第9話 裏切りと戸惑い
ラブホテルの前に立ち尽くしたまま、優理香は激しく揺れ動く感情を持て余していた。電飾の光が虚しく瞬く中、胸の奥が焼けるように痛む。
(どうする……?)
二人が出てくるのを待ち、直接問い詰めるべきか。それとも、いっそ下田を連れて中まで追いかけ、現場を押さえるか――
だが、どちらの選択肢も優理香の中で却下された。待って問い詰めたところで、幸樹は言い訳を並べるだけだろう。ホテルの中まで追いかけたところで、女と幸樹が肌を重ねる光景を目の当たりにするだけだ。それを見たら、もう正気でいられる自信がなかった。
(そんなことをして、私が得るものは何? 惨めになるだけじゃない……)
唇を噛みしめ、踵を返そうとしたその時、ふとある考えがよぎった。ここで感情に任せて動くのではなく、冷静に、確実に状況を把握するべきではないか。
「……下田」
すぐ後ろに控えていた男が、すっと身を寄せる。
「このまま二人を見張って、あの女の身元を確認して」
それが最善の方法だった。感情のままに動くのではなく、まずは情報を集める。証拠を握れば、次の一手が見えてくる。
「承知しました」
下田は迷うことなく頷いた。その様子を横目に、優理香はようやくその場を離れる決意を固めた。怒りや悲しみはまだ収まらない。しかし今は、それを表に出す時ではない。
翌日の昼休み、人目を避けるようにして、優理香は下田と社内の空き会議室で落ち合った。
「昨夜の首尾は?」
優理香が問いかけると、下田は迷いなく報告を始めた。
「女の名前は
聞きながら、優理香は昨夜の光景を思い出す。幸樹と芽衣が親しげに微笑み合い、手を重ねていたあの姿。今までもしかしたら、何度もあんな風に過ごしていたのかもしれない……
指先が冷たくなるのを感じながら、優理香は静かに命じた。
「この女について、もっと詳しく調べて。プロの興信所を使ってもいい。あと……幸樹の女関係も全部よ。もちろん、私のことは除いてね。いい、なるべく急いで」
ここまできたら徹底的にやるしかない。何も知らずに騙され続けるのはごめんだ。
「かしこまりました」
下田が静かに頭を下げる。優理香は小さく息をつき、気持ちを切り替えるように席を立った。午後の仕事が待っている。
午後の仕事は幸樹と芽衣のことが頭から離れずに、遅々として進まなかった。同僚から声をかけてもうわの空で、どうしたの体調が悪い? と心配されるほどだった。
そんな中、終業時間が近づく頃、不意にスマホが震えた。仕事中の私的なスマホの利用は禁じられていたが、もう終業の準備に入っていたので、優理香はスマホを取り上げ画面を見た。
『今晩会えないか?』
幸樹からのメッセージだった。
優理香の指が、画面の上で止まる。
(どうすれば……)
幸樹の方は優理香が浮気現場を目撃していたことなど知らない。なので、いつものようにメッセージを送ってきたのだろうが、優理香にとっては最悪のタイミングだった。
苛立ちと戸惑いが入り混じる。何事もなかったように振る舞うのが最善なのか。それとも、探りを入れるべきか。だが、すぐに浮かんだのは、彼に逆らうことへの恐れだった。
嫌われたくない……
その思いが何よりも優先した。悩んだ末に、優理香は短く返信を打った。
『……いいよ』
送信した瞬間、胸の奥がざわめく。
これは、果たして正しい選択なのだろうか……
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