第18話 3-6 待ちに待ったベンタのデビュー戦 一五八ポンド二分の一

 年が明けてついに待ちに待った連絡が徳川ボクシングジムに入った。

 ベンタのデビュー戦の相手、大田聡の所属する吉川ジムから対戦オファーを受ける連絡が田口に入った。痛めていた右拳が完治して練習が再開できるようになったため、二ヶ月後という日程で調整することで合意した。徳川ジムにとってもその方が都合がよかった。その間にベンタが十七歳になるからだった。向こうにとってはあくまで試合感を失わないための目的で、新人ボクサーのオファーを承諾したのだった。

 その日からベンタと村木の猛特訓が始まった。

 バイト先のリネン工場の人達も大喜びで仕事の調整に協力してくれた。

 そして約二か月後、ついにベンタのデビュー戦の日を迎えた。

 後楽園ホールの会場には、海斗のデビュー戦の時と同様にあのテレビプロデューサーがいた。

 米国に本社を置く世界的スポーツ専門チャンネルのテレビ会社、スパルタンTV日本支社長、マイケル・フォックス・ジュニアだ。プロテストの時に偶然見かけた海斗とベンタが気になり、徳川会長にベンタと海斗をこれからずっと追いかけさせて欲しいという長期撮影の交渉をした人物だった。日本のどのメディアよりも素早い契約だった。それ以来、一か月に一度徳川ジムに撮影クルーを連れて練習風景やインタビューを撮っていくようになった。

 米国(アメリカ)のロスアンジェルスに本社を置く世界的スポーツ専門チャンネルのテレビ会社、スパルタンTV日本支社長のマイケル・フォックス・ジュニアにとって先日の分銅海斗と同じく、今日この日から日本のボクシング界に何かが始まる予感、ベンタのデビュー戦を見届ける最初のメディアになるのだという喜びと、その昔マイク・タイソンを初めて見た時のような衝撃と興奮が呼び起こされた。

 スパルタンTVスタッフの撮影の準備は、今日もすべてにおいて万全だった。

 あとはベンタの入場を待つだけだった。

 スパルタンTV撮影クルーのカメラがリング中央に向けられた。

 放送席には毎度おなじみの赤石アナウンサーがスタンバイOKのサインを出していた。

「さあ、このボクシングの歴史を刻む聖地に、本日注目の選手が登場してきます」

「昨年の高校総体で活躍したフェザー級の尾崎と同日にプロテストの試験を受け、全くの無名ながら相手選手を一ランド、左のボディブロー一発で倒した東弁太一(とうべんたかかず)選手のデビュー戦です」

「ボクシングを始めてまだ二年。なんと十七歳になったばかり」

「後楽園ホール初登場です」

「解説は、おなじみ「リング」日本版編集長のジョー平仲さんです」

「平仲さん、宜しくお願い致します」

 赤石アナウンサーが紹介した。

「宜しくお願いします」

 ジョー平仲がいつもの落ち着いた声で答えた。

「平仲さん、将来が期待される尾崎と階級が違いこそすれ、共に無名ですが先日デビュー戦をKO勝利で飾った分銅海斗選手と同じ徳川ジムの注目の選手がまた一人出てきました」

「そうですね。先日の分銅海斗選手の時もお話ししました通り、取材のために尾崎君のプロテストを見に行った時の話です」

「その日偶然見かけて驚かされた選手が二人いたわけです」

 解説のジョー平仲が続けた。

「尾崎君以外はただの新人テストという事で全く情報がなかったわけなんですが、誰も予想もしていないまだ十六歳の若い二人の少年のような選手が、その日衝撃的なボクシングを見せたんです」

