#14「紅葉の記憶2」

 鈴葉りんはの目の前に広がる絶望。老人天狗から流れる血の海、自身を取り囲む武器を構えた戦闘部隊の鴉天狗からすてんぐ達。


「捕えろ!」


 そんな声が上がり、鈴葉は無理矢理立たされ、体の前で両手首を縄で縛られる。暴れないようにと数人から槍を向けられながら、歩けと縄を引っ張られる。

 鈴葉はまだ恐怖と混乱から立ち直っておらず、立つので精一杯の震える足はとても歩ける状態ではない。縄で引かれ、槍で軽く突かれ、バランスを崩して受け身を取れないまま前に倒れる。縄で繋がれている腕を強く引っ張られる形になり、肩に鋭い痛みが走る。


「もたもたするな、貴族殺しめ」


 縄を持つ天狗が忌々しげに吐き捨てる。

 転んだ痛みでようやく頭が状況を理解した鈴葉。周りの天狗に無理矢理起こされ、進めと促される。


「あ、あの! 私何もしてません! あの方は急に上から落ちて来て……」

「黙れ。くだらない言い訳をしやがって」

「本当です! 私、弐ノ指揮ふたのしき様に頼まれて武器を――」

「チッ。おい、こいつの口を塞げ」


 縄を持つ天狗が足を止めて命令すると、別の鴉天狗が白い布を持ってやって来る。鴉天狗は無言で鈴葉の口に布をかけ、頭の後ろできつく結ぶ。鈴葉はもごもごと唸ることしかできず、再び進みだした縄に引っ張られて歩かされる。


 このままでは本当に殺人の犯人にされてしまう。ひとまず連れて行かれることへの抵抗を止め、あの時のことを思い出してみる。老人の天狗の死体が上から落ちてきた時、倉庫の入口へ黒い何かが飛んで行った。人型だったかさえも分からなかったが、あれが犯人に違いない。

 おそらくこの後尋問にかけられるはずだ。その時に犯人と戦闘部隊の天狗たちがすれ違っていないか、目撃者がいないかを尋ね、さらに弐ノ指揮が鈴葉に手伝いを頼んだことを証言してくれれば……。


 そんな小さな希望を抱きながら、鈴葉は大人しく連行される。

 細い道を抜け、大天狗だいてんぐの屋敷に繋がる大きな道に出る一団。屋敷とは反対の、山を下る道を進んで行く。道に立っている警備や通行人が、真剣な表情の戦闘部隊を見て何事かと注目し、縄で繋がれている血で汚れた鈴葉を見てぎょっと驚く。

 鈴葉は歩いているうちに連れて行かれる場所に見当がついた。山の中腹辺りには、種族の地位関係なく自由に出入りできる、風集いの広場と呼ばれる場所がある。店も立ち並んでいて人通りの多いそこは、大天狗や指揮天狗が知らせを告げる場としても使われている。だんだんと人通りが増えていく道で、先程と同じ好奇の視線をすれ違う人全員に向けられ、鈴葉は居心地の悪さで俯く。どう見ても鈴葉が悪事をして捕らえられているように見えるだろう。悪い噂が広まるのは確実だ。


 予想通り風集いの広場に連れて来られた鈴葉。演説に使われる朝礼台の前には既に弐ノ指揮に参ノ指揮さんのしき、その部下の霊翼天狗れいよくてんぐや鴉天狗が集まっていた。そして中でも目を引くのは、L字を逆さにした形の地面に立てられた木の柱だ。

 鈴葉の縄を持つ鴉天狗が参ノ指揮と軽く言葉を交える。その後、鴉天狗は鈴葉を連れて柱の前に立つ。鈴葉は下駄を脱がされ、翼も広げて背中側に寄せた状態で縛られる。鈴葉への作業を終えた鴉天狗は翼を広げて少し飛び、縄の余っている部分を柱の飛びでている部分にかける。そして縄の長さを調整していく。鈴葉の腕が持ち上げられていき、爪先立ちにまでなると、柱に突き刺さった杭に縄を結んで固定する。


 見せしめとばかりに拘束された鈴葉を、広場にいる様々な種類の天狗が憶測を言い合いながら見にやって来る。たまたま広場にやって来た者、噂を聞いて駆けつけた者、事件を知っている戦闘部隊や指揮天狗の部下が空を飛び交う。広場の天狗の数は時間の経過とともに増えていく。

