#34「黒猫の襲撃」

 警戒する鈴葉りんはに観念し、笑い声を上げて姿を現した何者か。敵意を剥き出しにし、ツルが絡まった木の上から勢いよく飛び出して鈴葉に向かってくる。鈴葉は風沙梨かさりに後ろへ下がるように促し、接近してくる相手に備えて正面に妖力のシールドを作る。鈴葉を覆うような半球の、透き通った水色の壁が出現する。

 ドンと鈍い音を立ててシールドに体当たりを決める相手。勢いを殺さずにぶつかられ、シールドを維持する鈴葉の妖力がぐっと削られる。シールドとそれを押す相手とで拮抗する中、鈴葉達はようやく相手の姿を確認できた。


 茶色いショートヘアに黒い猫耳、半袖の白いシャツの上に赤いベスト、赤いミニスカートを履いた小柄な少女。黒い尾の周りには妖力が青いオーラとなって漏れ出している。赤い瞳は好戦的で、鈴葉を睨んでにやりと口元を緩める。


「こんなシールド、こうしてやるのにゃ」


 黒猫の少女は両掌をシールドに押し付ける。


「っ!?」


 鈴葉は慌ててシールドを解除し、後ろに跳んで少女と距離を取る。少女が両手でシールドに触れた直後、シールドの妖力がどんどん吸い取られていったのだ。このままではシールドに妖力を供給していた鈴葉の力も大きく消耗するため、急いで離れたのであった。

 見ていただけの風沙梨には何が起こったのか分からず、心配そうに鈴葉に怪我がないか全身に目を走らしている。


 十秒も立たないうちの出来事で、鈴葉と風沙梨が向かい合う少女に警戒していると、空から驚いた声が飛んでくる。


「エナさんじゃないですか! こんなところで何してるのですか? あ、もしかしてこの異変について何か知ってたり?」


 さつきが朱い翼を羽ばたかせ、親し気に呼びかけながら地上に向かって降りて来る。

 エナと呼ばれた黒猫の少女はちらりと皐を見ると、すぐに興味を失ったように鈴葉に視線を戻す。


「ちょっとー! 無視されると私でも傷つきますよ! ああ、その人たちは悪い人じゃないので安心してくだ――」

「皐! 離れて!」


 皐が言い終わる前に鈴葉が鋭く声を発する。鈴葉が感知した気配は一つではなかった。そのもう一つが皐に向かって木々を伝って動いたのを感じたのだ。皐は空中で止まって頭上に疑問符を浮かべる。

 間に合わない! 鈴葉は扇を振るい、皐に向けて風を起こす。風は切り裂かれて地面に散らばっていたツルやイバラ、枝や落ち葉を巻き込んで舞い上がり、皐と彼女に急接近したもう一人との間を吹き抜けた。


「うわっ! 危ないじゃないですか!」


 皐は風を向けて来た鈴葉に文句を言い、飛んでくる植物の残骸や小枝から逃れようとし、結果的に接近してきた相手と反対側に逃げる。


「庇いながらエナの相手ができるかにゃ?」


 エナは身を屈めると、地面を蹴って素早く鈴葉に接近する……と見せかけ、回り込んで後ろの風沙梨に狙いを定める。両手の爪が硬く鋭く伸び、無防備な風沙梨に鉤爪が振り下ろされる。


「風沙梨!」


 鈴葉は風沙梨を強引に押しのけ、エナの右腕を蹴り上げた。右手を弾かれたエナは左手の爪で突き出された鈴葉の足首を引っ掻き、蹴られた手を庇って後ろに退避する。硬い下駄で蹴られたエナの腕は内出血で青くなっていた。鈴葉の足からも血が滴り足袋を赤く染めるが、傷自体は浅かったため、自然治癒ですぐに治るだろう。

 風沙梨は鈴葉に押されて地面に尻もちを付いていたが急いで立ち上がり、ナイフを握りしめて牽制だとばかりにエナに武器を見せつける。


 相変わらず緊張感のない、というより襲われている自覚がない皐と、戦闘が苦手な風沙梨。二人を庇って素早いエナともう一人と戦うのは鈴葉にとってかなり苦しい状況だった。なぜ自分たちが襲われているのか、相手が何者なのかも分からない。


