いつかのステージ
和泉茉樹
いつかのステージ
◆
微妙に重苦しい車内には、アイドルグループ「Girls Be Ambitious」のオリジナル曲が流れていた。カーステレオからではなく、ドライバーであるマネージャーの佐伯友子のスマートフォンからだ。今はカーナビ代わりにもなっている。
「あ、ソフトクリーム屋さんだよぉ」
佐伯の言葉になんとなく助手席で前だけを見ていた内田麻理菜はゆっくりと視線を巡らせた。
「ちょっと寄っていこうかぁ」
言いながら、すでに佐伯は車を減速させつつウインカーを点けている。やっと麻理菜も車が何もない山間の道の途中にポツンとあるプレハブの前に設けられた、やたら広い駐車場へ入ろうとしているのがわかった。
車の後部座席には松原菊、大迫心、風間京という三人の女子が載っていて、麻理菜を含めて四人がアイドル事務所I.M.Pの研究生だった。やや窮屈な状態の三人は無言である。
車が駐車場に停まり、「ここは私の奢りだからね」と言ってさっさと佐伯が車を降りていく。仕方なくという感じで四人も後に続き、プレハブ小屋そのままのソフトクリーム屋で、めいめいに注文した。普通のソフトクリームか、イチゴ味か、ミックスかの三種類しか選択肢はなかったが。
「この寒さでソフトクリームとはね」
静かな声で菊が言ったが、誰も何も答えずにソフトクリームを舐めていた。
すでに十一月で、やや標高の高いこのあたりはだいぶ寒い。誰も言葉にはしないが、もっと厚着をしてくればよかったと思っているのは間違いない。
しかし、と麻理菜は周囲を見る。建物はほとんどなくて、道路のアスファルトもかなり傷んでいる。見渡すと山の稜線があって、それは迫ってくるように近く見える。
普段は都市部で生活しているので、まるで別世界だ。
彼女たちがこんな場所にいる理由はつい数時間前まで地方で行われるライブイベントに参加していたからだった。
麻理菜がまったく知らない古戦場らしい場所に特設のステージが設けられ、開催しているのは地元の商工会と地元の放送局だった。参加するアイドルグループは五組で、それぞれの持ち時間は十五分。
審査員がいて賞も与えられるのだけど、最優秀賞に当たる賞が「天下無双のアイドル賞」という名称で、古戦場跡地で行われていることと関連付けられているようだったが、あまり欲しい称号ではないな、と最初から麻理菜は思っていた。ただ、まだ正式なグループ名もない麻理菜たちの立場を考えれば、どんな実績でも欲しいと言えば欲しい。
いずれにせよ、麻理菜たちは「I.M.P研究生」というグループ名で参加して、結果的には賞はもらえなかった。客席は半分程度しか埋まっていなくて、そこにいる観客の九割九分は麻理菜たちの存在を聞いたこともなかっただろう。
ライブは午前中から始まり、昼過ぎから特典会になった。特典会はお話しして握手してチェキを撮ってサインして、としっかりやったものの、ファンは来ていないし、イベントで興味を持った人も少なく、結局、一時間で自然と終了した。そうして日も高いうちから帰路に着いたのだった。
車内はだいぶ重苦しい空気だったが、それがより一層深刻になったのは車を運転していたマネージャーが、何故か道に迷ったからだった。
入社から半年も経っていない佐伯は事務所では貴重な自動車免許の所有者だったが、どうやらあまりあてにはならないらしいと麻理菜たちが理解し始めた時には、車はどこともしれないところへ迷い込んでいた。
それでいて偶然に見つけたソフトクリーム屋に寄ろうというのだから、佐伯もなかなか肝が座っている。
意味もなく遠くの山を眺めながらソフトクリームをなめていた麻理菜は、背後から佐伯の声が聞こえてきたのでそちらを振り返った。菊も心も京も佐伯を見ていた。
