第34話 「時々触れて近づいて」
週明けの昼下がり。
放課後に待ち合わせて透華と歩いていた俺は、ふと近くの川沿いの並木道に足を向けた。
「……なんで、こんなとこに?」
隣で歩いていた透華が、俺の背中に問いを投げた。
「たまにはこっち、歩いてみるのもアリだろ。静かでいいし」
「……ふうん。まぁ、悪くないけど」
口ではそっけないことを言いつつも、透華は文句ひとつ言わずに俺の少し後ろをついてくる。
道沿いにはちょっとした階段があって、下に降りると石畳の遊歩道になっていた。
「ここ、滑りやすいから気をつけろよ」
「わかってるわ」
そう言って、透華が階段を下りようとしたとき——
「あっ」
つるっ、と足を滑らせかける。
「うわっ、危なっ……!」
「っ——」
とっさに俺が手を伸ばし、透華の手首を掴んだ。その瞬間、時間が止まったみたいだった。
透華の肌は冷たくもあたたかくて、柔らかくて、でも細くて。
掴んだ俺の手のひらが、じんわりと汗ばんでくるのがわかった。
「ご、ごめん!」
慌てて手を離す。透華は少しだけ目を見開いたまま、何も言わずにこっちを見ていた。
「大丈夫か……?」
「……ええ、なんとか」
顔は俯き気味。
でも、その横顔がほんのり赤く染まっているのを俺は見逃さなかった。
「びっくりした……透華、運動できるイメージだったけどな」
「普段は、できるのよ。でも、こういう“油断してるとき”ってのが一番危ないの」
「へえ、珍しく透華にも“油断”って言葉があるんだな」
「……あるに決まってるでしょ」
照れ隠し気味にそっぽを向く。俺はそれを見ながら、ちょっとだけ笑った。
それからも2人並んで歩く遊歩道。
時折、透華の肩が俺の腕に当たりそうになって、でもすぐ離れる。
その距離が妙に意識されて、なんだかドキドキする。
「さっきさ」
「なに?」
「手、掴んだとき……嫌じゃなかった?」
「……どうしてそんなこと、聞くの?」
「いや、なんか、嫌だったら申し訳ないなって」
「……」
「いきなり男に触られるのは嫌ってこともあるだろ?」
沈黙が落ちる。けど、それは不穏な空気じゃなかった。
「……別に。嫌ではなかったわよ」
「ほんと?」
「本当。……むしろ、ちょっとびっくりしただけ」
そう言って、透華は少しだけ前を向いたまま、口角を上げた。
「あなた、意外と……頼りになるのね」
「えっ、それ褒めてんの?」
「……そう取っておきなさい」
そのあと、またしばらく黙って歩いた。でも、それは心地よい沈黙だった。
川沿いの並木道を抜け、駅に向かう帰り道。
途中で寄ったコンビニで、それぞれ飲み物を買って、ベンチに腰掛ける。
「なんか、あれだな」
「なに?」
「最近、こうして歩いてると“普通に友達してる”って感じがしてくるわ」
「……」
透華は、缶コーヒーのプルタブを指でいじりながら、小さく頷いた。
「私も、少しだけそう思うようになったわ」
「そう思うように?」
「……前は、あなたといると、自分じゃないみたいな感覚があった。でも、最近は……自分で自分を許してるというか。……よくわからないけど」
俺は少し黙って、それから笑った。
「いいんじゃね? よくわかんないままでも」
「……え?」
「それってつまり、変わり始めてるってことだろ?」
「……ふふっ、そういうもの?」
「そういうもんだよ」
透華が俺の顔をじっと見つめて、ふっと笑った。
その笑顔は、作り物じゃなかった。
風が吹いて、透華の髪が揺れる。
顔にかかったその一筋を、思わず手で払おうとして——指先がほんの少しだけ、彼女の頬に触れた。
「っ……!」
一瞬、お互いに息を呑む。
「……ご、ごめん!」
「っ……な、なんで謝るのよ!」
「いや、触っちゃったから!」
「……もう。バカね、あなた」
顔を赤くしながらも、透華はそれ以上怒ることもなく、目をそらした。
だけど、その耳の先までほんのり赤くなっていたのを、俺は見てしまった。
「……なあ、透華」
「なに?」
「たまには、こういう“仕掛け”もアリだな」
「……仕掛け?」
「透華の反応が、面白いからさ」
俺がニヤニヤしてると透華はおもむろにはぁ……とため息を吐いて、
「……言ってなさい。今に後悔させてあげるわ」
そう言いながらも、透華は口元に小さく笑みを浮かべていた。
今、この距離が心地いい。
だけど——きっとそのうち、この距離じゃ物足りなくなる日が来る。
そんな気がしていた。
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