「皐、この子とそっちの……猫? は何なの!?」


 皐に襲いかかった相手は、空中に浮かんだまま周囲の様子を伺っている黒猫だった。頭に赤い羽根飾りをつけ、首元からは赤い毛皮が生えている。エナと同じ青いオーラを纏った尻尾が二本、前足の鋭い鉤爪からは青白い電光が散っている。


「あれはエレさんです。いつもエナさんといる仲良しコンビですね。なんだか戦闘モードっぽいですけど、敵がいるのでしょうか?」

「私たちが敵認定されてるの!」

「ええー? どうして私たちが二人に狙われるんですか?」


 呑気そうな皐に鈴葉の苛立ちが増す。話しているうちにエナとエレは目配せで意思疎通し合い、次の行動に出ようとしていた。

 宙に浮いている猫のエレはともかく、エナに翼は見当たらない。二人の相手をするのは無理だと判断し、鈴葉は風沙梨を抱えると、黒い翼を広げて空へ逃走する。木々を越え、皐と合流する。


「エレ!」


 エナが呼ぶと、エレが頷く。背筋を伸ばし、足を下に、空中で二足で立つような体勢になる。そして前足を前に突き出すと、その広げた指先から電流が宙を駆ける。

 皐に逃げようとせがむ鈴葉。電撃は枝分かれして三人を囲うように進む。ようやく皐が動こうとした時には、電撃から逃れることはできない距離になっていた。


 空にいる三人に電撃が浴びせられる。全身がばちばちと弾けるような痛みに襲われ、三人は反射的に悲鳴を上げる。威力はそれほど強くないのだが、電撃は空を飛ぶ鈴葉と皐の翼に痺れを施す。麻痺によって制御を失った翼は動きを止め、二人と抱き抱えられている風沙梨は下に落ちて行く。


「し、師匠ー!」

「ごめん無理!」


 エレからの電撃が止まったものの、翼の痺れは治らない。ぐんぐん迫って来る緑に、風沙梨が悲鳴を上げ鈴葉に強くしがみつく。


 重力に引き寄せられ、森の中に落下した鈴葉。落ちる胴体が細い枝をへし折り、その隙間にかかっていたツルを引きちぎりと落下スピードをやわらげ、最終的に地面にぶつかる前にツルの群生箇所に受け止められた。仰向けの鈴葉の上に風沙梨がのしかかる形になる。顔や服がイバラの棘で数か所傷ついてしまったが、大きな怪我がないのは運がよかった。

 少し離れた場所では皐が太い木の枝に受け止められ、ぐえっと鳴いていた。


「そっちも一応無事だね」

「何とか……」


 鈴葉が皐に呼びかけると、へなへなとした返事が返ってきた。そのまま周囲を警戒するが、エナとエレから少し離れている場所に落ちたようだ。頭上はツルと木で空がほとんど見えない。足場を確保しなければと、鈴葉は風の刃で周りのツルを切断する。目立たないように威力を控えめに、地上に立てるだけのスペースを確保する。


「認識阻害っと」


 皐は巻物にそう書いたのだろう。直後、巻物から緑の煙が発生し、鈴葉達の周りに漂い始める。煙が保護色となり、鈴葉達は緑に覆われて遠くからは森の一部に溶け込んで見える。皐も鈴葉の隣に降りてきて、やっと真剣な表情で話す。


「相手は妖力を感知するのが得意なエナさんです。妖力で生み出した煙ではあまり意味ないと思いますが、目くらましにはなるでしょう」


 エナから相手にされず、エレに襲われるといった状況の皐だが、二人のことはかなり詳しく知っているようだ。


「あの猫たちは何なの?」


 鈴葉の問いに皐は声を潜めて説明する。


「女の子の方がエナさん。虹の森では結構有名な悪戯っ子で、実力も高めです。妖力を吸収する能力を持っています。浮いていた黒猫の方がエレさん。エナさんの保護者的存在で、普段はとても温厚で人を襲うことはないのですが……。彼は電撃を操る能力を持っています」


