影3
シカゴにあるThree Leaves社の総合研究所に向かったのは、その二 日後
だった。私専用のジェットヘリに乗り込んだ時は、気持ちは戦場に赴く
一兵卒だった。
しかし、そのヘリの中で私を待ち受ける二人の私専用の第一、第二秘
書と総合研究所の財務担当、人事担当、さらに庶務担当の各部長が、一
兵卒の気分を吹き飛ばした。
まず簡単に第一秘書のミッシェルが各部長を紹介した。そして言った。
「所長、ここにこの一ヶ月の間に発見された異分子のリストがあります。
その言動、メール、監視カメラからの表情等の記録です。心理鑑定を付
記しております。勿論、家庭のある者はその家族からの極秘に得た情報、
または恋人や友人からの情報も記載されています。第一級異分子から
第五級まで分類してございます。特に、今回は清掃部員と仕入れ担当の
言動が目立ちます。ご処分の決済をお願いします」
「ご、ごめん。ちょっと、待ってくれないか。その異分子って何のこと
なんだい。それに処分って。私はまず、最新の研究データが見たいので
すが、それも来年発売予定の聴覚部位の三点様式についてです。
通常の左右頭部の聴覚以外にもう一つ増やすと人間の聴覚処理が二倍
以上になるという我社の画期的なシステムについてです。これは以前よ
り私がとても興味がありました。しかし超極秘な内部資料の為私には
今まで見ることのできなかった データなんです。これは見せて頂けますか?」
五人のスタッフは皆、互いの顔を見て驚いていた。
やっと、ミッシェルが言った。
「申し訳ございません。今すぐに、総合研究所の開発部の部長に連絡を
致しまして三分以内にお見せできるように致します。それと、あの、そ
の間に少しお話したい事がございます。申し訳ございませんが、
この奥にある個室に来ていただけますでしょうか?」
私はミッシェルに促されて、奥にある小さな(と言ってもダブルのベッ ドが
楽に入るくらいの大きさだが)部屋に通された。
彼女は話しにくそうだったが、意を決して話し始めた。簡単にいうと
こういう事だった。私の仕事は研究職ではない、しなければならない仕
事は異分子と呼ばれる会社に対する反体制の人物を色々な情報から見つ
け出して報告する。
つまり、次の役員会議で解雇者予定の報告の為の資料を集めるのが仕
事だと。薄々だが、私はあの異常な魔女狩りのような役員会議はこのよ
うな状況が下地になっているのを納得した。
もとの席に戻ると、手元には来年発売予定の三点聴覚部位の資料が置
かれていた。私は手に取り内容を理解しようとしたが、頭の中はこの信
じられない現実で混乱を極めていた。
ミッシェルが、最後に小部屋から出て行く時に私に言った言葉がこれ
だった。
「エリック様、貴方は上級役員ですので同じ上級役員以外のこの会社の
社員全員に解雇を行使する権利を持っておられます。勿論、私を含めて
です。それを常にお忘れで無く」
研究所についた日から、私を待っていた仕事は異分子の情報の洪水 だった。
嫌でもレイチェル様のご機嫌を損なう訳にはいかなかった。
慣れとは恐ろしいものだ、私もここに来て六年が過ぎていた。例えば
こんな事もある。
入社15年目の実力のある課長クラスの研究員が実験中に呟いた一言
が問題になった。彼はただこう言っただけだ
「なかなか面白いデータが出ているな、こいつを他社に売れば何千ドル
になるかもな」
と、部下に言った軽い冗談だった。勿論、私はこれを無視した、彼は
ただのジョークを言っただけだ。
しかし、ここの研究所だけでも1,600名以上は勤務している。
さらにもう一つ基礎研究所がありそこには上級役員が不在だ。
そこから送り込まれてくる異分子情報と合わせると毎日数百件にのぼ
る。だが、まだこの異分子情報の処理の仕事はましだった。一番嫌にな
る仕事は、会長の持論の「飴と鞭」という方法だった。
つまり第五級異分子と決定された者の首切りだ。一方的な解雇は、社