当の佐伯は四人に気づくようでもなく、スマートフォンを耳に当てて、誰かと話している。「たぶん今日中に帰れますけどぉ」とか「明日は何もスケジュールはないですよね?」とか「私のことは気にしないでくださぁい」とか、そんなことを言っている。
あまりにものんびりとした喋り方だけれど、相手はおそらくチーフマネージャーというような立場の桐山まりあだろう。桐山が叱責しているはずなのに、佐伯はまったく動じていない。しかも佐伯は片手に自分のソフトクリームを持ち、話す途中でペロペロ舐めているのだから、桐山がその光景を見れば激怒どころでは済まなかったかもしれない。
通話が「また連絡しますぅ」で終わった時には、麻理菜たち四人はすでにソフトクリームを食べ終わっていた。それに気づいた佐伯がバクバクっと勢い良く自分のソフトクリームを食べきって、「じゃ、出発!」と笑った。
車に乗る前に、誰が助手席に乗るか、麻理菜たち四人でじゃんけんした。この遠征に出発する時に、車を降りるたびにじゃんけんすると決めていたのだ。
今回のじゃんけんも麻理菜が勝って、負けた三人は憮然と後部座席に乗り込んでいく。
車が走り出し、また佐伯がスマートフォンでGirls Be Ambitiousの楽曲を流した。今日のイベントで四人で歌い、踊った曲でもある。まだ研究生グループには持ち曲がないので、先輩グループの曲をカバーしたのだ。ダンスもそっくりそのまま借りている。
「今日のみんなのダンスは今までで一番、キレキレだったよぉ」
佐伯がそんなことを言いながら、交差点でハンドルを切って自信満々に右折した。車内の空気はやや張り詰めたものの、それよりも助手席の麻理菜にはスマートフォンには明らかに左折する表示が出ていたのが気になって、発言内容をあまり把握していなかった。
「歌も上手かったし、成長してるよ、みんなぁ。今回はこんな田舎であまり人もいなかったけど、次はもっとお客さんが来るところでやればもっと反応あるよぉ」
「かもしれませんね」
冷え冷えとした声で京が応じるのに、そんなに怒らないでよぉ、と佐伯が言い返している。
「うまくいくと思わなくちゃ、続けられないでしょ? それに私が言っているのはお世辞じゃなくて、本当のことを言っているんだから、信じてよぉ」
「その割に」今度は心が発言した。「お客さんは静かでしたけどね」
「こんな田舎の人が予備知識なしに都会のバリバリのアイドルを前にしたら、困惑して当たり前じゃぁん」
それは失礼じゃないか? と四人ともが思っているのに佐伯は気付かずに話を続ける。
「特典会だって、初めてみんなの歌とダンスを見た人が結構、並んでくれたじゃぁん。何も知らない人があれだけ動くなら、知っている人間が見ればもっと大きな動きになるってばぁ」
「佐伯さん」
佐伯の能天気さというか、ポジティブさに懐柔された形で、どこか笑いを堪えた声で京が言った。
「特典会で私の列に来た三十代くらいの男の人、私の手を二分くらい握り続けてましたけど、もしかして知っていて放置してましたか?」
「そんなことあったかなぁ。私、チェキを撮るのに忙しくて。一人で四人分の仕事をしているんだからぁ」
くすくすと笑っているのは心と菊だった。実際、佐伯は四人が特典会でチェキを撮る時、一人で次々と撮影し、ものすごく忙しそうだった。その様はかなり滑稽だったと麻理菜も思った。
「マネージャーって所属アイドルを守るためにいるんじゃないですか?」
京の指摘に、守る守るぅ、と佐伯は軽い調子で応じ、今度は車を交差点で左折させた。今度こそ麻理菜ははっきりとスマートフォンの画面を見ていたが、ナビは直進を指示していた。佐伯の顔を見たが、彼女が前だけを見ているので何も言えなかった。ナビは当てにしてなくて、地図をしっかりと把握しているのかもしれない。