 皐は一度言葉を切り、腕組みをしてうーんと唸る。


「いくらエナさんでも、あんなふうに説明なしに襲ってくることはないはずなのですが……。私顔見知りですし」

「皐さんの普段の態度に腹を立てて巻き添えを食らったという可能性は……」

「あり得ないです! 私は恨まれるようなことしてませんし! それにエナさんはともかく、エレさんは絶対にこんなことしません!」


 自分に対しての評価は過剰なんだろうなと聞き流しつつ、エナとエレについての情報をしっかり聞く鈴葉と風沙梨。本当のこととおふざけ――本人は恐らく真剣――を交えて話す皐は、微妙に扱いにくいと思う二人だった。


「結局エナ達の目的は分からないんだね。応戦するか逃げるかだけど……」

「逃げましょう」


 どうしようと悩む鈴葉に、皐が即答で逃げを選ぶ。


「ああ見えてエナさんは強いんです。鈴葉さんもあの厄介な能力と素早い動きを体感したでしょう? 戦うは論外ですね」

「確かに。私ひとりじゃきつそうだし」


 百四十センチ程の小さな少女と、頭から尾の先までで一メートルもなさそうな黒猫。皐の言う通り見た目以上に強さとコンビネーションを持ち合わせた二人だった。

 逃げると話が決まったならここに留まる必要はない。そろそろ翼の痺れも感じなくなってきた。鈴葉は空を覆うツルに風の刃を発射する。狭くはあるが、一人ずつ飛び立つには問題ない広さは確保できた。


「急いでください! 近づいて来ました!」


 風沙梨がエナ達が来るであろう方向に耳を立てて警告する。鈴葉は風沙梨を抱き上げ、翼を広げる。完全に麻痺から解放され、思い通りに動かせそうだ。

 後ろからエナの狩りを楽しむような狂気的な笑い声が聞こえてくる。


「お先に失礼!」


 皐が鈴葉の前を飛んで行く。先程はまさか知り合いが襲ってくるとは思っておらずもたついていた皐だが、いざ逃げるとなるとその逃げ足はとんでもなく早い。天狗という種族上、飛行速度にある程度自身のある鈴葉だが、あっという間に森を抜けて空へ飛んで行った皐に感心する。風沙梨に早くと促され、慌てて皐の後を追う。

 しかし、その一瞬の遅れがエナの接近を許してしまう。


「どこ行くつもりかにゃ?」


 ツルが複雑に絡み合った木の上を、何の障害物もないとばかりに素早い動きで飛び移って移動するエナ。エレの姿は見えないが、近くにいると考えて間違いないだろう。

 基本接近戦は苦手な鈴葉だ。エナより先に空へ出ようと急いで地面を蹴る。風沙梨を抱えている分動きは鈍るが、あと数回羽ばたけば……。


 コンマ数秒で木々より高い位置に出るという時、鈴葉の視界、すぐ左隣にエナが現れた。両者の赤い瞳がしっかりとかち合う。一方は驚いて目を見開き、もう一方は口の端を吊り上げる。


「エナさん! おいたはそこまでですよ!」

「にゃっ!?」


 皐の声と共に、エナに渦巻く風が直撃する。エナは風に押し戻され、前進する鈴葉との距離が広がった。


「皐! ありがとう!」

「助かりました!」

「ふふん、これで先程の鈍感プレイは見逃してくださいね」


 巻物を使って風の術を強化して得意げな皐。今回ばかりは素直に皐の手助けに鈴葉と風沙梨は感謝する。皐と鈴葉は空を飛べるエレを撒くためにも、この場を離れようと翼を動かす。その時、背後からエナが大声で叫ぶのが聞こえた。


「その程度で逃げられると思うにゃ!」


 吹き飛ばされて着地した木から、エナが別の木に飛び移って追って来る。二人は高度を上げるが、次の瞬間驚いて目を見開いた。

 エナがツル植物を掴み、それに持ち上げられるようにして空を飛んで来たのだ。同時に森に身を隠したままのエレから、鈴葉と皐の回避を妨害するいくつもの電撃が放たれる。


「森を荒らしたお前らの妖力、全部吸い取ってやるのにゃ!」

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