影4


私は自分の仕事に疲れ果てていた。

世界の最先端の技術を誇る総合研究所に勤務しているのに、やってい

るのはただのゲシュタポのような仕事で一日中追いかけられていた。

異分子の排除という名のもとに首を切るという唾棄すべき仕事ばかり

だった。


でも、レイチェル様の恩義に応えなければならない。

それは私が生きている代償だ。

もし、あのまま孤児院で過ごしていたら間違いなく臓器を全て売り飛

ばして最後は人工臓器のメンテナンスの料金を支払えず死んでいたに違

いない。

こうして、生きているのは誰のお陰か。

しかし、私の心に大きな変化が訪れた。


二十五年間、私はこの総合研究所の所長として多くの成果を上げてい

た。

自ら発案した自動歩行脚は一般向けよりさらに高度で危険な作業をす

る消防士、警官などレスキュー隊に圧倒的な支持を受けた。

どんな歩行困難な状況でもコンピュータが自動的に状況を判断し、帰

還できるこの人工脚は莫大な利益を上げていた。

そして、私は後任にこの所長職を譲り今度は広報部の取締部長として

就任していた。


世界中にある販売所等の統括管理をする業務だった。

その年は、広報部長として二年目の年だった。

イギリスの片田舎の小さな販売と修理をしている会社の視察の後、い

つものように、田舎の街をぶらぶらと探索していた。

長い間の研究職とは違い、世界を見て回る仕事の一つの楽しみだった。


私は、もう一つの楽しみを見つけていた。

それはイギリスの片田舎の孤児院の訪問だった。

その日は、いつもどんよりとしているバーミンガムの街が不思議と輝

いていた。

通常、孤児院は国の施設、修道院の施設そして個人に施設に分かれて

いる。


その施設はそのどれにも当てはまらなかった。

表札にはギネス孤児院と書かれていた。

ギネスは有名なアイルランドのビールの名だ。

そんな名前を冠した孤児院など聞いた事が無かった。

まるで酒場のようではないか。


小さなドアには「いつでも、誰でも、私たちは貴方を歓迎します」と

の小さな文字が書かれていた。

私は、そっとその扉を開けた。

それが、私と愛するパティとの扉だった。

驚く事に、その建物の内部は普通の家だった。

それは施設というより民宿のような印象を持った。


こぼれる日差しが窓から差し込む部屋で、私はここを運営している リールという中年の女性に会った。

アイリシュ独特の聞きにくい発音だったが、なんとか理解はした。

その時は私が大会社の役職にいるようには見えないように安物の靴と

灰色の薄いジャンバーという出で立ちだった。


「リールさん、いや、リィールさんですね。それではこの施設というか この仕事を運営されておられるのは貴方と貴方の妹さんだけなんですね」

「そうです、エリックさんと言われましたね。私たちはもうここで五〇 年以上この仕事をしております。簡単に言いますと、孤児院ですが。正 確には違います」


「違うとは、どういう意味でしょうか?」

私はかなり興味を持った。

ここで、私は自分も実は孤児院の出身である事、現在の役職を話した。

驚く彼女に身分証明と、最後の切り札の一万ドルの寄付金が書かれた

小切手を渡した。


それも無記名だ。彼女がそれを個人で使おうが、この施設に使おうが

自由意志に任せるという意味だ。


無論、彼女の品性からそれを個人で使うとは思えないのだが、人は金

にはとても弱い。

私も金でレイチェル様に買われたようなものだ。

少し沈黙があり、彼女はためらいながら、話を始めた。


いわゆる普通の孤児院ではなく、犯罪者の子供を預かっているという

のだ。それもかなり酷い重大な犯罪者の子供たちだ。

何百人も殺したテロリスト、自分の家族全員と隣近所の家族全員を火

炎放射器で惨殺した女。


数十人をレイプし続けていた私立高校校長など、多分いや絶対に一生

牢獄から出てこられない凶悪犯罪者の子供を預かっているのだ。

勿論、この街の住人は知らない。


それは政府機関でさえ極わずかな人が知っている施設だった。

国の機関の孤児院でその子供の親が誰かが発覚した場合には、大事件

になる恐れが多分にあるからだ。

さらに、この施設に国の援助金は出せない。