「まぁ、少しはいいじゃん、手を握るくらいさぁ。あの男の人が京ちゃんに狼藉を働くようなら、私が叩きのめしたよぉ。これでも元々、柔道部のマネージャーだったし、今は二週間に一回、護身術の教室にも通っているからお茶の子さいさいだよぉ」
四人ともが黙ってしまった理由に気づくようでもなく、佐伯はスマートフォンから流れる音楽に鼻歌を乗せ始めた。
結局、そのまま麻理菜たちが黙っている中で車は走り続けたけれど、どこかにたどり着くようでもなく、むしろ道はどんどん山間に突き進んでいき、人家も絶えてきた。道路は右も左も木立である。
完全に日が暮れたところで、やっとコンビニにたどり着いたけれど、そのコンビニの明かりだけが闇に浮かんでいて、変な表現だが、海の底にポツンとある竜宮城、という感じに麻理菜には思えた。
「適当に夕飯でも調達してね。支払いはこれで」
そう言って佐伯が交通系のICカードを渡してきたので、麻理菜たちは強張った体をほぐしつつコンビニに入り、適度に買い物をした。さすがに佐伯のカネで豪遊する気には誰もならなかった。
ビニール袋を下げて車へ戻ると、佐伯が誰かと電話していた。しかしすぐに切る。そしてまたどこかへ電話を始めた。その時には研究生四人はじゃんけんをして、今度は京が助手席に座り、他の三人が後部座席に収まった。
佐伯が電話相手に話し始める。
「桐山さん、すみませぇん、今日中には帰れませぇん。ちょっと道に迷っちゃいましてぇ。三つ先のインターチェンジから高速に乗ろうとしたんですけどぉ、失敗しましたぁ」
そんなことをしていたのか、と麻理菜たちは思ったものの、黙って成り行きを見守った。
スマートフォンの向こうから怒号が聞こえた気もしたけれど、佐伯は恐縮したようでもなかった。
「一応、近場の民宿で一泊して、明日、東京に帰りますぅ。はい、宿代も食事代も私が出しますぅ。すみませぇん。はい、はい、すみませぇん。はぁい、失礼しまぁす」
そうして通話を終えた佐伯が実にあっけらかんと言った。
「という訳で、泊まることになりましたぁ! 今日の宿へ行くとしようぜぇ!」
何か佐伯がおかしくなった気もしたけれど、麻理菜は何も言わないことにした。
また道に迷うのではないかと思ったが、佐伯の運転する車はほんの二十分で民宿にたどり着いた。麻理菜たちが買い物をしている間に電話して部屋を取っていたようだ。建物はだいぶ古いし、何の看板も出ていないまさしく民家だったけれど、佐伯は堂々と入っていくし、ついていくと、確かに話は通じた。
部屋に案内され、佐伯が有料のレンタルでバスタオルと手ぬぐいは借りてくれた。
「浴衣は我慢してねぇ。私のポケットマネーも無限じゃないからぁ」
そんなことを言って、「じゃ、私は車にいるからねぇ」と佐伯が部屋を出ようとしたので、さすがにこれには四人ともが慌てた。
「佐伯さんも部屋で休めばいいじゃないですか」
代表する心の言葉に「部屋は四人しか泊まれないんだなぁ」と佐伯は笑っている。それから思い出したように自分のスマホを心に放った。受け取った心に佐伯は親指を立てて見せる。
「充電しておいて。メールが来ても電話がかかってきても、無視してねぇ」
四人ともが呆気にとられているうちに佐伯は部屋を出て行ってしまった。
残された四人はどうすることもできず、結局、部屋の隅に畳まれていた四組の布団を手分けして敷いた。部屋に敷かれた畳はかなり擦り切れていて、布団も防虫剤のような匂いがしていた。
泊まる予定などなかったにも関わらず、京と心がスマホの充電ケーブルを持ち歩いていたので、それがすぐにコンセントに刺されて、なんとなく真っ先に佐伯のスマホが充電され始めた。