 平仲がまたしてもレポート用紙を見ながら簡単に説明を始めた。

「一人目が先日デビュー戦を鮮やかな一ラウンドKOで勝利を飾ったスーパーライト級の分銅海斗(ぶんどうかいと)選手」

「そしてもう一人が、同じ日にプロテストを受けて、相手選手を左のボディブロー一発でダウンをとったミドル級の東弁太一(とうべんたかかず)選手」

「この二人は中・重量級の選手という事でも突然騒がれだした選手です」

「驚くのは二人ともボクシングを始めてまだ二年の十七歳で、尚且つ、同じ徳川ボクシングジムの所属だってことです」

 平仲がダイヤモンドの原石をもう一つ見つけた、というような口調で話した。

 赤石アナがつなげた。

「関係者に取材しますと、あの日見に来ていた多くのジム関係者の人達が一様に、『とにかくこの二人には驚いた』と言っていました」

「プロテストを見ただけで今までこんなコメントを聞くという事は、過去私の中の記憶ではあまりないと思うのですが?」

 赤石アナが、疑問を投げかけた。

 ジョー平仲がその問いに答えた。

「私の知る限り無かったと思います」

「十五歳からボクシングを始めてまだ二年の浅いキャリアでまだ十七歳」

「若くてこれだけの体格の選手が日本にも登場してきたという点と、大柄でありながらスピードと同時にパンチの強さもあるという点にあると思います」

「過去同じミドル級で日本人初の世界チャンピオンになった天才竹原慎二選手は、日本人離れした体格で新人王や日本チャンピオン、東洋太平洋(OPBF)のタイトルを全て獲っています。特に東弁選手は、ミドル級のオリンピック金メダリストで世界チャンピオンとなった村田諒太選手以来、ようやく登場した衝撃的な選手と云ってもいいと思います」

「今までもいろんな選手を見てきましたが、プロテストのスパーを見ていて「うっ」と唸るような場面は、井上尚弥選手以外いままで有りませんでしたから、分銅海斗選手といい、これだけの素材にこれからもなかなか出会うことはないと思いますね」

 平仲が明快に答えた。

「そうしますと、この東弁選手もやはり徳川ジムの期待というだけの話ではなく、日本のボクシング界が今後注目していく選手という事になりますでしょうか」

 赤石アナウンサーが聞いた。

「ぜひ竹原選手や村田選手のようなスケールの大きな選手になって欲しいと思います」

 平仲のベンタに対する熱い思いが伝わってきた。

「これから一体どこまで成長して強くなるのか、本当に楽しみというほかありません」

 リングアナがマイクを持ち話を始めた。

「ミドル級四回戦、両選手入場です」

「さあ、まずはミドル級注目の選手……」

 赤石アナの言葉に少し力が入った。

「今日がデビュー戦の十七歳」

「東弁太一(とうべんたかかず)選手が入場してきました」

 まずは青コーナーから田口と村木に付き添われて、ベンタが軽くステップを踏むような仕草をしながら、柔らかく両手と体を動かし、ゆっくりとリングに向かって歩いてきた。

 田口と村木は、徳川ジム専用のTシャツを着て首にはタオルをかけ、ベンタを前後で挟んで歩きながら一緒に入場してきた。

 背中に英語表記で、上部に「TOKUGAWA」、真ん中に「M」の大きな字の下に小さく「MATSUDO」、下部に「BOXING GIM」とプリントされていた。

「東弁先輩、がんばれー」

「ベンタ、和歌山から応援に来たぞ!」

 コーチの巻川がバスケットチームの先輩後輩や保護者を引率し、中学の担任だった高橋先生と進路指導だった前田先生が同級生や保護者を引率して応援に駆けつけてくれた。

「先輩、がんばれー」

 どこからか懐かしい和歌山のイントネーションの声援が飛んできた。

「東弁太一選手がリング下にある松ヤニをシューズにつけてリングに上がりました」

「さあ、今日がデビュー戦の十七歳」

「初めて試合用の一〇オンスの黒いグローブを両手に付けて登場です」

 赤石アナウンサーの口調に徐々に力が入ってきた。

「続きましては……」

 ホールで歓声が上がった。

「大田、がんばれー。今日もKOで頼むぞ!」

 声援が飛んだ。

「次は赤コーナー、竹中ジムの大田聡の入場です」

「前回判定勝ちで勝った試合で肩と肘、そして拳を痛めてようやく治ったばかりの復帰戦という事になります」

 赤石アナウンサーがベンタと大田、それぞれの観客席の方を見ながら、

「すでに両選手への応援の声が聞こえています」

 と熱がこもった口調で実況を始めた。

「ねえ、平仲さん、前回分銅選手のデビュー戦の時にもお話ししましたが、この後楽園ホールは、何とも独特な雰囲気があるのが特徴だと思います」

「ええ、なんといっても、リングと観客席が非常に近いというのが特徴ですから、なかなか慣れるまではこの雰囲気に飲まれてしまう選手も多くいると思いますし、まさにこれがボクシングの聖地といわれる由縁の一つだと思いますね」