会的に問題が多いし、その個人にも負担が多いという勝手な企業の理屈
で全て自己退社の形をとっている。
そこで、用いられるのが「飴」といわれるものだった。この日は、開
発部に所属する資材調達部員だった。日頃の言動も多少問題があったが、
一番大きな言ってはいけない禁句を仕事中に話した事だった。
「なあ、毎週月曜日の訓示の時間で出てくるここの会長のレイチェルっ
ていうばあさんは一体幾つになったんだい。最近はコンピュータ画像処
理が良くなったから、かなり修正をしているんだろうけど、あれはどう
見ても90歳は越えているだろう」
だがその時、まだレイチェル様は八十九歳だった。
冗談でも最悪の一言だった。
まず、「飴」を与える、そして「鞭」だ。私は上級役員専用のコンピュー タを立ち上げた。そしてFTC(フォーザチーム会社の為)というとん でもない名前のプログラムをロードしてこの社員のデータを入れた。二 分後、その処分方法が画面に出てきた。
要は、自分から退社を望むようにすればよい訳だ。一番簡単なのは、
犯罪を起こさせればよい。それが簡単な軽犯罪ならそれがベストである。
私は幾つかの所へ電話をした。そして結果を待った。
三日後の午後5時30分。その社員は、私の所長室でうな垂れて座っていた。
「貴方が、ミューラー・トーマスさんですか」
「はい」
「私は、この総合研究所の所長のエリック・マクガイヤーです」
「はい、存知ております。この度の事は本当に魔がさしたというか単な
る意志の疎通のミスなんです。本当です、信じて下さい、マクガイヤー
様、お願いです」
「勿論、我々はミューラーさんを信じていますよ。じゃあどうしてワイ
ロを受け取ったのですか? 説明して頂けますか?」
彼からの話は聞く必要など全くなかったが、一応私の仕事として充分
に時間をさいて聞いた。それは、彼への最後の礼儀だと思っている。
自分の生い立ちから始まり、現在の仕事に誇りと自信を持っている事、
過去に資材調達部門で三回も欠品ゼロ月間があり表彰された事など、家
族はまだ十代の息子が二人いて、勿論彼らもこの会社に就職したがって
いるなど、延々と二時間は話した。
私は時々、合の手を入れながら、あくびをこらえるのに苦労していた。
そして、やっと彼は自分の趣味について話し始めた。
「ええ、この会社の給料には充分に満足をしています。ええ、私と同じ
年齢の友人達と比べても遜色が無いというか、いやそれ以上に、多分い
やきっと多い給料は頂いております。
でも、私が今とても興味を持っているのが、昔のキップという物です。
きっと、ミスター・マクガイヤーさんもご存知だと思うのですが、昔の
乗り物にはキップという小さな紙キレを、使用していたんです。見たこ
とありますか? もう、それは、可愛い物です。こんな小さな紙に乗車
者の権利や座席表示が見事に書かれているのです。
是非今度、お見せしますよ。発行日付からその移動場所、有効期限、
発行所在など。今では、誰もが持っている一枚のプラステックカードで
全ての乗り物の決済ができるよりましたので、それは前世紀の遺物なん
です」
勿論、我々は彼の趣味は完璧に理解していた。そして、彼は大多数の
アメリカ人が熱狂する野球の大リーグのファンだ。
彼が何としても欲しがる物も当然知っていた。それは、2029年の
テキサスのチームが球団創立九十九年目に優勝した最終試合のチケット
付きのキップだ。そのキップはテキサスの石油王が金に糸目をつけず買
い込んでおりその存在はその写真を唯一ネットで見ることしかできない
物だった。
我々は、その本物そっくりのキップを作成した。
本物である必要はどこにも無かった。ただ、それを彼が受け取る瞬間
を社内の隠しカメラで録画すれば全ては完了だった。
「いや、あの時は私、本当に心臓が止まるかと思いました。あの幻の
キップが目の前にあるのですから。いつもの配達人の太っちょジョンの冗談
だと思いました。 そんな、たかが三流の試薬検査装置の納入業者が、
