた教材をやる日々。ほとんどの人はこの休みが楽しすぎて、高校が始まってほしくないと思っているだろうが、僕にとっては変わり映えのしない毎日を退屈に感じて早く高校が始まってほしいと思った。本当はどうせ家にいるのだから和真と少しでも話せばいいと思うのだが、その考えはこの頃にはあまりなかった。決して兄弟仲が悪いという訳では無いのだが、両者ともに机に向かって勉強しているのが当たり前の生活のため、わざわざ相手の部屋に行って話すということが無かった。今思えばこのときに接している時間を取れれば、和真が苦しむことにもならなかっただろうと思うと後悔してもしきれない。
そうこうしているうちに、あっという間に高校生活が始まった。進学した高校は住んでいるところからは遠く、まず自転車で家から一番近い駅に行き、そこから学校の最寄り駅まで電車で、そこからはバスという慣れていない登下校に疲弊していた。それを考慮してか長年お世話になっていた塾から高校の最寄り駅近くにある所に変更になった。まあ、勉強は今までもやってきたので嫌では無いのだが年齢を重ねるごとに過酷スケジュールに拍車がかかるのはどうにかしていただきたい。中学まではなんとか親よりも早く家に帰ることのできる日の方が多かったというのに、高校に入ってから一週間だが親より遅く帰る日のほうが普通になってしまったのだが。
これがこれからの3年間の普通になっていくのかと高校入学後初の土日に家で落ち込みそうになったが、今までも何とかなっていたからと思考を放棄して目の前の机に広がった参考書等に手を付け始めた。
最初の一週間はほとんど高校の説明と授業のオリエンテーションで終わっていったのだが、それと同時に部活の勧誘も始まった。この高校自体が県内有数の進学校ということもあって、部活に入らない生徒も普通に存在する。そのため、先輩たちの勧誘は必死だった。それに対して、新しくできた友達などは引いていたり、興味を持ったりと様々だったが、一週間とはいえ過酷スケジュールが確定した高校生活にさらに部活をやること自体良くないのではと自分の心の中では思っていた。ただ、そうは思っていようと放課後になると足は勝手に陸上部の方へ進んでいく。今の時期は部活見学期間になっているので、どこを見てもいいのだが。
結局、心の中にあった不安など陸上の練習をしている先輩方を見ていると吹っ飛んで、入部することを決めてしまった。ふと冷静になるとこれによりさらに過酷スケジュールになるというのだが、その現実からは目を逸らすことにした。
そうして本格的に始まる過酷な毎日。それでも、授業内容も中学の時よりも高度化し周りの学力も高いため、授業時間が自分にとって意義のあるものになったのは大きかった。部活に関しても、優しく面白い先輩が多く忙しいながらも充実した高校生活が送れることはほとんど確定したみたいなものだった。ただ、それに対して家族と接している時間が徐々に少なくなっていくことに気づかなかった。両親とはそれでよかったのかもしれない。今までもそうだったから。しかし、和真にとって、兄として何もしてやれていないことを自覚することはできなかった。
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