 リングアナが、わざとタメを作って一呼吸置いた。

「只今より、ミドル級四回戦を行います」

「青コーナー、一五八ポンド二分の一、徳川ジム所属、東弁太一。今日がデビュー戦です」

「赤コーナー、一五九ポンド二分の一、竹中ジム所属、大田聡、戦績は三勝0敗」

「さあ、両選手の紹介が終わりました」

「大田、東弁、両選手がレフェリーを挟んでローブローやバッティングの注意等を受けながらリングの中央で向かい合っております。かたや注目の新人と、アマ出身の対決となります。身長は東弁が一八〇センチで少し大田より高いという感じです」

「さあ、注意が終わり、両選手が青と赤のそれぞれのコーナーに分かれました」

「セコンドがリングの下に降りました。ゴング鳴ります」

「東弁選手が、一〇オンスのグラブに額を付けて、目をつぶっています」

 先ほどまで声援合戦で響いていた声が小さくなり、何か得体のしれないものを見る前の息を飲むような光景がホール全体を包み込み、異様に静まり返った。

「東弁の緊張はどの程度か?」

「果たしてキャリアのある大田にどこまで通用するか?」

「カーン!」

「ゴングが鳴りました!」

 赤石アナが叫んだ。

「ボックス!」

 レフェリーの声がホールに響き渡った。

「試合が始まりました!」

「リング中央まで近づいてお互いにグラブを軽く当てました」

 赤石アナが状況説明をした。

「お互い一発のあるパンチを持っていますからね、不用意には出れませんよ」

 平仲が注意を促した。

「それだけにリードブローの出来具合が重要になってくるかもしれません」

 平仲が視聴者にヒントを解説した。

「バン!」

「おお、大田がいきなり大振りの右ックを出したぁ」

 赤石アナが叫んだ。

「しかし、東弁選手が左のグラブでしっかりガードをしてました。どうですか、平仲さん?」

「東弁選手はデビュー戦とはいえ、しっかりパンチが見えてますよ、落ち着ついてます」

 平仲がベンタの冷静さを評価した。

「さあ、東弁は緊張がほぐれたか?」

「ガードを固めて、相手の動きをしっかり見て、常に動いています。この調子でいいと思います」

 大田選手のガードの隙間を狙って、バンタの左リードパンチが、まるで普通の選手の左ストレートのように伸びて、凄い音を立てながら、当たっていた。 

「バシッ!」

「ちょっと大田が嫌がるそぶりをしましたね?」

 赤石アナウンサーが、見逃さなかった。

「東弁選手のジャブが、結構当たってきましたから、いい勝負になるんじゃないでしょうか?」

「東弁選手の強いパンチが、どこで出てくるか?」

「大田選手も前に出ながら掴まえたいと思っているでしょうが、東弁選手はこのクラスでは珍しいくらい動きが早いですから、攻めにくいと思いますよ」

 大田はあまり足を使わず、べた足から強いパンチを打ってくるファイタータイプだった。

 一方、ベンタの方は、

「キュッキュッ、キュッキュッ」

 ベンタが細かく動いてステップを踏み、シューズの底がリングマットに擦れるたび音が響いた。

 お互い距離をとってジャブを打ち合いが続いた。

 大田の経験やパンチを警戒してベンタが不用意に近づかず、動きながらジャブを出す戦法だった為、特に大きな見せ場は無く、一ラウンド目が終了した。

「平仲さんの採点は、五対五のイーブンです」

 赤石アナウンサーが視聴者に報告した。

 ベンタが青コーナーに戻り、一分間のインターバルに入った。

 ベンタがうがいをし、マッサージを受けながら、田口と村木のアドバイスに頷いていた。

 村木はベンタの耳元で何やらひそひそ話をして、送り出した。

 ブザーが鳴った。

「セコンドアウト」 

 会場にアナウンスが流れた。

「カーン!」

 ゴングが鳴った。

「ボックス!」

 手を交差しながら、レフェリーの掛け声が響いた。

「さあ、二ラウンド目が始まりました!」