「じゃ、お風呂の順番でじゃんけんしようか」
菊の言葉に、他の三人が頷き、じゃんけんが始まる。
順番が決まって、その通りに風呂に入る間、部屋では他の三人がその日のステージの復習を始めていた。夕食を食べるタイミングがなかったので、食べながらである。
四人が揃うと、布団を踏むのも構わずにフォーメーションを確認しつつ、簡単な身振りも交えてダンスの動きも確認する。
そうこうしているうちに深夜になり、眠ることになった。
「四人で泊まるなんて、初めてじゃない?」
すでに明かりを消した暗闇の中での心の声に、京がすぐに「予定外すぎるけどね」と応じる。
「もっとちゃんとした遠征で泊まることになると思っていたよ」
「民宿に泊まるアイドルって、他にいないんじゃない?」
菊の言葉に、いるでしょ、とすぐに京が応じる。
「車に泊まるアイドルっていそうじゃない? まぁ、そういう意味じゃ、佐伯さんは優しいよねぇ。今頃、何しているんだろ。寝てるかな」
「そりゃ寝てるでしょ。スマホを私たちに渡しのも、ゆっくり寝るためじゃない?」
麻理菜がそう指摘してみると、ありそうだなぁ、と京が笑う。
「じゃあ、私たちも早く寝るとしましょうか」
菊の言葉にめいめいに返事をして、静かになり、誰かの寝息が聞こえ始めた。
麻理菜も自然と眠っていた。
気づくと麻理菜はステージに立っていて、客席には大勢の観客がいる。
ステージに立っているのは麻理菜と京、心、菊で、四人ともが揃いの見たこともない衣装を着ていた。可愛らしいデザインだ。すでに決まっているそれぞれのメンバーカラーが反映されている。
麻理菜の視線がステージ袖に向けられる。
客席から見えないところに佐伯が立っていて、麻理菜たちの方に親指を立てた拳を突き出している。
これはいつだろう。
いつの光景だろう。
ここはどこで、何が起こっているのか。
どこからか、男性の声が聞こえてくる。
「それでは審査結果の発表です! 今回の、天下無双のアイドル賞を受賞したのは……」
こんな立派なステージで、自分たちもまるでアイドルそのもので、お客さんも大勢いるのに、結局は天下無双のアイドル賞なのか、と麻理菜は思った。
でも、賞の名前なんて、どうでもいいか。
こんな場所に立てるのなら、それだけで十分じゃないか。
男性の声が続く。
「受賞したのは……です!」
ワッと客席が沸く。
今、なんて言った?
どのグループが受賞したんだろう?
そもそも私たちのグループ名ってなんだっけ?
まだ、私たちにはグループ名はない。
そう気づいた時に、麻理菜はこれが夢だと確信し、同時に覚醒していく自分を理解した。
この夢はもう終わろうとしている。
夢は覚めて、現実に戻る。
でもいつか。
麻理菜は念じるように思った。
でもいつか、夢で見た光景が現実になりますように。
その言葉が終わると同時に、夢は消え去り、麻理菜は眩しさに目を細めていた。
見えるのは、初めて見る天井。
顔に窓のカーテンの隙間から差し込む朝日が直接にぶつかっている。
起き上がると、菊が、京が、心が、布団にそれぞれの姿勢でくるまっていた。
早朝のせいで室内はだいぶ寒い。エアコンをつけようと麻理菜は布団から離れようとしたが、夢の光景が脳裏をよぎって、動きを止めた。
夢が離れていってしまうような錯覚。
それでも麻理菜は立ち上がり、壁のリモコンに歩み寄った。
最高のステージに立って、自分たちで距離を詰めればいいのだと、やや寝ぼけた頭で思いながら。
(了)
いつかのステージ 和泉茉樹 @idumimaki
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