第28話 三人で並んで歩いたあの日

甘木さんが来てくれる!


神楽は部屋の電気をつけ、脱ぎ散らかしてあった服を慌てて洗濯機に突っ込んだ。コンビニで買ったパンを紙袋に入れて隠す。リビングを見回し、床に落ちていたごみを捨て、クッションをソファに戻す。

今更とはいえ、ちゃんと暮らしていると思われたい。


父のことは、どう切り出せば…。

迷っているうちに、すぐに時間が経つ。


15分後。

再びスマホが鳴った。甘木が玄関前についた合図だ。


ドアを開けると、仕事帰りなのか、パンツスーツを着た甘木がにこにこしながら手にうな重を持って立っていた。


「はい、どうぞ。男の子だから2個食べられるかな。今日明日中くらいね」


神楽はずっしりと重いうな重を受け取り、靴箱の上に置く。


「甘木さんは食べていかない?」


誘うと、甘木は困ったように笑った。


「私も一緒に食べたかったけど、今日はもう遅いから、これで。劇、頑張ってね」


そう言って玄関に入らずそのまま帰ろうとする。


ーーまさか、もう来てもらえないんじゃ。


「待って!!」


神楽は甘木の腕を掴んで引き留めた。


甘木は目を丸くしている。

自分はひどく必死な顔をしているのかもしれない。


「あの……えと、甘木さん、次、いつ来れる? オレ」


オレ、甘木さんに話したいことがある、と喉元まで出かかって止める。


「オレ、家事手伝ってほしくて……」


甘木は、神楽の緊張を和らげるように微笑んだ。

そっと神楽の手を外すと、バッグからスマホを取り出した。


「そうね、予定を決めておいたほうがいいね」


甘木は予定を開く。


「来週の水曜の夕方、どう? ちょうど市場に行く予定があるから、贅沢夕ご飯作ってあげる! 掃除もためておいていいよ。水曜なら大体来られると思うけど…」


「じゃあ、毎週水曜! 料理以外はできるだけ頑張っておくから」


神楽は咳き込むように言う。次の約束を取れてほっとした。

しばらくは甘木さんに甘えたい。

父のことは、やはり言えなかった。話せるタイミングで少しずつ話していけたらいいと思う。



*  *  *



ばたん、と背後で家のドアが閉まる音がした。


階段を下り、小道を通って甘木響子は車に戻った。スマホを取り出し予定を入力する。予定表には、北見郁人の予定も入力されている。


毎週水曜の夜、郁人が討論番組で「北見先生」として時事ニュースを解説している姿を思い浮かべる。

終日時間を取られるから、家でトラブルが起こることはない。水曜は北見の家にいなくても大丈夫。

でもそれ以外は、玲のそばにいたい。ーー絶対に。


学校を休んだ涼の家を訪れたあの日。

「部屋掃除しにきて」と、突然郁人に呼び出された。

家に行くと郁人はおらず、ただ玄関に学校に行っているはずの玲の靴が残っているのが気にかかった。


家にあがってみると、玲がベッドに寝かされていた。


全身の血が逆流した。


白い顔。

掛布団の上に出されたアザのある手首。

水浸しの床には、空のペットボトルが転がっていた。濡れた服。


どうして……自分の子にこんなこと。


気がついたら、玲の肩を抱いていた。気がついた玲が溺れかけた人のようにしがみついてきて、子供のように震えながら涙を流していた……。


玲を守ると決めたのに。どうして私は目を離してしまったのか。

玲を守る。涼くんも守る。二人とも、必ず。


小さかった玲と涼と手を繋いで歩いた長野の田んぼ道。

オレンジに光る山の稜線。

一緒に蛍を見た水辺。カエルの声に交じるせせらぎの音。


忘れてはいない。

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