第5話
朝露を光らせる芝生の上をひろしが飛び跳ねながら駆けてきた。相変わらず、どこかで日光浴をしていた女性から剝ぎ取ったのであろう白いブラジャーを咥えている。
俺はそのブラジャーに目を凝らした。この頃酷くなってきた老眼でよく見えないが、端に何かぶら下っている。ブラだから、ではない。確かに何かぶら下っている。
俺は思わずニヤリと片頬を上げた。その俺の表情に気付いたからか、突然、ピーターパン風の緑の服を着た烏帽子の西洋人が背中の刀を抜いて斬りかかってきた。俺は横に飛んでそれを躱すと、細いランニングコースの上を転んで横断し、そこに駆けてつけたひろしの口からブラジャーを奪った。いや、ブラジャーではない。ブラジャーの形をしたガンホルダーだ。そこからサイレンサー付きのベレッタを引き抜いた俺は、両断されたベンチの前で振り返り様に日本刀を振り上げた男の眉間を撃ち抜いた。男の烏帽子が朝陽に照らされながら宙を舞い、男は割れたベンチと共に植木の中に倒れ込む。
俺は衆人環視から逃れるようにしてスムーズに銃をブラ型のホルダーに戻すと、それを上着の中に隠した。ズボンの裾を叩いて埃を落としながら立ち上がり、近くでキョトンとした顔をこちらに向けたまま屈んでいる子どもの頭を撫でてから、ひろしと共にその場を去る。
組織も考えたものだ。ひろしの破廉恥な特性を逆に利用したのだ。ひろしがすり寄っていった日光浴中の若い女は、きっと組織の工作員だろう。ひろしが女性の下着なら迷いなく咥えて持ち去るだろうと踏み、ガンホルダーをブラジャーに偽装してわざとひろしに奪わせたに違いない。おそらくそれは、以前、身に付けていた下着をひろしに強奪された二号の発案だろう。俺がベレッタ好みだと知っているのは武器調達を任務としている彼女だからだ。
指令は実行した。だが、このどう見てもブラジャーにしか見えないガンホルダーを俺はどうすればいいのか。どうやら、暗殺実行後のことまでは考えていなかったらしい。まさか、これを着用するわけにもいかないし……。
俺は素知らぬ顔で身を丸め、スーツの上着の中でブラジャー型ガンホルダーと銃を抱えながら、ひろしを連れてその公園を後にした。
それにしても、この時期はこうした任務が続くはずだ。この繁忙期にハッキングを仕掛けてくるとは。敵は俺たちの組織がこの時期に慌ただしく動いていることを知っているからなのではないか。だとすると、やはり内部の人間がかかわっている可能性が高い。だが、どうして一号はそれを簡単に否定したのか……。
「おっと、すみません」
俺は若い男と肩をぶつけた。男はそのはずみでズレたカツラの角度を整えてから黙して一礼する。
鷹野爪仁丹馬瀬雄――通称「鷹仁」。別名『ダジャレ殺しの鷹』だ。その長い本名はどこまでが苗字でどこまでが名前なのか分からないが、高貴な家の出身らしい。この組織内で唯一コードネームを当てられていない男だ。
レベル評価の対象外とされており、その結果、号級の称号も使われてない。その理由は簡単である。彼の暗殺方法が不明だからだ。発見されたターゲットの遺体はどれも大口を開け、涙を流した痕跡を残したまま発見される。凄まじい拷問の末に殺したのではないかと、組織の内部規則違反を疑われたこともあったが、どうやらそうでないらしい。どの遺体も笑い顔で硬直しているのだ。組織ビルの中でも寡黙な男で有名だが、たまに声を聞いた時にはダジャレを言っている。だから、ダジャレで笑わせて、呼吸困難にさせて殺しているのでは、という噂だ。
その謎のベールに包まれた男がここにやってきた。なぜ。
ダジャレ殺しの鷹は小声でほぞりと言った。
「お疲れ様です。ターゲットが分かったーけっど、お知らせしましょか、どうしましょ」
「いや、分かったなら知らせてくれ」
「お耳拝借ハイジャック、お口チャックよ、ヌンチャっク」
彼はその場でヌンチャクを振り回し始めた。危ない。
俺が身を反らして彼のヌンチャクデモンストレーションから離れようとした時、足下にガンホルダーが落ちた。近くを歩いていた出勤中の若い女が、俺の革靴の上に載っているブラジャー(型のガンホルダーなのだが、見た目は只のブラジャー)を見て悲鳴を上げた。向こうの方でさらに悲鳴があがる。ひろしが若い女を追い掛け回していた。
俺はその隙にダジャレ殺しの鷹の襟首をつかんで引き寄せると声を殺して怒鳴った。
「いいから早く教えろ!」
ターゲットの名前を聞いてからブラジャー(型ガンホルダー)を拾った俺は、脱兎のごとく駆けてその場から去った。もう、ひろしのことなど忘れていた。
コンビニのトイレに駆け込み、中でワイシャツの上からガンホルダーを装着した俺は、ベレッタから弾倉を引き抜いて弾丸の装填を確かめた。それを銃底に戻し、ズシリと重い拳銃を脇に挿しながら、さっき聞いたターゲットの名を反芻する。
一号。それが、鷹が伝えた名前だった。
歯を食いしばり、俺は上着の釦を留めた。
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