第36話 「呼び出し」
放課後の駅前。
夕方に差しかかる時間、空気は少し涼しくなっていた。
スマホをポケットから取り出して、画面を確認する。
着信履歴はない。けれど、通知がひとつ。
三条光華『少し、話せないかしら?』
まさか、また連絡が来るとは思っていなかった。
でも俺は、断る理由もなかった。
『いいですよ』
『また前のカフェで』
——そうして今、俺はカフェのドアをくぐる。
席についていた光華は、相変わらず姿勢がいい。
制服のリボンの結び目も完璧で、たぶん適当に選んだであろうこの場所でも、周囲から自然と一目置かれているのがわかる。
だけど今日の彼女はどこか、前より柔らかい。
「久しぶりね、風間くん」
「……なんか、もうちょっとこう、強めの第一声が来ると思ってた」
「ふふ。失礼ね。それ、私のイメージ?」
軽く笑ってコーヒーに口をつける仕草は、以前よりずっと自然だった。
なんとなく、前のときより“人間らしい”気がした。
「で、話って?」
「あら、警戒しなくてもいいのよ。あなたを問い詰めるつもりはないわ」
「……それが一番こえーんだって」
光華は笑った。
“ふふ”という声が、いつもより素直に響いた。
「最近、透華とはどう?」
「……それが本題?」
「ええ。気になったのよ」
本当に“ただそれだけ”みたいに、さらっと言うから逆に拍子抜けする。
「まあ……それなりに仲良くやってる。本人も言ってると思うけど、少しずつ友達っぽくなってきた感じ」
「そう。ちゃんと笑うようになったものね、あの子」
光華はそう言って、窓の外に視線をやった。
「……正直、最初はあなたのこと、敵だと思ってたわ」
「そっちは俺も同じですよ」
「でもね……今はちょっと違う」
「どう違うんですか」
「たまたま前あなた達二人を見かけたの。透華が誰かと一緒に笑ってるのを見て……悪くなかった」
光華の言葉は穏やかだった。
そこに対抗心や独占欲みたいなものは感じなかった。
ただ——どこか、遠くを見ているような声音だった。
「……最初は、私が彼女を守るつもりだったのよ」
「“茨姫”のままでいさせる、ってやつか」
「ええ。それが、透華の幸せだと信じてた。でもそれって、本当は私の理想だったのね」
光華はふっと笑った。
「勝手に期待して、勝手に絶望して、勝手に守ろうとして……今思えば、滑稽だったわ」
俺は思わず言った。
「それ、今の言い方で済ませられるのすごいと思う」
「昔の私なら、絶対に言えなかったわよ。でも……透華も、あなたも、少しずつ私を変えてくれたのかもね」
言いながら、光華はカップを傾ける。
その横顔が、ふとやわらかく見えた。
“美しい”とか“整っている”とか、そういう意味じゃなくて。
なんというか、人として“親しみ”が生まれる感じ。
「……あんた、そういう顔もするんだな」
俺の言葉に、光華が小さく目を丸くした。
「どういう意味かしら、それ」
「いや、褒めてる。たぶん」
「多分って何よ」
光華は少し困ったように笑って、テーブルに視線を落とした。
少しの間、沈黙が流れる。
それを俺が崩す。
「じゃあ今度、俺にも何か期待してくれよ」
「期待しないわ。あなたには裏切られる未来しか見えないもの」
え、えええ。そんなストレートに言うか普通。
「それ、言い切る?」
「ふふ。でも、面白い人間だとは思ってる」
「それって褒めてます?」
「そうね。悪い意味じゃないわよ」
コーヒーを飲み干し、光華が立ち上がる。
レジへ向かうその背中が、前よりずっと軽くなったような気がした。
そのまま、振り返らずに言う。
「透華があなたに惹かれた理由、少しわかった気がするわ」
「マジか。……それ、今の俺、ちょっとカッコよかったりする?」
光華は振り返って、少しだけ笑った。
「ふふ。五十点ね」
「採点厳しいな……」
そうぼやく俺に、光華はひとつだけ言葉を残して去っていく。
「じゃあ、透華の隣。ちゃんと守ってあげてね」
ドアのベルが鳴る。
その音が消えて、カフェにまた静けさが戻る。
俺はそのままベンチに腰を戻し、空のコーヒーカップを見つめた。
(……そんな顔、するんだな)
あいつのあんな笑顔を見たのは、初めてだったかもしれない。
不思議な回だったけど、たぶん、必要な時間だった。
俺は深く息をついて、スマホを取り出した。
『今の時間、空いてる?』
送信先は——もちろん、あいつだ。
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