 そんな状態が十五分ほど続く。猛間もうかんの昼の強い日差しが降り注ぎ、鈴葉の頭から汗が垂れる。

 ようやく大天狗が姿を現し、朝礼台の上に立つ。大天狗は集まった騒つく天狗たちを、片手を上げて黙らせる。


「先程、許されない事件が起きた。この獣天狗けものてんぐにより、貴族の霊翼天狗が一人殺された」


 広場が再び騒つく。血痕のついた鈴葉が拘束されている時点でおおよその予想ができていた大衆だが、まさか貴族の霊翼天狗に手を出したとは思っていなかったのだろう。驚愕や怒りの目が鈴葉を突き刺す。


「獣天狗、殺害に至った経緯を言え」


 大天狗が横目で鈴葉を見る。その目は何度か屋敷で顔を合わせた時と同じく冷たいものだったが、怒りや軽蔑とは違う色が見えた。恐怖……? 鈴葉が違和感を覚えた直後、鈴葉の横に待機していた鴉天狗が口元の布を解いた。

 大天狗に向いていた視線も全て鈴葉に集まる。全ての目が自分を責めているように見える。鈴葉はそんな大衆の視線に怯えて黙っていたが、大天狗から言えと先程より強く言葉を投げられた。


「わ、私は……」


 喉から出るのは緊張と恐怖で震えた掠れ声。ここではっきり否定しないと犯人にされてしまうと己を奮い立て、なんとか言葉を絞り出す。


「私は殺してません。弐ノ指揮様から、倉庫に武器を取りに行くように言われました。倉庫で武器を探していると、天井から貴族の方が落ちて来たんです。私はその下敷きになりました。その時点でこの方は傷を負って亡くなられていました。あと、一瞬誰かが倉庫から飛んで出て行くのが見えました。犯人はきっと出て行った人です」


 訴えるように真剣な目で大天狗に説明する鈴葉。ひそひそと大衆が話し合うが、大天狗は表情を変えずに弐ノ指揮を見る。


「弐ノ指揮、本当か?」

「はい、確かにこの者に倉庫へ向かわせました」


 真っ直ぐな言葉で頷く弐ノ指揮。弐ノ指揮は横に控えていた部下に合図すると、部下は一本の高価そうな槍を掲げ、皆に見えるようにした。槍には乾いて茶色くなった血が付着している。鈴葉が持って来るように頼まれていた物だ。


「これが獣天狗に取りに行かせた槍です。同時に殺しに使われた武器でもあります」


 弐ノ指揮はため息をつき、一歩前に出て話し始めた。


「一部の者は知っているでしょう。この獣天狗には妹がおり、大天狗様の寵愛を受けている。霊翼天狗でもないのに翼を二対持つ獣天狗だ」


 大衆の視線がとある場所に集まる。鈴葉も釣られてそちらを見ると、そこには目を丸くして立ち尽くしている狐の獣天狗。


「霊羽……」


 霊羽に構っていた大天狗がここにいるのだ。霊羽も何か騒動が起きたことは知っていたのだろう。好奇心で風集いの広場にやって来て、血で汚れた姉の姿を見て、驚きと悲しみが混ざった赤い瞳を鈴葉に向けていた。

 鈴葉と霊羽の目が合う間にも、弐ノ指揮は言葉を続ける。


「先程現場にいた者と話し合ったのですが、嫉妬による殺害ではないかと思われます。妹のように扱われたいと思っていたのでしょう。後からやって来た貴族に、手元にある槍を滅多刺しに。犠牲者は怒りの捌け口にされたのではないかと考えられます」

「そんなこと思ってな――いっ!?」


 弐ノ指揮の捻じ曲げられた話に、鈴葉が思わず口を挟むが、黙れという声の代わりにヒュンと音がし、背中に激痛が走る。焼けるような痛みに背中を丸めたい鈴葉だが、爪先立ちが精一杯の状態で吊るされている現状だ。手首の縄に体重がかかり、また違う痛みに襲われる。歯を食いしばって後ろに首を回すと、鞭を持った鴉天狗の姿が見えた。


「正直に話せ。それまでは鞭打ちは終わらんぞ?」


 大天狗が冷酷に言い放つ。


「本当に私はしていません! 今話したことが全てです! 戦闘部隊の方は倉庫から出て来た誰かとすれ違わなかったのですか?」


 鈴葉は必死に訴えるが、現場を見た天狗達は首を横に振る。直後、また背中に鞭が叩きつけられた。


「くっ! うぅ……。本当です……違います」


 その後も罪を認めず、何度も鞭に打たれた。現場にあった武器や貴族の天狗の傷、倉庫へ向かう鈴葉が緊張してぎこちない歩き方をしていた目撃情報など、証拠や証言がどんどん出て来る。