 赤石アナウンサーが、少し高揚した声でスタートを告げた。

 徐々にベンタのパンチの強さが勝り始めた。

「キュッキュッ、キュッキュッ」

「バシッ、バシッ!」

 というベンタの放つパンチの音が、ホールに響き始めた。

 二分過ぎ、タイミングを計った大田の強烈な右ストレートがベンタの左顔面を襲った。

「キュッキュッ」

「バシッ!」 

 と同時に、大田の右わき腹に強烈な痛みが走った。

「キュッキュッ、キュッキュッ」

「バシッ、バシッ!」

 次の瞬間、予想出来ないドラマが待っていた。

 大田の脳天に衝撃が走り、意識が朦朧となった。

 しばらくして大田の意識が戻った時、ジムのトレーナーとベンタの声が聴こえてきて、大田は赤コーナーの椅子に座わらされ、肩にはタオルが掛けられていた。


 次の日のスポーツ新聞のプロボクシング欄には次のように試合結果が記されていた。

【今日がデビュー戦の十七歳。ミドル級四回戦注目の新人東弁太一(とうべんたかかず)選手、後楽園ホール初登場。相手はこちらも期待の大田聡選手。初回、中重量級らしい重いジャブの打ち合い。相手のパンチをしっかりパーリングと上体を振ってかわし的を絞らせず。手数では東弁選手が徐々に上回っていた。一回は五対五のイーブン。二回、二分過ぎ、大田が放った右ストレートを頭を左にずらしながら大田の右わき腹に強烈な左のレバーブローが炸裂。大田の動きが一瞬止まった瞬間に眼の覚めるような早くて重いワンツーが顔面にヒットし初めてのダウンを奪う。二分四十秒、今度は右のフェイントから左ボディの連打でガードが下がった瞬間に重い右ストレートが左顔面に炸裂。二度目のダウンを奪ったところで大田の赤コーナーからタオルが投げられベンタのTKO勝ちが宣言された。セコンドの田口と村木が両手を上げてリングに駆け上がった。レフェリーがベンタの右手を高々と持ち上げた。東弁選手が対戦相手の大田のコーナーに行き、一礼をして「ありがとうございました」と挨拶。東弁選手がリングの四方に向かって一礼、その姿を見て観客が大きな拍手をした。セコンドの田口と村木が大喜びで東弁選手にタオルをかけながらリングを下りて退場していった。リングを降りて去っていく東弁選手に向かって、観客が「また観に来るからな!」と興奮気味に次の試合への期待を込めて大きな拍手と声援を贈った。徳川会長が嬉しそうな顔でうなずいた。観客席から応援していた徳川ジムの田上、矢尾板、小島、分銅たちが大喜びですぐに控室に直行した。日本ボクシング界についに登場した、ヘビー級にまで手が届くかもしれない若干十七歳の逸材。日本の中重量級に現れた、村田諒太選手以来の怪物のような新人のデビュー戦を目撃できた観客の興奮がホール全体を飲み込んでいた。この試合の解説をしていたジョー平仲さんは、「ボクシングを始めてまだ二年。全くの無名ながら期待の中重量級の新人ボクサーが見事なKO勝ちでデビュー戦を飾った。前評判通りの重いパンチは威力抜群だった。ジム同門の分銅海斗選手と共に今後が非常に楽しみだ」【観戦談】


 徳川ジムの同期生、分銅海斗(ぶんどうかいと)と東弁太一(とうべんたかかず)。

 この奇跡のように出会った二人の十七歳が、この数年先にとてつもない事を成し遂げるボクサーになることをまだ誰ひとり知る由もなかった。

 

 徳川ジムの同期生、分銅海斗(ぶんどうかいと)と東弁太一(とうべんたかかず)。

 この奇跡のように出会った二人の十七歳が、この数年先にとてつもない事を成し遂げるボクサーになることをまだ誰ひとり知る由もなかった。

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「ベンタ」ープロボクシング青春小説ー 詩人 野﨑博之(のさきひろし) @BENTA_20250315

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