第十話:風詠みの旅と信仰の光

 翌朝、アイリーンがクララの部屋を訪ねた。

「昨日はさ、色々ありすぎて言えなかったけど、これを」

 差し出された手には銀色のコンパクトミラーがあった。円形の鏡の蓋には女神マリテの姿が彫られており、内側には小さな鏡と何かを収納する空間がある。

「これは……?」

 クララが尋ねると、アイリーンの茶色の目に憂いが帯びる。

「これはね、『祈りの鏡』。届けたい相手を思い浮かべながら、手紙をこの窪みに置いて、祈ると同じコンパクトの持ち主のもとへ届けてくれるの。教会から、祈りの日の報酬としてもらったのよ」

 アイリーンがポケットをまさぐると、同じコンパクトが出てきた。

「『女神様、どうかクララにこの手紙を届け給え』。……ほら、クララのコンパクトにメモがあるでしょう。いわばコンパクト転送装置ね」

 アイリーンのコンパクトが一瞬光り、中に入っていたメモが消える。

 クララが手元のコンパクトを開けると、メモが転送されていた。そのメモの文面に驚く。


『あたしは旅に行けない。祈りの日もあるし、教会の動きをここで監視する必要があるでしょう。どうかお元気で。ルーネの街からあなたの旅の無事を祈っているわ』


「そんな、私はてっきり旅についていくものとばかり……」

「いーから。あたしは修道院の首席よ? このあたしが長い旅なんて院長が許さないわ」

 クララはアイリーンの手を掴み、「ありがとう、お元気で」と呟いた。



 ルーネの朝は静かに訪れる。泥酔し、道に横たわる酔っ払いや、行商人がキャラバンの出店準備をしている。その様子を尻目にクララは、修道院長の怪訝な表情を思い出した。

「ユルゲンに帰るついでに周辺の村々を見て回る? 期間は未定ということですが、村の教会に着いたらわたくし宛てに手紙を送りなさい。そして勉強や祈りの鍛錬も怠らないこと。いいですね?」


 門の前で風詠みのメンバーがクララに手を振り、迎える。

「来たカ」

「お待たせしました。私は風詠みのやいばさんに護衛をしてもらうていで、院長に許しを得ました」

「それでいいわ。ラッセルはどうやって抜け出したの?」

 ラッセルに視線が集まる。彼は頭を掻いて照れている。

「わたしは『風詠みの刃として、クララさんの護衛』と伝えましたよ? 院長はため息をついてらっしゃいましたが」

 ガルドがラッセルの背中をバンバン叩いた。

「ガッハッハッ! 不良修道士がそんな理由で長期休暇なんざ、取れんだろう? なにをしたか、正直に答えろ」

 ラッセルは視線を逸らし、小さな声で呟く。

「……最終的には脱走ですかね。まぁ、書き置きは置いてますし、院長には事前に伝えたので大丈夫かと」

 大丈夫ではないだろう。戻ったら追放もしくは破門もあり得る。

 クララは自分のせいで、ラッセルが危険な橋を渡っているのではないかと、心配になった。

「……私のせいでしょうか? ラッセルさんがもし修道院を出ることになれば、私もお手伝いします!」

 鼻息荒く提案するも、当の本人は「キュン!」と鳴き、ヘラヘラしている。

「ラッセル、クララは心配していル。その態度は、よくなイ」

 レオに頭をはたかれ、リリスに肘で小突かれる。ラッセルはようやく反省し、クララに向き直った。

「すみません、クララさん。でも何度か経験がありますし、破門されても構わない覚悟でここにいるんです。心配はご無用ですよ」

 その言葉に不安を覚えたが、今は自分のすべきことに集中することにした。


「やぁ、ご一行さん。ボクも混ぜてくれないかな?」

 声のする方を見るとリアンが黒ずくめで立っていた。

「殿下もついて来るのですか? お仕事とかは……?」

 驚くクララに駆け寄り手を掴むリアン。素早く二人に割って入るリリス。やはり信用されていないのだろう。

「仕事はなんとかなるさ。書き置きもしてきた。『ボクは旅に出るよー。あとはよろしく!』ってね。大丈夫、何度もあるから側近がなんとかしてくれるさ!」

 不良がもう一人加わった。この旅でクララが得られるものがあるのだろうか。



 陽は上り、てっぺんまで来た頃、長い尻尾をユラユラ揺らす猫耳の村に一行はたどり着いた。猫獣人の姿は幅広く、頭から足まで二足歩行の猫の者もいれば、人間の姿に猫の耳や尻尾をつけた者まで多種多様だ。