 やがて広場に集まった天狗たちも飽きたのか、ポツポツと鈴葉の前から去って行く。

 死んだ天狗の家族がやって来ると、鴉天狗から奪った鞭で加減なく何度も打ち付けられた。着物は破れ、何度も打たれた背中には傷が刻まれ、血が流れていた。


 日が沈み始め、大天狗や指揮天狗はもうこの場にいなかった。見張りの戦闘部隊が数人と、わずかに残った見物人。その中に霊羽もいた。霊羽が鈴葉に話しかけようと近づくが、見張りに近づかないように止められる。

 そして霊羽を迎えに来た両親。広場にはいなかったようだが、事情を関係者から細かく聞いたようだ。その顔は憔悴しており、現実を受け入れられないと物語っていた。両親と霊羽が広場を立ち去る際、ちらりと鈴葉を振り返る。どうしてこんなことにと、悲しみで濁った瞳だった。家族の名前を呼び、違うと叫ぶが、三人が足を止めることはなかった。


「私は……」


 家族にも信じてもらえなかったのだろうか。本当にどうしてこんなことになったのだろう。熱を持つ背中と対照に、心の内側から冷たい虚無が押し寄せた。




 事件が起きて三日が経った夜。背中だけでなく、体の正面も、足や腕も、翼までもが傷だらけになった鈴葉はまだ爪先立ちで吊るされていた。手首は骨が見えるほど擦れ、その縄は赤く染まっている。

 碌に睡眠もできず、飲まず食わずで夏の野外に立たされている。多少体が頑丈で、ある程度の傷なら自然治癒する妖怪でも、そろそろ限界が近づいていた。鈴葉の視界はぼやけていて、呼吸するだけで体が軋んで痛みが生じる。


 このまま死ぬのかな。ぼんやりとした頭でそんなことを思う。いっその事早く死んでしまった方が楽だろうと、自由に動く舌を歯に触れさせる。弱っている今の鈴葉なら、舌を噛み切ってしまえば回復も追いつかず命を落とすだろう。顎に力を入れ始めた時、鈴葉の視界は暗転した。




 気づくと鈴葉は夜の山を死に物狂いで飛んでいた。なぜ拘束から逃れ、ボロボロの翼で飛べているのかも分からない。このままでは死ぬという恐怖に支配され、とにかく山から離れようと必死だった。

 見張りの天狗が追って来ているのか分からない。直前の記憶が抜け落ちている。遅くても朝になれば大天狗に逃走がばれるのは確実だ。せめてでも山の外に逃げられなければ命はないだろう。


 生き延びるために千切れそうな翼で飛び続け、無事に天狗の山、紅葉岳こうようだけを抜ける。どこに行くかは決めていないが、なるべく遠くへ逃げる事だけ考える。

 紅葉岳南の野老屋のろうやの森上空に差し掛かり、そのまま南に直進して行く。野老屋の森の中央辺りに来たところで、鈴葉の翼は限界を迎えた。


「あっ」


 もう体のどこにも力が入らない。みるみる下に落ちていき、意識も深い暗闇に沈んで行った。



――――――



 一気に蘇った一年前の記憶。霊羽を目の前に固まる鈴葉。どうして霊羽がここに? 私を捕らえに?


「あなた、知り合いなの? って、もしかして……」


 少し離れた位置にいる亜静あしずが鈴葉と霊羽の顔を見比べ、何か察したように言葉を濁す。亜静の切れ長な目が驚きで丸くなっている。


「私の妹……」


 背後の茂みで兎に薬を飲ませていた風沙梨からも、驚いて息を呑む音がする。

 三人がそれぞれの驚きを受け止めている間にも、赤い槍を持った霊羽はフラフラした足取りで近づいて来る。興奮しているのか激しい息遣いをし、狂気的に光る赤い目は怒りで染まっている。十数年の間紅葉岳で共に過ごしていた鈴葉だが、このような霊羽は一度も見たことがなかった。祭りの会場にいた人々と同じ、いや、それ以上に凶暴性と強い妖力を帯びている。亜静が黒幕と言う人物なのだから、それが本当だとしたらより強力な暴走状態であってもおかしくはない。


「霊羽!」


 鈴葉が霊羽に強く呼びかける。霊羽はギロリと鈴葉の方を睨むと、槍を鈴葉に向け、四枚の翼を羽ばたかせて猛スピードで鈴葉に襲いかかった。

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