それは会計報告からこの施設の存在が世間に知れてしまうからだ。

万が一に、この場所が知れると被害者たちの報復とメディアの報道の

嵐が待っている。


年に一回程度だが政府高官の数人だけがこっそり訪れるらしい。

「では、この事は必ず内密にお願いします。貴方の真摯な態度に私は心

から信頼を致しております。この小切手の宛名の名前はギネス孤児院と

お書き下さい」


私は深い感銘を受けていた。これでこの小切手は支払いが確定した。

自分の孤児院時代はよくても両親の事故、悪くても捨てられた孤児た

ちだった。

それに比べてここの子供たちは、なんと大きな負の代償を背負ってい

るのか。


大人になった彼らは、自分の認識番号を入力する度に、自分の出生が

他の人に知れるのではないかとの恐怖に脅えるに違いない。

その時、誰かがドアをコツコツと叩く小さな音が鳴った。


私の目の前に現れたのは彼女の妹さんでやはり中年の女性に手を引か

れて、はみかみながらじっと私の目を見る当時三歳のパティだった。

その時の衝撃は、まだ忘れない。その薄いブルーの瞳からの光が私を

貫いた気がした。

多分、私の人生は何かを探す為に生まれて来たと考えてきたこの頃

だった。


それが50歳に近づいて来ている今この瞬間に遭遇した。

人生を賭けるもの、それはかなり漠然とした夢のような物だった。

そのような物には、一生巡り会えないかも知れないとも考えていた。

しかし、この少女をこの醜い現実の世界から助ける為だけに、私はこ

の世に存在していると瞬間的に確信した。


後は、思ったより簡単に進んだ。

それから四回の訪問の後に、私はたった四万ドルの寄付と引き換えに

最終同意書までこぎ着けた。


ここで大きな問題は二つある。レイチェル様のご意向とこの子のDNA認識番号の

改ざんだ。

総合研究所の所長時代は秘書が三人いた。 それを広報の役員になった時に一人にしてもらった。 その一人がアンドロイドだ。

私の行動は全てレイチェル様に筒抜けのはずだ。 この最終同意書にサインの時、私はアンドロイドの KRT323 号通称名ケイティに心配しながら質問した。


「ケイティ、あの方はこの件についてご存知なのかい?」

「あの方? はい、勿論でございます。マクガイヤー様」

「で、なんと?」

「はい、私はただ全てのデータをレイチ......いえあの方にご報告してい

るだけです。この件についてのコメントはいっさいございませんでした。

マクガイヤー様」


データ・オブ・アイディンティ 「あ、一つだけ。ご息女になられるお譲様の D O I を求められました。


私は勝手ながら先月お譲様のお飲みになったジュースの紙コップを、

あの方へお送り致しました。マクガイヤー様」


「DOIだって、なぜそんなものが必要なんだろう、ケイティ、なぜ必

要と思う?」

「私は知る立場ではありませんし、失礼ですが、質問者よりご返答者が

上級になる立場の場合は、それに答える義務は存在しません。ご存知の

ようにこの場合はご返答者があの方です、マクガイヤー様」


「ああ、私が愚かだった。すまん」

「謝るご必要はございません。この場合、上位の方は下位の者にはこの

ような些細な事で謝る必要もありません、マクガイヤー様」

かなり頑固なアンドロイドだが、私の目を気にしながら話す人間の秘

書よりよほど気が楽だ。


この時にはレイチェル様の最悪の汚らしい陰謀を見つけるより、この

少女を私の元に置ける方が何倍も何十倍も心を支配していた。

そして、最終合意書にサインをした私は一週間後のクリスマスイブに

迎えがくるように手配した。


通常はその場で一緒に連れて帰る。

だが、受け入れる前に私はワシントンDCにある屋敷の中の全てにお

いて、この少女の為にできる限りをしてあげたかった。


部屋の飾り付けから食器、衣服さらに学校の用意と、頑固だが有能な

ケイティの意見を聞きながら。


あっという間にクリスマスイブが来た。

そして、ついにその天使がやって来た。

だが、もう一つの難関である生体認識番号の改ざん、これは簡単にで

きるとは思えないが、しかし必ずしなければならなかった。

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