「クララ、ここはニャルティの村ダ。……ケモノ臭いが、我慢しロ」

 レオが鼻を鳴らしながら、腰に手を当てる。

「街で見かけた猫獣人さんですね。臭いは……特に気になりませんが」

「レオは臭いに敏感なんですよ。特に猫のニオイはお気に召さないみたいだね」

 ラッセルはクララの肩に手を置いた。

「ああ、見てくださいっ。あのモフモフ。毛並みがキレイで、しなやかな……」

 クララはニャルティに夢中だ。その隙にラッセルの手を払い、リアンがラッセルと目線で争っている。


「キミ、修道士だよね? 確か貞淑であれと教わるはずだけれど?」

「いえいえ殿下。わたしは〝不良〟ですから。その限りではございません」

「同じ修行中の身だろう? 修道士でなくとも男なら、女性の肩にやすやすと触るのは如何なものかなぁ?」

 バチバチと火花が散っている。レオたちは呆れてため息をついた。


「だ、誰かー! ルーファスが怪我を負って動けない! 村まで運んでくれ!」

 その声の方を見ると、防具をまとったニャルティがいた。一行はルーファスのいる場所まで案内してもらった。

 鬱蒼とした森の中にすでに息絶えたビッグボアと、ニャルティの戦士が倒れている。

「……ミャルク、なんだこいつらは?」

「傷は深い、喋るなルーファス!」

 ルーファスと呼ばれた戦士の腹は深手を負い、腕からも血が流れていた。痛さと衝撃で立つこともままならないのだろう。

 すかさずクララが祈りを唱え、傷を治そうと試みる。が、腹の傷は深すぎたのか、治らない。

「人間? しかも僧侶の祈りが俺に効いた……?」

 驚くニャルティたちにラッセルが説明する。

「わたしたち、冒険者は他種族でも祈りが届くのを経験上知っています。ですが、教会での治療はユマン種に限っています。ニャルティさん達が驚くのも無理はありません」

 ラッセルは続けて言う。

「ビッグボアはわたしたち風詠みの刃が運びますので、ルーファスさんには自力で歩いてもらわなければなりません。『女神マリテよ、風の加護をルーファスに! 軽やかに強くなれ』! ……これである程度歩けるはずです。村に着いたらわたしが改めて治療しましょう」

 詠唱を唱えるとルーファスの体に風と光が渦巻く。光の粒が消えるとルーファスは立てるまでになっていた。


 ミャルクに支えられながらルーファスは歩き、村に着く。

「ありがとう、教会の人間もいいヤツがいるんだな……いててっ」

 クララに礼を言うと、身体強化の祈りが消えたのか痛がるニャルティの戦士。体を支え、その場に寝かせてラッセルたちを待った。

「ああ、この本の通りなら、ニャルティもマリテ様の祈りの魔法が使えるかもね」

 リアンが本をめくり、戦士の頭を撫でる。猫頭のルーファスは苦しそうな顔を少し緩めた。


 ビッグボアを集会所まで預けたラッセルはルーファスのもとへ駆け寄った。

「獲物は集会所の方で預かってもらってます。他のメンバーはそこに待機中です。では、『女神マリテよ、ルーファスの傷を癒やし給え』!」

 そう唱えると光の粒が戦士の傷を重点的に集まり、癒やした。クララはそれを見て、「そうやって効率的に癒やすのですね」と呟いた。


「すげぇ! もう痛くもなんともねぇや! アンタ、すごいんだな!」

 ラッセルは褒められて調子に乗る。

「ね? 風詠みの刃のリーダーですから! もっと褒めてくれてもいいんですよー!」

 感心してたリアンはため息をつく。

「Cランクのリーダーならもっと謙遜したら? AランクやSランクでもあるまいし」

「でもやっぱりラッセルさんは頼りになるんですね! 私も見習わなくっちゃ」

 クララの言葉に鼻高々になるラッセル。ニャルティたちと王子は乾いた笑いが止まらなかった。


 クララは羊皮紙の切れ端にアイリーン宛の手紙を書いた。ニャルティの村に着いたこと、戦士の傷を少しだけ癒せたこと。なんだかんだ言ってもラッセルは頼りになること。

 羊皮紙をコンパクトに挟むと、祈り、転送した。

「これでアイリーンに届くといいな」


 風詠みのメンバーと落ち合い、ニャルティの村長の相談に乗っていた。

「この度はルーファスをお救いくださり、ありがとうございます。この村には治療が出来るものがおりませんので、大変助かりました。あなたがたのお力を見込んで、病に倒れた老女の治療をお願いしたいと思います。引き受けてくれますかな?」

 クララたちは顔を見合わせ、頷く。

「快く引き受けましょう。早速、案内を頼めますか?」


 小さな家屋に入ると、ゼエゼエと呼吸する音が聞こえる。時折、咳き込み、苦しそうに唸っていた。

「ばあちゃん、お水飲める?」

 猫耳の小さな子どもが、老婆のそばで看病している。

「ルミャや、顔をよく見せておくれ」

 その様子に苦しそうな表情で一行は見つめている。

「ミャリナばあさんや、旅の方が訪ねてくださったよ」

 村長の声に老女と子どもが振り返った。

「おお、人間の……とエルフに狼、ドワーフまで。どうなされた?」

 咳き込みながらミャリナが対応するとルミャが「大丈夫?」と心配する。

「冒険者パーティ風詠みの刃一行様だよ。この人間の僧侶がミャリナの病を治してくれるんだと」

 老女は目を見開き、首を振る。

「教会の人間かえ? 高い治療費を請求するんじゃろ。村長さんや、やめとくれ」

「ミャリナばあさん、この方たちはそんな人じゃない。ルーファスの怪我も無償で治してくれたんだよ」

「でも……!」

 咳き込むミャリナの手を包み、クララが詠唱を唱える。

「『女神マリテよ、かの者の病を癒やし、全てのものに光を授け給え』」

 詠唱中、クララの額に汗がにじみ、手が震えていた。祈る終わると、柔らかな光が老女を包み、咳が止んだ。耳がピクピク動き、肩を回す。

「この光、マリテの信仰の光かえ……? お嬢さん、ありが――」

 クララはパタリと力尽き、倒れる。

「どうやら力を使いすぎたようですね」

 ラッセルがレオにクララを運ぶよう指示する。家屋を出ようとすると、村人たちがミャリナの家に集まっていた。


「あの光、何だったんだ?」

「おめさんらの仕業か? なんだか力が湧いてきてなぁ!」

 どうやらクララの光は村全体を覆っていたようだった。

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