第27話 甘木響子と北見郁人

《20年前/高校2年の夏 郁人と響子》


なあ、響子。

宣誓、何を言うか決めたんだけどさ。

響子が賛成してくれたら嬉しいんだけど……。


集会室に新しく入れられた緑色のソファに北見郁人がごろりと寝転がる。

両手を広げると、学校一の美人の甘木響子が飛び込んできた。


「鍵閉めた?」

「閉めた」


ふふっと二人で笑い合う。


「私の賛成が必要?」

「当然」

「何を言うつもり?」


郁人が顔を寄せ、ささやくように耳打ちすると、響子は目を見開いて真っ赤になった。


「え、本気?」

「本気!」


せっかく二人で宣誓するんだから、これしかないだろ。


「開学以来の神童がする宣誓がそれ?」 


響子が喜びを隠しきれない顔で見つめる。

郁人は黙って微笑む。


響子は、


「最高!!郁人くん、大好き!」


と、郁人に抱きつきながら、キスをした。




*  *  *



《現在》


神楽は部屋の電気を消し、スタンドのライトの下で台本を読んでいた。


今日も甘木さんは来なかった。


甘木さんは、来る日は午前中のうちに連絡をくれる。今日も連絡がなかったから、来るわけないと分かっていても……「ごめんね」なんて言いながらふいに現れたりしないかと期待していた。


台本の読み合わせに付き合って欲しかったんだけどな。


甘木に『未来を見据えて』の劇と宣誓の話をしたら「転入早々投票で選ばれるなんて、すごいね」と言われて、誇らしかった。


神楽は台本に目を落とす。

一行目のセリフを言うのはオレだ。


『生まれたとき、僕の前には、沢山の道があった。どこへだって行ける気がした』


吉井は、このセリフを「明るく希望に満ちた声でね!山に行ってヤッホーって叫ぶときをイメージして!」と言っていた。

後から知ったことだが、吉井は中学の頃、演劇部の部長をしていたらしい。道理で配役にしろ進行にしろ、スムーズな筈だ。


「生まれたとき、僕の前には……」


実際に口に出してみる。そして、吉井に言われたように椅子から立ち上がり、少し声を張ってみる。


「僕の前には、沢山の道があった。どこへだって……」


神楽は胸に急に苦しくなってくるのを感じた。


この家での一人暮らしが決まった頃は、自由に歩いていける気がしていたんだ。

それなのに、どうだろう。

金のために頭を下げ、叩かれないように息をひそめるだけの生活をしている。


父さえ来なければ!


最初、この家には甘木しか来なかった。

甘木が来て、家電の使い方や、ごみ出しのルールを教えてくれた。


何度目かの時に、一緒に父が来た。

甘木が作った料理を三人で食べて、学校の話をし、そのまま父と甘木は帰った。


その後は、父は一人でも来るようになった。


神楽は台本を持ったまま、椅子に腰を落とした。目を細めてライトを見つめる。


オレに未来なんかあるのか。


輝く未来なんて、結局恵まれた場所に生まれた恵まれた人間にしか手に入れられないものなんじゃないのか。……例えば、北見のような。


生まれる場所を間違ったら、どんなに努力したって脱出できないんじゃないのか。


いや、過去に流されるな。

人を信じて、味方をつくって戦うと決めたんだ。


甘木さんに話してみようか……。


柔らかな甘木の笑顔が脳裏に浮かぶ。


甘木さんは、いつも美味しい料理を作ってくれるし、学校で困ったことがあればなんでも相談に乗ってくれる。

絶対に否定しないし、いつも励ましてくれる。


でも、甘木さんは、父の恋人だ。

見ないふりをしてきたけど、甘木さんはどこまで知っているんだろう。


父がオレに金銭的に厳しい制限をかけていること。

北見涼だったことを隠すよう命じていること。

少しでもしくじると制裁を加えられること。


神楽は小さなあざの残る指をかばうように握った。


知らないのか、知っていて黙っているのか。

黙りながら動いているのか、動けないのか。


これまで、父や北見の話題は避けてきた。

自分にとっては悪魔のように見えても、甘木さんにとっては大切な人なのかもしれないから。

甘木さんを悲しませるようなことは言いたくなかった。


甘木さんは信頼できる大人だ。でも、誰にだって事情はある。

話したところで、父の味方なのかもしれない。すべて筒抜けになってしまうかもしれない。話すか話さないか。それは、もし話してその結果利用されても納得できるかどうか、だ。


オレは……。


スマホが、机の隅で光って震えた。


甘木さんだ!


慌てて電話を取ると「今、家にいる? XX屋のうな重たくさん貰っちゃって食べきれないの。持っていってもいい?」と聞かれた。


甘木さんに会える!


勢いこんで、「います、います!!」と言うと、「オッケイ。じゃ15分後」と、電話が切れた。


甘木さんと……父の話をしてみようか。

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