第3話 白くて細い綺麗な指

席替え。

北見は、「A6」と書かれたクジをちらっと見て、教室の窓際、一番後ろの席に目を向けた。まだ隣に誰もいない。


「一番前最悪」

「ラッキー!ドア横!」 

「神楽の隣行きてぇ」


荷物を持ってがやがやと席を移動するクラスメイトに混じり、北見も移動する。

北見がA6に座ると、すぐにB6の紙を持ったクラスメイトがやってきた。


「あ、北見くんだ。宜しく」


神楽!


人懐っこい笑顔に、一瞬、うわっと気圧される。

女子にとっては最高、オレにとっては悪運極まれり。


「えー!神楽くん、北見くんの隣なの?」

「やだ、神席誕生」


ーーうるせぇ。そんなことより。


堂々と英語でスピーチした神楽が、どれほどできるのか気になって仕方ない。

神楽が来てから勉強時間が増えた。次の期末で学年トップに戻れなかったら……。


父の顔が頭に浮かんで、心臓がきゅっと縮まる。


「どうも」


それだけ言って、顔を背ける。

別に、神楽にだけそっけないわけじゃない。誰も気にしないだろう。


「ほら、もう授業始めるから静かに」


担任が声をかけると、すっと教室が静かになった。

教科書を広げる音や、ノートをめくる音だけが聞こえる。


「きたみ!」


突然、神楽が小さな声で話しかけてきた。

北見が顔を向けると、愛嬌のある笑顔で頼み事をしてくる。


「シャー芯ある? 一本欲しい」


「あ、ああ」


ケースから出して二本渡す。


「サンキュ!」


神楽は、消しゴムを抜いてシャー芯を入れ、カチカチとノックしている。

器用そうな白くて細い指で、そういえば女子が「神楽くん、手が綺麗!」と言っていたことを思い出す。


数学の授業が始まった。

頬杖をついて黒板を写していると、隣の神楽もノートを取っている。


確かに手が綺麗だ。

多分、人を殴ったことも、殴られそうになるのを必死に防いだこともない、手。


黒板を書く音が続いている。


「じゃ、次の問題、北見! 北見?」


ーーあ。


考え事をしていて、タイミングが遅れた。

返事をしようとした途端、


「あ、は、はい!」


ガタン、と乱暴な音を立てて神楽が立ち上がった。先生もクラスメイトも驚いて神楽に注目する。


呼ばれたのは、オレ。神楽じゃない。


先生は「え、まあ神楽でもいいけど……」と面食らっている。クラスはどっと笑いに包まれた。


「北見くんのこと考えてて、返事しちゃったの?」

「呼ばれたの北見くんだよー」

「これ以上好感度上げようとすんなよ!」


「あ……」


神楽は笑われて真っ赤になっている。


「そうなんです。北見のこと考えてて間違えました。すみません!!」


神楽が堂々と言うと、クラスメイトたちが笑う。

北見はイラッとした。


ーーは? ボケッとして間違えただけのくせに。オレを巻き込むな。


「当てたのは北見だから、北見やれ!」と、先生。


「あーすんません。やります」


北見は無表情で立ち上がる。クラスの温かな雰囲気が気持ち悪い。


ちょっとしたミスを笑ってもらえるなんて、いいポジションに収まったな。

きっと本気でミスったって許して貰える。


教室中が神楽に温かい視線を向けている。

無言で黒板に向かう途中、友人、佐藤の声が後ろから響いた。


「北見がやるそーでーす!」


佐藤の明るい声援に、教室は再び楽し気にざわめく。また静かに戻っていく。


くだらねぇ。


北見はチョークを黒板に向ける。

けれど、意識は後ろから見ている筈の神楽に向かっていた。


コイツより上にいなければ。


脳裏にまた父の顔が浮かぶ。

背筋がぞくりと冷える。黒板に向かった手のシャツの袖口から、黄色くなった手首のあざがのぞく。


白い粉のついた指先が、わずかに震えた。

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