第44話 「変わる2人」

 悠斗と恋人になってから、数日が経った。


 毎日のように顔を合わせていた悠斗との距離が、今まで以上に近くなったのは確かだった。

 話すことも、笑い合うことも、変わらないはずなのに、ふとした拍子に胸がぎゅっとなる。


 (私、ちゃんと彼の“彼女”になれてるのかしら……)


 放課後、前一緒にいた時間の余韻がまだ残る帰り道。

 ふと、そんな思いが心に浮かんでいた。


 悠斗は自然体だった。今までと変わらず、気さくで、温かくて、私のペースにも合わせてくれる。

 なのに——私だけが、時々ついていけないような感覚になる。


 (もっと、ちゃんと返せたらいいのに)


 言葉の選び方も、表情の作り方も、どこか不器用で、自分の気持ちをうまく伝えられない。

 恋人という立場になった途端、今までよりも自分の不完全さ、不器用さが気になるようになった。


 (こんな私で、悠斗は本当に……)


 帰り道、公園の前を通ったときだった。


「……透華?」


 聞き慣れた声に、私は足を止めた。


 振り返ると、ベンチに座っていたのは光華さんだった。

 制服姿のまま、文庫本を開いていた彼女は、ページから顔を上げて私を見ていた。


「光華さん……」


「こんなところで会うなんて、珍しいわね。帰り?」


「ええ。少し……歩いてて」


 光華さんは、隣のベンチを軽く叩いた。「座る?」と一言。


 私はためらいながらも頷いて、隣に腰を下ろした。

 風が少し冷たかったけれど、夕暮れの空は、どこか優しい色をしていた。


 しばらく、二人で黙っていた。


 それでも不思議と気まずくはなかった。


「……光華さんは、昔の私のほうが好きだったかもしれないわね」


 ふいに、そんな言葉が私の口をついて出た。

 光華さんはまゆをひそめる。


「……どうして?」


「前は、完璧で、何にも揺るがなかったから」


 光華は少しだけ目を細めて、私を見た。


「そうね。確かに、昔のあなたは……完璧に見えた。誰にも媚びず、孤高で、強くて……」


「でも、今の私は違うわ。恋をして、揺れて、こんなふうに——不安になってる」


 口にしてから、後悔しそうになった。


 だけど、光華さんはゆっくりと首を横に振った。


「私は……今のあなたのほうが、ずっと綺麗だと思う」


 静かなその言葉に、心が震えた。


「強がってたあなたも好きだった。でも、今のあなたは、ちゃんと感情を見せてくれる。人に頼ったり、笑ったり、戸惑ったり……それって、すごく素敵なことよ」


「……」


 私は、自分の手を見つめる。


 指がかすかに震えていた。感情が、胸の奥から込み上げてくる。


「……ありがとう」


 小さく、でもはっきりとそう言った。


 光華さんは、それだけで満足そうに微笑んだ。


「ねえ、透華。風間くんのこと、好き?」


 不意に投げかけられたその言葉に、私は驚いた。


 でも、頷くのに迷いはなかった。


「……うん。大好き」


「なら、大丈夫。あなたが不安になる必要なんて、何もないわ」


 光華さんの声は、穏やかだった。


 かつて、“茨姫”である私を守ろうとした彼女の声とは、まるで違っていた。


「光華さん……変わったのね」


 そう私が言うと彼女は柔らかく、でも強く微笑んだ。


「そうかもね。でも、それはあなたのおかげよ」


 私はもう一度、小さく笑った。


 少しだけ、自分を好きになれた気がした。


 “茨姫”だった私も、今の私も、どちらも嘘じゃない。


 でも——


 今のほうが、ずっと本当の私だと思える。


「じゃあ、私……もう少し、頑張ってみる」


「うん。応援してるわ」


 夕焼けに染まる空の下で、私たちはしばらく、静かに同じ方向を見つめていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る