あの数千万ドルはするキップを持っているなんてね。でも、持っていたんです。
いや本当に驚きました。で、彼はそれが本物かどうかを聞いたんです。
私は言ってはなんですが、この道20年以上のベテランですからね。で、 あの、取り合えず預かってから、連絡をすると言ったんですよ。これは 決して賄賂ではありません。ただ質問に正確に応えるべく、いったん預かっただけです。それが証 拠に、この業者への発注は増えていません。ね、でしょ。間違いがわかっ て頂けました?」
「はい、よくわかりました。しかし、当社の社員規則五十八条第二項は ご存知ですよね、ミューラーさん。一応読みますね、いいですか。
いかなる社員も勤務時間中に当社社員以外からの物品、金品又はそれ
に類する物の全ての物の授与、売買を禁止する。
万が一それが発覚した場合は、それは当社への重大な違反行為になり、
解雇の対象に処すべきであるとなっています」
「勿論、知っていますよ。これは賄賂ではないです。そう、これは鑑定
です。そうです、私は依頼されただけです。決して貰った訳でもないし、
まして何かの見返りを約束した訳でもありませんよ。ね、これは......」
「ミューラーさん、残念です。とても残念です。ここに貴方が社内で納
入業者にある物を受け取ったとされる証拠の映像があります。すでにこ
れは、3つにコピーされています。一つは本社の人事管理統括部へ、も
う一つが会長のレイチェル様へ、そして私宛にもここに有ります。お分
かりですか、私には今日の午後五時に自動的に送られる他の二つを止め
る事は不可能なんです。力になれなくて申し訳ありません......」
「では、私は社内規則違反により懲戒免職、つまり首ですか......」
「はい、残念ですが、そうです」
「どうしようも無いのですか。お願いです、どうか助けて下さい。そう だ、ミスター・マクガイヤーさんは、会長さんととても懇意にしている というじゃあないですか。お願いしますよ。私には妻もいるし、まだま だ手にかかる子供が二人もいるんです......」
「残念です」
「そこを、なんとか......」
「ただ、」
「ただ、何ですか。何かあるのですか?」
彼は、食い入るような目で私を見つめた。いつもの事だ。できるだけ
時間を掛けて、私はゆっくりと十を数えた。そして、大きなため息を一
つついてよく聞こえるように、二度と同じ事を言わない意志を付けてこ
う言った。
「ただ、もし、ミューラーさんが、今日、今ここで辞職願いを書かれる
のなら、本社の人事管理統括部と会長に録画された映像が届く前に、そ
れらは廃棄されるでしょう。なぜなら、届く頃にはもう貴方は社員では
無いからです。そしてその大きな利点は、お解りのように解雇ではなく
自主退社ですので、退職金も通常通り満額で取得し、さらに次の就職も
何の不都合もないと、私には思われます」
迷える状況ではなかった。瞬時に即答した。
「わかりました。書きます、いや書かせて下さい。ミスター・マクガイ
ヤーさん、本当にありがとうございます。この事は私、一生恩にきます。
ありがとうございます」
結果はわかっていた。簡単な数式より絶対にこうなる結果はわかって
いた。これはむしろ結果を先に作ってから数式を考えたようなものだった。
人は弱い生き物だ、そんな事はわかっている。破棄されると彼に言っ たが、そんなにこの会社は甘くはない。この映像記録がある限り彼は どの会社に就職しようが、Three Leaves社の言いなりになるしかない。
重要な情報源として世に送り出される。もし、競合他社に彼が入社すれ ば、これほど忠誠心の高いスパイはいないだろう。
私が唯一彼にできる のは、私の手元にある映像は破棄し、他の二つは意図的に解像度を落と す程度だ。これで、彼を今後脅すのはほんの少しだが困難になるだろう。
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