#2「野老屋村2」

 鍋を運び終えてくたくたになり、地面に座り込む鈴葉りんは。重さから解放され、全身から汗がぶわっと滲み出る。そこへ、ろくろ首の老婆が痛めた腰を庇いながら、のそのそと歩いてくる。


「ほれ、頑張ってくれたお礼じゃよ」


 顔を上げた鈴葉の前に、老婆は透明な青い瓶を差し出す。つい先程まで氷水に浸されていたであろうラムネだ。


「いいの?」

「もちろん」


 鈴葉は立ち上がり、赤い瞳をキラキラと輝かせてラムネを受け取る。ひんやりしていて気持ちいい。早速飲み口のビー玉を瓶の中に押し込み、キンキンに冷えた炭酸を喉に流し込む。熱くなった全身に爽やかな液体が染み渡る。グビグビと一気に半分ほど飲み、ぷはーっと大きく息をつく。


「生き返るー!」


 周囲の視線も気にせずはしゃぐ鈴葉。そしてその後ろから近づいてくる人物が一人。ろくろ首の老婆が鈴葉の後ろの人物に気付き、あらあらと顔を綻ばせる。


「師匠、声大きすぎますよ。みんな注目しちゃってるじゃないですか」

「あ、風沙梨かさり!」


 鈴葉は振り返って親しげに名を呼ぶ。美来みらい風沙梨かさり木霊こだまの妖怪で鈴葉と共に暮らしている少女だ。見た目は幼く、身長も百四十弱と低いが、声は落ち着いていてしっかり者という雰囲気を纏っている。肩より少し長いウェーブがかった黒髪、頭には大きな尖った耳、耳の付け根には葉っぱの形をした髪飾り。瞳は濃い青で、少し呆れた視線を鈴葉に向けている。フリルのついた薄い桃色の洋服と膝丈のスカート、胸元とスカートの左右には赤いリボンが付いている。靴はシンプルなデザインの赤いローファーだ。小さな子供っぽい見た目をしているが、百年ほど生きており、十六歳と妖怪にしてはまだまだ若い鈴葉よりも年上である。

 風沙梨は日光から逃げるように焼き鳥屋のテントの下までやって来ると、ろくろ首の老婆と妖獣の女性に挨拶をする。


「風沙梨ちゃんもいらっしゃい。暑いでしょ? ラムネどうぞ」

「売り物なのにいいのですか? ありがとうございます」


 老婆がぐいぐい差し出すラムネを、戸惑いながら受け取る風沙梨。栓を開けて冷たい中身を数口飲んで、気持ちよさそうに長い息を吐く。


「こんな暑い中アルバイト行ってたの?」


 鈴葉が風沙梨が腰につけている布袋を見て尋ねる。風沙梨はむっとして鈴葉を見ると、ラムネをもう一口飲んでため息をつく。


「誰かさんがお祭りで大量に食べると思って頑張って来ましたよ」

「おお、じゃあ風沙梨の頑張りを讃えるためにもいっぱい食べようね!」


 そんな会話をしながらも、二人はラムネを飲み干すまで焼き鳥屋のテントの下で休ませてもらう。空になった瓶の中のビー玉がカランと音を立てる。


「美味しかった! おかげでちょっと涼しくなったよ。他に何か手伝うことある?」


 鈴葉が二人に礼を言うと、風沙梨も頭を下げて感謝を示す。


「後は細々した作業だから、私たちで大丈夫だよ。ありがとね」


 妖獣の女性がそう言い、ろくろ首の老婆も頷く。あまり長居するのも邪魔になるだけだと思い、そろそろ次の手伝いに向かおうと、焼き鳥屋の二人に別れを告げる。祭りが始まったら絶対買いに来ると言い、鈴葉と風沙梨は日差しの元へ踏み出した。


「あっつい……。もうラムネが蒸発した……」

「今日はいつも以上に暑く感じますね……。で、次はどこの手伝いに行くんですか?」

「決まってないから、本部に行って聞いてみる」

「でしたら……」


 風沙梨が鈴葉を探して彷徨いていた時、人手が足りないと嘆いてる野老屋村のろうやむらの村人を見つけたらしい。花火を観賞するための椅子を準備していたそうだ。


「花火! 見たい! そこ手伝いに行こう!」

「ちょっと! 走らないでくださいよ! 急いでもまだ花火は上がりませんよ!」


 近くで見つけたゴミ箱にラムネの瓶を捨て、北側の屋台の端である草原へと、風沙梨の手を引いてせかせか歩く鈴葉だった。

 なんと言っても鈴葉は花火を見たことがないのだ。祭り自体も初めてで楽しみにしていたが、一番花火に興味を惹かれていた。


 その後、炎天下の中、大量のパイプ椅子を運んで並べる作業。それが終わると本部から屋台への知らせを記した紙を、屋台一つずつに配る手伝い。配布先の屋台で少し手を貸したりなどして、時間はあっという間に過ぎて行った。

 日が傾く直前。西の空が色づき始めた頃に、ようやく二人は任された仕事を終えた。祭り自体もあと一時間ほどで始まる頃で、早めに来た祭り客の姿も見える。村と会場全体が開始の時刻を待ち侘びている。


「まだ時間はありますし、一度帰って汗流しましょう」


 風沙梨が両手で後ろ髪を持ち上げ、首元の蒸れた空気を逃す。日中太陽の下にいた二人は体も服も汗まみれになっていた。鈴葉も賛成し、熱気溢れた村を後にする。歩いて草原を進み、野老屋の森に帰って来る。ほとんどの祭り客が東から来るようで、南に向かう鈴葉たちは誰ともすれ違うことがなかった。もう少し時間が経てば、この道も少なくない人が行き交うことになるだろうが。


「ん?」


 草原から森に入って二、三歩。鈴葉はふと左後ろに顔を向ける。頭上の狐耳をピンと立てて、草原の方をじっと見る。


「どうかしましたか?」


 風沙梨も立ち止まり、鈴葉の視線を追って草原の方に目を凝らす。


「あそこ……あ、見えなくなった」


 野老屋村に向かうわけでもなく、背丈の高い草に身を隠すようにして村を眺めていた人物がいたのだ。兎の妖獣に見えたが、身を屈めたのか、風で草が揺れたせいか、その姿は消えてしまった。


「まあいいか。早く着替えたいや、帰ろう」


 鈴葉は進行方向に視線を戻し、昼間よりさらに薄暗くなった森を進む。風沙梨も首を傾げていたが、気に留めるほどでもなかったようで、鈴葉の隣について歩き出す。


「いっぱい行きたいお店見つけちゃった。どこから行こうかなー」


 家までの道中、鈴葉は会場で目にした屋台の名を挙げては、あれがしたい、これが食べたいと楽しみを語る。風沙梨は腰につけた布袋を手でさすり、顔を青くしていく。


「相変わらず師匠の好奇心と食欲は恐ろしいですね……。足りるかな」

「ん?」

「いえ、楽しみですね……!」


 風沙梨は恐ろしい想像を頭の端に追いやり、笑顔を浮かべて見せる。風沙梨にとっても祭りは楽しみであり、初めての鈴葉を存分に楽しませてあげたいと思っている。そのために午前中はアルバイトに励んだのだ。


 わいわいと話しながら、二人は一本の木の前に辿り着く。幹の横幅だけでも一メートル程ありそうな、他より太く大きな木だ。それだけで見た目はただの木なのだが、風沙梨はその幹の窪みに指を引っ掛け、自分の方へと引いてみせる。樹皮のように見えていたドアが開き、これが普通だとすんなり木の中に入っていく。

 鈴葉も後に続き、ドアの内側のドアノブを持って扉を閉める。


 木の中は外から見た時とは違い、広い空間が広がっていた。玄関があり、テーブルや台所、収納棚に窓、別室へつながる扉。そこが木の中とは到底思えない住居空間があった。

 木霊という種族の風沙梨の能力だ。木霊の住む木にのみ、内部に特殊な空間を作ることができる。一種の空間魔法に近いものである。

 ちなみに鈴葉はこの風沙梨の家に居候させてもらっている身である。


「師匠、先にシャワー浴びてきてください。私は持っていくものの準備をしておきます」

「わかった!」


 鈴葉は蒸し暑さから逃れるように、着物の帯を解きながら風呂への扉を開け、脱衣所に転がり込んだ。




 鈴葉と風沙梨は風呂で汗を洗い流し、新しい服に着替えてさっぱりしていた。風沙梨は肩掛けの鞄に、冷えた水をたっぷりと入れた水筒、汗拭き用のタオル、通貨の入った布袋、荷物が増えた時のための手提げなどを詰め、準備万端だ。手ぶらの鈴葉が早く行こうと、そわそわしながら玄関をうろうろしている。


「風沙梨、荷物重くない? 私も持つよ?」

「いえ、私が持ちます!」


 鈴葉に持たせると欲望のままに水を飲み、金を使い果たし、タオルも紛失する……という事態が簡単に予想できる。何度か鈴葉に気遣われているが、風沙梨は全力で断っていた。


「よし、準備できました! 行きましょうか!」

「やったー!」


 鈴葉は元気に外に飛び出す。快適な温度に保たれていた木の中から、じっとりとした空気の中に出て、すぐに肌に湿り気を感じる。カバンを斜めがけにした風沙梨も出てきて、扉に術をかけてしっかりと施錠する。

 まだ空には青さが残っており、薄暗い中でも森に慣れた二人は明かりなしでも道を歩くことができた。


「ちょっとゆっくりし過ぎましたかね?」


 村への道に人の姿はなく、風沙梨が不安そうに呟く。東から人が多く来ると言っても、風沙梨たちのいる道に誰一人いないのは少しおかしいようにも思えたのだ。

 対照的に鈴葉は全く気にしておらず、足元の悪い獣道を通るより、東の大きな道――そちらも獣道である――を通る人が多いだけだと気楽に言う。それより早く村に行きたいと早足になっていく。


 森を出て、草原までやって来る二人。太陽が沈んだ草原。一キロほど離れた村の位置に、明るい祭りの光がぼんやりと見える。


「すごい、村があんなに明るいや。風沙梨、早く行こう!」


 鈴葉は目を輝かせて小走りで草原を進む。


「せっかくシャワー浴びたのに、また汗かいちゃいますよー」

「どうせ帰る頃には汗だくになってるから一緒一緒!」


 呆れながら風沙梨は鈴葉を追いかける。その表情は楽しそうで、大きな子供を見守るようだった。


 村に近づくにつれ、わいわいと賑わう声や音が聞こえて来る。提灯や屋台の看板など、徐々に細かい会場の様子が見えて来る。同時に鈴葉の興奮も増していき、武者震いするほどであった。


 ガヤガヤと人々が楽しそうにはしゃいでいる。店の宣伝だろうか。硬いものをぶつかり合わせて、客の気を引く音。酔っ払いが怒鳴る声。子供が女性の甲高い悲鳴。食べ物の匂いに混じる焦げ臭さ。


 近づくにつれ、何かがおかしいと二人は気づく。祭り会場の入り口まで五十メートルほどから見える景色には、怒鳴り合い、取っ組み合い、物を破壊し、武器になる物を振り回すなど、暴れ狂う人々がいた。一部の屋台からは火が上がり、揉め合う人々はそれを気にも止めず、火に飛び込んでいく。


「何なの、これ」


 鈴葉は立ち止まり、助けを求めるような声で呟いた。興奮していた心はすっかり冷めきり、茫然と目の前の地獄を両目に焼きつけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る